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第10話 哀哭のはじまり(2)

「もっと食べればいいのに…本当、砂田君は遠慮して」 「いえいえ、充分いただきました。ありがとうございます。ご馳走様でした」 「どういたしまして。まぁ、お昼に食べ過ぎたら午後から眠くなるしね…お詫びが社食でごめんね」 「そんな、僕にも責任の一端はあるのに」  昨日、健診結果の渡し違いをしてしまったことが判明し、村中は幸祐にお詫びで夕飯に誘った。幸祐は自分にも責任はあるから気を遣わないでほしいと言ったが、村中は後輩に迷惑をかけたからと言い張り、結局社員食堂の昼食ということになった。  社員食堂を出たすぐ隣りに休憩室がある。村中は小銭を出しながら自販機の前で幸祐に何を飲むか訊いた。 「あっ…これは僕が」 「もう、何言ってんの。何にする?」 「すいません…じゃあ、オレンジジュースをお願いします」 「へぇ…コーヒーじゃないんだ」 「はい。このオレンジジュースとっても美味しいですよ」  幸祐は大切な人が頑張って作ったオレンジジュースを自慢したかった。 「そうなんだ…じゃあ今日は私もそれにしよ」  村中と二人で休憩室の椅子に腰掛け、早速ボトルキャップを開けた。 「あっ…本当だ、美味しいわね」 「でしょ?…もうこれ最高に美味しいんですよ」  幸祐はニコニコして言った。 「砂田君てさ…女子力高そうね」 「えぇっ…女子力って…歴とした男ですよ」 「そうじゃなくって…がさつなところもないし、清潔感はあるし、美容とかにも気を使ってそうだし」 「たぶん、色が白いからそう見えるんですよ」 「それに、睫毛も長いしね」  幸祐は女の人は本当に細かなところまで見ているんだと、村中の顔をじっと見てしまった。 「知ってる?…砂田君て、可愛い系男性社員の常に上位なんだよ」 「…もう、答えに困りますよ」  幸祐は、それより、と言って額田への謝罪の話しを持ちかけようとした。すると、村中もそのことが気になっていたようだった。 「課長もあの時、通知書を持っていったきりで、その後どうなったか話してくれないもんね」 「そうですよね…額田さんに渡してくれたのかな」 「なんか申し訳ないことをして、謝ってないのは落ち着かないわよね」  週明けに課長に話しをして、二人で謝りにいくことで話しが一致した。 「また、砂田はオレンジジュースか」  そこへ揶揄うような声が聞こえた。幸祐が振り向くと、話しをしたそうな顔の瀬田がいた。 「あぁ、瀬田。お疲れ」  瀬田は村中に、お疲れ様です、と軽く会釈をした。 「じゃあ、砂田君、先に行くね」 「あっ、はい。今日はご馳走様でした」  村中は胸元で小さく手を振って、総務部のオフィスに戻っていった。 「お前ってさ、なんか可愛がられるよな」  瀬田は村中の後ろ姿を見ながら、何となく妬みを含んだように言った。 「なんだよそれ」  幸祐はさっきの可愛い系男性社員の話しを思い出した。自分の知らないところで人は様々な評価をしている。笪也もイケメン社員の上位のランク付けをされているんだろうなと思った。  幸祐の想像を打ち消すように瀬田が話し始めた。 「俺さ、今度サブリーダーになるんだよな」  瀬田は嬉しさを堪えきれないような顔をしていた。 「えっ…マジ?…それってすごいことだろ?…同期で役職者って、まだお前だけだろ」 「まぁな。サブだから役職者っていうほどじゃないけどさ…俺なんかが、って思ったりもしたんだけどさ」 「またまた、ご謙遜を…お前、頑張ったもんな…」  幸祐は、笪也が、瀬田は頑張ってる、と言っていたのを思い出して、つい口にしてしまった。 「へぇ…労務課まで、俺の頑張りが噂されてたんだ」 「あぁ…その…同期だろ、俺達」 「…だな」  幸祐は焦ったが、瀬田は気にかけずに話しを続けた。 