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第8話 二人の日常 続き(7)

「瀬田、お疲れ。成宮さん森川さん、お疲れ様です」  幸祐は休憩中の三人の元にやって来た。笪也は幸祐を一瞥するだけにした。森川は、おう、と言って、幸祐の持っている箱を覗き込むようにした。 「大きな箱を抱えて、何してんだ」  森川は興味本位で訊いた。 「これは、来月の健康診断の告知ですよ。労務の皆んなで手分けして社内に貼ってるんです」 「そんなの社内メールでいいんじゃないの?」  瀬田が言った。 「社員全員にパソコンが割り当てられているわけじゃないし、個人メールでも見落とす人もいてるから、結局、目立つ場所への貼り出しが一番確実なんだ」 「そうなんだ、お疲れ様」  笑顔で答える幸祐の相手をするより、瀬田はもっと笪也と話しがしたかった。 「成宮さんは、健康診断でオプション検査とかしているんですか」 「俺か?そろそろした方がいいんだろうけど、まだやってないよ」 「なぁ、何だよ、オプションって」  森川は幸祐に訊いた。 「健康診断である程度一通りの検査はするんですけど、それ以外で癌とか女性だったら婦人科系の検査もできるんですよ。採血の時に少し余分に血を抜いて、その血液で検査できるんですって。他に、胃カメラとか、その検査費用は自己負担になるんですけどね…いつもの問診票と一緒に申し込み用紙を付けて皆さんにお配りしますので」 「ああそうか、ありがとう」  幸祐は休憩所の椅子に箱を下ろすと、森川に向かって訊いた。 「あの、森川さんって、背が高いですよね」 「あぁ、たぶん社内一かもな」  森川は笑いながら、それが?とばかりに首を傾げた。 「あの、森川さんならこの休憩所でどこに一番目がいきますか?」 「あぁ、その告知を貼る場所か?」  幸祐はニッコリして頷いた。 「そうだなぁ…」  と言って、休憩室の出入り口辺りに移動した。そして戻ってくると 「あの、自販機の横の柱辺りかな」 「ああ、そうですね…ありがとうございます。じゃあ、その柱付近に貼ってきます」  幸祐はそう言うと、お邪魔しました、と一礼して箱を抱えて自販機の方に行った。笪也は興味がない振りをしながらも、幸祐を目で追った。自分からそういう態度をとったのだが幸祐と一言も交わせなかったのは心残りだった。これ以上見ていると、また森川に何か言われると思い、瀬田の方に向き合うと、森川が席を立った。  瀬田は、急にクスクスと笑い出した。 「ほら、頼まれもしてないのに、手伝いに行ってますよ、森川さん」  笪也は、えっ、と言って振り返ると、森川は幸祐のいる方へ向かっていた。  幸祐は柱の横の壁に両手を広げて告知ポスターの仮貼りをしようとしていた。すると森川は幸祐の真後ろから覆い被さるようにして、ポスターを押さえている幸祐の手の上から森川もポスターを押さえた。  笪也からは森川の大きな体の陰に隠れて幸祐の姿は見えなかったが、森川の頭が少し下に向くと森川と壁の間から幸祐が抜け出た。その横顔は笑顔で、そして何やら楽しげに話しをしているようだ。今度は幸祐が森川の後ろに下がった。声掛けをしながらポスターの左右の高さを微調整し四隅をテープで貼ろうとしていた。 「悔しいんですけど、なんか砂田って放っておけないんですよね」 「そうなのか?」  笪也は意外だった。社内では幸祐とはたまに出会うだけで、幸祐の仕事振りやその普段の様子はあまり知らない。 「ええ。同期会でも、女子達は、砂田君こっちに来て一緒に飲もうよって誘われて、いつも引っ張りダコですよ…そんなこと言われるの砂田だけなんですよね」  笪也は、興味がない振りをして、ふぅん、とだけ言った。幸祐に惹きつけられて離したくないのは、自分だけじゃないのかと、森川の様子を見ながら思った。 「まあ、だからといって、男からはあからさまに妬まれることもないし…女子曰く母性本能をくすぐられるらしいです」 「じゃあ、森川は父性の発揮中なのか」 「おそらく、そうでしょう」  たまらず瀬田は笑い出した。が笪也は笑顔になれなかった。さっきは何故森川だけに貼る場所を訊いたのか、皆さんなら、という括りで何故訊かなかったのか、何か釈然としないものがあった。  確かに森川の方が背は高く、一番年長の笪也にポスター貼りを手伝ってくださいなんてことは言えないだろうし、森川が勝手に手伝いにいったのもわかっているのだが、両手を上げて無防備な状態で森川に後ろから覆い被さられた後の幸祐は驚きもせずに笑顔だった。それが笪也の心をモヤつかせていた。  貼り終えた幸祐は、また笑顔で森川に丁寧にお辞儀をして礼を言っているようだった。そして笪也や瀬田の方にも一礼して次の貼り出し場所へ行った。 「パパ、おかえりなさい」  森川が二人の元に戻ってくると、まだ笑い顔の瀬田が、揶揄うように言った。 「なんだ、それ」  森川は、訳がわからない顔を瀬田に向けた。 「さっ、行くぞ」  笪也は無関心を装い腰を上げた。心中穏やかではなかったが、相手が森川ということもあり、また何を言われるか知れたものではないと、気を持ち直した。が、今日は家に帰っても、ただいまのキスは絶対に自分からしてやるもんかと笪也は思った。

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