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第6話 カミングアウト(1)
一緒に布団を並べて寝ることができるようになったらなったで、笪也は当然のことながらそれだけで済むはずもなかった。
笪也が無意識に首を回したり肩に手をやっていると、その様子を見た幸祐は寝る前にあのマッサージ器で背中や肩をほぐしてくれたり、二人並んで横になって配信映画も観たり、今までと何も変わらないのだが、幸祐との距離が圧倒的に近くなった。この状況で河野の言う、腹を据えての見守りは、この先続けていくのは絶対にできそうにもなかった。が、告る勇気も自信も笪也にはなかった。
今までは翌日の仕事の確認は自分のスペースでしていたが、幸祐と一緒に寝るようになると、食卓でパソコンを開けるようになった。終わった後、布団に入ると大抵幸祐は先に寝ている。幸祐の少し口を開けた可愛い寝顔は、見ようによってはキスを誘っているようにも見え、笪也はしばらくの間じっと凝視て、布団を掛け直す振りをして、首すじや頬を撫でるのだった。
幸祐は、最近考えこむことが多くなった笪也が気掛りだった。二人の生活について何か思うことがあってのことならば、ちゃんと話してくれるはずだし、以前、仕事で難しい案件を抱えていると言っていたが、それともまた少し違うような気もした。
仕事上のことは相談に乗れる自信はなかったが、自分でも少しは何か支えになれないか話せるタイミングがあれば訊いてみようと思っていた。
「笪ちゃん、俺でよかったら話してよ」
幸祐は、パソコンを閉じて布団に入ってきた笪也に言った。笪也は一瞬息が止まりそうになった。
「まだ、寝てなかったの?ごめん、起こした?」
「ううん、ずっと起きてたよ…笪ちゃん、最近さ、溜め息が多いな、なんて思って…」
笪也は、踏み込めないもどかしさや、情けなさが、幸祐には悩み事があるように見えたのだろうか、と思った。
笪也は横になって目を瞑った。
今なのか、いや、今しかないのかもしれない、幸祐がくれたきっかけだ、と笪也は覚悟を決めた。
「実はさ…俺…ゲイなんだ」
言ってしまった。
幸祐はどう思うだろうか。幸祐の反応を待たずに笪也は続けた。
「でも、今までの相手はずっと年上ばかりだった。だから…」
だから、安心しろ、とでも言うつもりなのか。笪也は自分の不甲斐なさを感じた。こんなにも手の届くところに幸祐はいるのに、それでも、幸祐の反応が恐くて踏み込めない。
「だから、幸祐の寝込みを襲うなんてことは更々思ってないから」
本当に意気地なしだと思った。ゲイであるとカミングアウトをしただけで終わるのか、本当にそれだけでいいのか、笪也の心の中はせめぎ合った。
「ただ、横に寝るようになってから、お前の寝顔を見てると、可愛らしい顔してんなって…正直思ってる…それだけだ」
幸祐の顔を見ると、明らかに戸惑っている。笪也はそれ以上は言えなかった。言えない想いは幸祐を凝視める視線にのせるだけにした。が、幸祐への想いが、もう堰を切って溢れ出ようとしている。
絡みつくような笪也の熱い眼差しを幸祐は受け止めきれず、目を伏せた。
笪也は想いを抑えようとしていたが耐えきれず幸祐の頬に手を伸ばした。そして、親指の腹で幸祐の下唇に触れた。幸祐はさして嫌がりもせず、笪也の指が触れている唇を少し動かした。
「ごめん。さっき、手は出さないみたいなことを言っておきながら…お前に触れてる」
笪也は哀しげな目で笑った。幸祐は目を伏せたまま黙っていた。
「なぁ…幸祐。一度だけ、キスしてもいいか」
幸祐は唇に触れられた時からこうなることをなんとなく予測はしていたが、いざ言われると逡巡した。
笪也は幸祐の頬を触りながら返事を待った。
「…一度だけだよ」
笪也は片肘をついて上半身を起こすと、幸祐の頬に自分の頬を擦り寄せてから、そっと唇を重ねた。その感触を味わおうと一度だけ下唇を食んだ。
幸祐の唇は指で触れるより柔らかく感じた。そして名残惜しそうに唇を離した。
「幸祐、ありがとう」
笪也は優しく言った。手はまだ幸祐の頬にあった。
「ねぇ、笪ちゃんはさ、俺をどうしたいの?」
幸祐は笪也の哀しげな目を見て訊いた。
幸祐は思い出していた。酔っ払って帰ってきた笪也が言ったあの一言、『どうするかなぁ…ウスケのこと…』。笪也は自分に触れたかったんだと、その想いはどうすれば叶うのか思いあぐねていたのかもしれないと。そして今初めてキスをした。そして、そして笪也はどうするのか。
「そんな、叶わないことを言わせないでくれよ」
笪也は切なくなり、幸祐の頬から手を離そうとした時、幸祐は笪也の手首を掴んだ。
「笪ちゃん…俺…男の人に触れられたこともないから、この気持ちが何なのかよくわかんない…けど、男の人にこんな気持ちになるなんて思ってもみなかった…ねぇ笪ちゃんとならいいよ。あんな優しいキスしてくれるんなら…俺、もう一度、笪ちゃんとキスしたいよ」
幸祐の正直な気持ちだった。こんなにも明け透けに自分の気持ちが言えるとは自分でも驚きだった。幸祐は笪也がゲイであろうとなかろうと、そんなことはどうでもよかった。
一緒に暮らし始めてわかった。幸祐の早合点や笪也の揶揄いもあったが、今では囁く声や、ほのかに渋さのある匂い、触れられた時の手の温もり、どれも幸祐にとって心地いいものになっていた。
そして人生初めてのキスは触れるとすぐに溶けてしまう綿菓子のように甘くて、切なかった。もっと笪也に触れて欲しいと思った。
だから、もう一度キスをしてほしかったのだ。
「幸祐…いいのか…お前、自分が何言ってるのか、わかってんのか」
笪也はあまりにも予想外過ぎる幸祐の言葉に狼狽えた。
そんな笪也を気にすることなく幸祐は言った。
「…笪ちゃんにもう一度キスしてほしい」
キス以上のことになるかもしれない、と思いながらも、幸祐は目を閉じた。
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