「俺さ、やっと成宮さんや森川さんと同じ土俵に立って仕事ができると思うと嬉しくってさ…成宮さんには新入社員の時から育ててもらってさ、額田さんのチームになっても色々相談にのってもらったし、これまで育ててもらった恩返しでさ、成宮さんを支えられるようなビジネスパートナーになれたらなぁ、なんて思うんだよ」  瀬田は熱く語った。幸祐は作り笑いをした。  幸祐にとっては全く関係のない仕事上での話しなのだろうが、割り切れない思いで聞いた。 「まぁ、パートナーと認めてもらえるのはまだまだ先の話しだけどさ、でもようやく階段を一段上がれたんだよ」 「おめでとう、って言っていいのかな」 「あぁ。今度何か奢れよ」  瀬田に背中を叩かれ、幸祐は苦笑いをしながら、了解、と言った。 「瀬田っ!…行くぞっ」  掠れた厳しい口調の声が聞こえた。額田だった。  笪也から話しに聞いていた通り気難しそうな顔で休憩室の出入り口に立って、こちらを睨んでいた。  幸祐はもう少し前だったら村中もここにいたのに、と残念がった。一緒に謝ると決めた以上は一人でするのは控えて、額田の方を見て会釈だけした。  瀬田はやれやれと、額田の厳しい態度にも慣れっこの様子で、幸祐に、じゃあ、またな、と言って額田のもとに走っていった。  額田は瀬田が自分に向かって走ってくるのを見ると、瀬田を待たずに歩き出した。が、急に振り返って、まだ休憩室で座っている幸祐をじっと見た。そして何かに頷いて、また歩き出していった。  その日の夜。  二人は健診結果騒動で行くことができなかった夜の散歩をしていた。  夕飯の時に幸祐は、村中にお詫びで社食で昼食を奢ってもらったことや、自分が可愛い系男性社員のランキングの上位らしいことを話した。  笪也は、照れ臭そうに話すそんな幸祐を愛おしく見つめた。  その後に幸祐は、瀬田のことも話そうとしたが、言葉では言い表せないモヤモヤとした感情が邪魔をして話し出せずにいた。が、笪也の元部下でもあるから業務報告的に伝えておいた方がいいのか迷った末に、散歩の途中でボソボソと話し始めた。 「あのさ…村中さんとお昼食べてさ、その後も休憩室で話してたんだよね…でさ…そしたらさ」 「なんか、歯切れの悪い話し方するな」 「だから…瀬田がそこに来たんだよ」 「…で?」  幸祐は、はぁ、と小さく息を吐き出した。 「なんか嬉しそうにさ、サブリーダーになったんだぁって言ってさ…成宮さんとようやく同じ土俵に立って働くことができるんだ、だってさ」  笪也はすぐに幸祐の胸の内を理解したが、わざと素知らぬ振りをして、話しの続きを促した。 「…それだけか?」 「…いや、まだあるんだけど…」  幸祐は口篭った。そして横で歩いている笪也の小指だけをぎゅっと掴んだ。 「これまで育ててもらった恩返しで、ビジネスパートナーになって笪ちゃんを支えていきたいんだって」  笪也はクスクスと笑い出した。 「お前さ、なんでそんな無愛想な言い方すんの?」 「…別に…いつも通りだけど」 「ウソつけ…正直に言ってみろよ。笪ちゃん、瀬田とこれ以上仲良くしないで、とかさ」  幸祐は立ち止まって、笪也を睨んだ。 「ほんっと…笪ちゃんって、性格わる」  笪也は幸祐の唇をキスで塞いだ。 「もう…誰かに見られたらどうすんのさ」 「もう少ししたら、引っ越すんだから気にすんな」    笪也は幸祐の肩を組んで歩きだした。 「お前って、マジで可愛いな…俺は幸祐だけだ…わかってるくせに、何怒ってんの」 「怒ってないっ…」 「はいはい…シャワーでいっぱい愛してるって言ってやるから」  幸祐は、もう、と言いながら俯いた。そして幸せで、頬が弛むのを感じていた。

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