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第9話 健康診断(4)
笪也は仕事中も、昨夜からの幸祐の態度が気になっていた。
昨夜は、権兵衛から帰ると、幸祐はすぐにシャワーを浴びて、その後もおやすみなさい、と一言って布団に潜り込んだ。いくら鈍感な人間でも、何かあったと気付かないわけはないくらいだった。
笪也もシャワーを浴びて布団に入ると、幸祐は布団を被って寝たふりをしていた。笪也は今日の態度を問い詰めたい気持ちはあったが、布団を捲って幸祐の額に優しくキスをすると、おやすみ、と言って髪を何度か撫で、背中を向けた。
しばらくすると、笪ちゃん、と幸祐のか弱い声がしたが、笪也は振り向かずに、明日話そうな、とだけ言った。幸祐は、うん、と消え入りそうな声で言い、笪也のシャツの裾に手を伸ばすと、ずっと掴んで放さなかった。
いつもと変わらない朝を迎えた。
幸祐はコーヒーが入ったカップを黙って笪也に渡した。何か言われると思っているのか、視線を合わせるのも避けているように笪也は思えた。出掛ける支度を済ますと、笪也は、出来るだけ早く帰るから、と言い幸祐の頬にいつものいってきますのキスをして家を出た。
幸祐は仕事か職場の人間関係か何かに悩んでいるのは間違いないだろうと笪也は思っていた。昨日の朝までは全くいつも通りのであったのに、半日程度で一体何があったのかと笪也を悩ませていた。
「今日は渋い顔をして、何かあったんですか」
森川が訊いてきた。
笪也は考えごとをしていたせいで、お前が投げ飛ばせるって言ったから幸祐が怒っていたぞ、と危うくと言いそうになった。
「あぁ…いや、大したことではないんだ」
「なら、いいんですけど。さっき、瀬田がこっそり言ってきたんですけどね…あいつ、サブリーダーになるみたいですよ」
「そうなのか?」
「まだ正式ではないらしんですけど、兼松課長から内々に打診されたんですよ。額田さん、最近なんかヤバそうでしょ」
「まぁ、万全な体調ではなさそうだな」
笪也は、最近、特に痩せ細ってきている額田の様子を思い浮かべた。眼孔は落ち窪み、頬は削ぎ落ち、元々細身だというレベルではなく、病的な痩せ方だった。些細なことを論 う性格も以前に増して酷くなっているようで、撒き散らす文句にも一貫性はなく、額田が率いるチームメンバーも困り果てていると、瀬田からも話しを聞いていた。
「兼松課長も、さっさと何とかすればいいのに、チルドリンク企画も頓挫しそうですよ」
「まぁ、そうならないように、瀬田をサブに据えようとしているんだろう」
営業部では、いくつもチームが存在する。笪也が率いるチームも現在はお茶の販促を手掛けている。チームのメンバーはある程度は固定されているが、プロジェクトによっては、複数のチームが合わさることもあれば、瀬田の様に離脱させられることもあった。それぞれのチームにはリーダーがいて、笪也もその一人であるが、今までサブリーダーという正式な位置付けはなかった。年功でなんとなくチーム内でサブと称されることはあり、笪也のチームでは森川がそうだった。
笪也は間も無く瀬田がチームリーダーになるのは間違いなく、額田の体調不良でチームが機能不全に陥らないための、段階を踏んだ対策なんだろうと思った。
「瀬田も今まで頑張ってきたからな…うまくチームが回るようにしてくれるだろう」
「そう、それそれ。成宮さんの褒め言葉はアイツの何よりの励みになりますよ」
「お前は、俺のチームのサブだと思っているからな。俺に何かあったら、頼んだぞ」
「またまた…俺は成宮さんのサブでこそ、持てる力を発揮しますから」
笪也は、クッと鼻の奥で笑った。
「俺は、メンバーに恵まれている」
「それは、成宮さんの人徳でしょう」
「この褒め合いはどこまで続けるんだ?」
森川は声を立てて笑った。
その日午後、笪也は今朝幸祐に言ったように早く帰るため、タスクの見直しをした。急な上司からの呼び出しや案件もなく、定時を三十分を過ぎた頃に退社することができた。
幸祐は何を話し出すのか、楽しい話ではないのはわかっているが、解決できないほどの深刻な話しでなければいいのに、と思いながら玄関の扉を開けた。
「幸祐…ただいま」
「あ…笪ちゃん…おかえりなさい…ありがとう、早く帰ってきてくれて」
幸祐はいつもの甘えた声で笪也に寄ってきた。そして笪也にすがるように抱きついた。
「笪ちゃん…昨日はごめんなさい」
笪也は幸祐の顔を上げさせると、ただいまのキスをした。
「ちゃんと話しを聞くから…とりあえず着替えるよ」
部屋着に着替えた笪也は、食卓に置いてある健診結果の封筒を見た。
「忘れずに持って帰ってきたんだな…結果はどうだった?変わりはなかっただろう?お前は」
笪也はこれから聞く幸祐の話しの前座のつもりで訊いた。
幸祐はその封筒を手に取った。
「…笪ちゃん…俺さ、精密検査をしないといけないみたいなんだ…」
「えっ…精密検査?」
「う…ん…いつもの結果用紙と別の紙が入っていてね…至急検査を勧めますって」
幸祐はその封筒笪也に渡した。
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