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第8話 二人の日常 続き(2)
翌朝。
笪也は朝食を食べる幸祐をじっと見ていた。結局、幸祐への愛の証しは決めきれずに眠ってしまった。朝起きた時、実際に幸祐を見てから決めようと思った。
幸祐はそんな笪也の視線も気にすることなく、味噌汁のお椀を口元に持っていった。笪也はその手を見て、指輪もいいな、と思っていた。幸祐の細い指に指輪をはめる、そのシチュエーションは今の笪也の、俺の印、という想いにぴったりだと感じた。が、となれば自分もお揃いの指輪をはめることになる。めざとい森川がまた何を言い出すかと考えると、あまり目立たない物にした方がいいのか、それならば幸祐にも訊いてみようと思った。
幸祐の顔を見た時、目が合った。すると同時に、笪也の言う、なぁ、と、幸祐の言う、ねぇ、が重なった。
「朝から気が合うな」
笪也は笑ってそう言うと、幸祐から先に言うように目で促した。幸祐は伏し目がちに、少し恥ずかしそうな顔をした。
その顔を見て、笪也はすぐに、幸祐は昨夜寝ている時にキスをしたでしょう、などと言うんだろうなと思った。そしてその返し文句も、お前の寝顔が可愛かったからだよ、と言うつもりでいた。
「ねぇ…笪ちゃんさ、最近体重増えてない?」
「えっ…そうか?」
まったく予測すらしていなかった言葉だった。
確かにここ最近、スーツのズボンのウエストのアジャスターの位置を少しずつ広げているのは事実だった。とは言え、元々筋肉質で肥満とは縁遠く、少しばかり腹部に肉がついたからといって体型が変わるわけでもないと自身で言い聞かせていたのも事実だった。
幸祐と暮らしてから食生活が規則正しくなり、今こうして朝食をきちんと食べるようになったのも一緒に暮らし始めてからだ。お陰で規則正しい食事はできて、あとは運動だなと時折り思うことはあった。
笪也は幸祐がこの腰回り事情がよくわかったなと思った。
「なんで、そう思うんだよ」
「…だって、最近さ、その…終わった時に…」
「何が終わるんだよ」
「だから、その…夜の話しだよ」
幸祐は笪也の顔を見ずに手元のご飯茶碗ばかり見ていた。
「笪ちゃん、終わった後に俺の上に乗っかるだろ…その時になんとなくさ、前より」
「重くなったって?」
幸祐は笪也の顔をチラッと見て、頷いた。
愛の証しを訊くより、断然楽しい話しになってきたと、笪也はニヤついた。
「お前がさ、後からやるのは嫌だって言うから、前からやってるんだろ、で、終わった後にお前がキスをねだるから、お前の上に乗っかるんだよ」
「ちょっと待って…もう、朝からする話しじゃないよ。俺は、笪ちゃんの健康のことを思って言ったんだよ。来月は健康診断もあるしさ」
たまらず幸祐は言ったが、それでこの話しを終わらせる笪也ではなかった。
「お前が、言い出したんだろうが、終わった後の俺が重いって」
幸祐は今ではこの手の話しで顔を赤らめることなく受け答えはできるのだが、出来れば布団の中でだけにしてほしいのが、本音だった。
「だったら、そうだ。お前が俺の上に乗ればいいんだよ」
笪也は凄いことを発見でもしたかのように満面の笑顔で言った。
「そうだよ、そうしたら、お前も重いって思わないし。うん。今晩からそうしよう」
「ねぇ…俺が笪ちゃんの上に乗るとかじゃなくてさ、健康のために、運動がてら一緒に歩こうよ」
「えぇ?…歩くのか?」
さっき笪也の頭に浮かんだ運動の二文字を幸祐からも言われるとは思ってもみなかった。
「俺ね、ゴミの日に、収集場所に持って行ったその足で、近所を二十分ほど歩いてるんだよ。楽に歩ける通りもあるからさ、一緒に歩こうよ」
幸祐がそんなことをしていたとはまったく知らなかった。が、笪也はここから如何にして、また夜の話しに戻そうかと幸祐の顔を見ながら考えていた。
「笪ちゃん、朝、出掛ける時間は早いし、夜は疲れてるし、歩こうって言うのもなぁって思ってたんだけど、健康維持のために、夜に少しだけでもいいから一緒に歩こうよ」
笪也は閃いた。
「なぁ、こうしよう。夜の交換条件だ。幸祐が今晩から俺の上に乗ってやってくれるんだったら、俺も一緒に歩いてみるよ」
笪也は我ながらズルい交換条件を考えついたもんだと思った。幸祐が上に乗るのも、一緒に歩くのも自分に不利なことは何もない。でも幸祐ならのんでくれるだろうと確信していた。
「…本当に歩いてくれる?一緒に」
笪也は首を縦に二回も振った。
「でも…俺、どうやったらいいかわからないよ…だから、その…俺が動かすんでしょ?…上に乗るっていうのは」
「そうだよ…幸祐が腰を振るんだよ」
笪也はニヤニヤが止まらなかった。
「上手くできなくても、イヤにならないでよ」
「わかってるって…やってみないとわからないだろう?…なぁ、自分から動いてさ、気持ちいいところを見つけるのも素敵な経験だ。始めは俺がちゃんとお前の腰を動かしてやるから…慣れてきたら、幸祐の好きなように振ってくれたらいいよ」
笪也は朝から饒舌だった。
「……」
「さぁ。今日も仕事頑張るぞ」
笪也は出勤前の朝の時間に言ったこともない声掛けをして、食器を流しに台に持っていくと、鼻歌交じりに身支度をした。そして、いってきます、と幸祐にキスをすると足どりも軽やかに階段を降りて出掛けていった。
幸祐は一人神妙な顔をして、誰もいないのに後ろを振り返りながら、スマホで検索を始めた。
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