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第5話 ホラー映画と褥(3)

 その夜、幸祐が作った笪也の好きな煮込みハンバーグを二人で食べている時、幸祐が思い出したように話し始めた。 「会社から帰ってきてさ、もう一度天井を見たんだけど、あの染み、そんな大きくなってなかったよ」  笪也は冗談で言ったつもりが、幸祐はまだ気にしてたんだと思った。その時、もう一度怖がらせたら、また一緒に布団を並べることができるかも、と小学生並みの思考回路で、笪也は幸祐に言った。 「大きくなってなかったらいいんだけど、形が変わったから、そう見えたんだな」 「えっ…そうなの?」 「俺が初めてここに来て見た時は、丸かったんだけど、今は違うだろ」 「……」  確かに今は、どう見ても丸型ではなく、楕円形だった。築何十年の建物であれば、経年劣化で染みの一つや二つくらいはあって、形が変わるのもよくあることなのだが、あのホラー映画のせいで、あたかも恐ろしい雰囲気になってしまっていた。  笪也はその夜はそれ以上何も言わず、幸祐も黙って、自分のスペースで眠った。  翌朝、笪也は幸祐の顔をじっと見て 「お前さ、昨夜怖い夢でも見た?うなされてたぞ…まぁ、すぐに収まったから、起こさなかったんだけど」 「いや…夢は見てないと思う。覚えてないけど」 「なら、いいよ」  笪也は興味も無さそうに答え、幸祐も大して気にもしていない振りをした。  その次の朝も、昨夜幸祐のスペースから変な音が聞こえたと言いながら、幸祐の様子を見たが、怖がる素振りもなかった。笪也もいい年して俺は何やってんだ、と自嘲した。 「そうだ、幸祐。今晩、大学の友達と飲みに行くことになって、帰りは遅くなるから」  大学からの親友の河野は笪也がゲイであることを唯一知っている友達で、ゲイのことを理解してくれていた。年上のパートナーと別れた時も話しを聞いてくれたし、今回も幸祐のことを聞いてほしくて笪也から飲みに誘った。 「そうなんだ。じゃあ今晩は久しぶりに権兵衛にご飯食べに行こうかな」  幸祐はいつもの笑顔で言った。  その夜、権兵衛で久しぶりのハムカツを食べて、大将や女将さんとたわいもない世間話しをした。その後、銭湯にも行った。  笪也が帰るまでのたった数時間も、幸祐は一人でいることに心淋しさを感じた。が、ここ数日の笪也の怖がらせは、ただの悪ふざけなのか、気になるところではあった。  日付が変わる頃、扉が閉まる音で幸祐は目が覚めた。笪也のため息といつもと違う階段を踏みしめる音が聞こえた。  幸祐は笪也は酔っているのだろうと思った。冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを飲んでいるのか、笪也が立てる音で幸祐は笪也の動きを想像した。  河野の勤め先は笪也の会社と近い場所にあった。河野は海外の雑貨を輸入し販売をしている会社の営業マンであった。学生の時から河野には何の気兼ねもなく気持ちを晒け出すことができた。  駅前の居酒屋でハイボールで乾杯をして、互いの仕事がらみの近況報告をした。酒も進み、三杯目をおかわりした時、幸祐への今の想いを正直に話した。河野はお前が年下を好きになるなんて初めてだなと意外そうに言った。笪也は酔いも手伝って、とにかく幸祐は可愛いんだ、と家の中での出来事を事細かに話した。  河野は表情も変えずに、お前もおっさんになったんだな、と言い、続け様、腹括って告るか、腹据えて見守るか、とりあえず馬鹿げた怖がらせはさっさと止めろ、と呆れられた。  笪也も、そうだよなぁ、とハイボールのグラスについている結露を指でなぞった。  少し大きめのガタッという音が聞こえた。幸祐は笪也が転ける訳はないと思いながらも、気になってパーティション越しにその様子を見た。  常夜灯の薄暗がりで笪也は食卓の椅子に座り、片肘をついて頭を支えながら、ミネラルウォーターのペットボトルを傾けていた。飲み終えたその顔は、困って苦しいような、切なく哀しいような、どちらともとれる表情だった。  その様子に幸祐はなんとなく声をかけられなかった。そして布団の中に戻ると、笪也も立ち上がって自分のスペースに行く気配を感じた。その時 「どうするかなぁ…ウスケのこと…」  はっきりとは聞こえなかったが、確かにコウスケと言った、そう聞こえた。自分のことをどうするのか、笪也のあの表情を見た後のせいもあり、幸祐は思いあぐねた。  ホラー映画を一緒に観た後、笪也の横で寝かせてもらった次の日から、笪也の怖がらせが始まった。夜中にうなされていたとか、変な音が聞こえたとか、幸祐はこの手の話しが苦手とわかってやり続けるのは、もはや嫌がらせとしか思えなくなっていた。  一晩横で寝た時に、笪也が困ってしまうことをしたのだろうか、いびきや歯ぎしりが酷かったとか、聞くに耐えない寝言を言ったとか、想像はどんどんエスカレートして、最後には、もう一緒には住めないと思われているかもしれないとまで考えは行き着き、全く眠ることができなかったのだった。  翌朝、笪也は、小声でおはようと言って起きてきた幸祐の顔を見て、開口一番に 「幸祐、お前、クマができてるぞ」 「…えっ、あっそうかな」  幸祐は、また笪也の怖がらせだと思った。軽く返事をするだけにした。  事実、幸祐はあれから未明近くまで寝ることができず、完全に寝不足だった。

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