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第10話 哀哭のはじまり(3)
健康診断の結果の通知書は、受診した社員全員に無事に手渡された。一件の渡し違いに関しては村中はインシデントレポートの提出を江島から命じられた。
その週末、レポートの提出を済ませた村中はため息を吐きながら幸祐にぼやき始めた。
「何を言っても、私が悪いし、完全なヒューマンエラーなんだけど…根本的な解決策っていっても、名前を見間違えないように文字を大きくするとか、カタカナ表記は止めるとか、そうしたところで、結局は、間違えないように複数人の目を通すとかになるでしょう?…もう、病院から直接本人に郵送とかしてもらえないかな…問診票と一緒に封筒も渡して、で自分宛に住所を書いてもらうの、どうかな」
「入れ違いで郵送されるリスクの方が高いですよ」
心配そうに幸祐がそう言うと、村中は、それもそうね、と苦笑した。
「さっき江島課長にレポート出した時にね、額田さんに謝りにいきたいことを言ったら、後にしてくれ、って、また言われたわよ。もう、何回目かしら…忙しいのか避けられているのか、よくわからないけど…でも、週明けにはいかないとって思ってるんだけど」
「そうですよね…月曜日は週明けで忙しいって言われるかもしれませんが、午後一くらいなら、大丈夫でしょう」
「そうね。そうしましょう」
幸祐は今週は本当に目まぐるしい一週間だったと改めて感じた。
今日は家に帰って、笪也と一緒に権兵衛で晩ご飯を食べて、その後、銭湯に行って疲れをとって、帰り道に疏水端を散歩、そして休みの明日、午前中は笪也の腕枕で微睡み、ブランチの後に映画を観る、と、思わずニヤけてしまいそうな想像をしていた。が、そろそろ物件探しも本腰を入れないといけないのを思い出した。
幸祐はこのビルのどこかにいる笪也に会いたかった。会って話したかった。
時計を見ると、もうすぐ昼休憩の時間だった。午後からの仕事を済ませれば、笪也にまたただいまのキスをしてもらえる。
幸祐は、両頬を軽く叩き、ふぅ、と息を吐くと、またパソコンに向き合った。
休日は幸祐の想像通りとはいかないまでも、満足できるくらいに笪也にたっぷりと愛してもらった。
以前、笪也が幸祐を散々怖がらせたサスペンスホラーの配信映画を観た。あの時は、笪也の立てた片膝にしがみつきながら観ていたが、二度目は笪也の膝の間で後ろから抱きしめてもらいながら観た。ストーリーはわかっているのに、それでもビクッとする幸祐に、笪也は笑った。そして、怖がり幸祐、と言いながら細い首筋に何度も唇を寄せた。
映画の後に、ネットで物件を検索をした。今いる所より通勤は少し時間はかかるが、よさそうな物件を見つけ、早速、内見の日程を調整をした。
週明けの出勤。
幸祐は自分のデスクに着くと、傍に来た村中に声をかけられた。
「砂田君…午後一でね」
幸祐は、わかりました、と言い、パソコン起動させながら、書類を出そうと袖机の引き出しを開けた。
「…えっ?…やだ、何…ちょっと…気持ち悪い…」
村中の驚く声に、幸祐も開けた引き出しを見た。
「…な…何で…こんなの…えっ…嘘…」
引き出しの中には、開けるとすぐに目に付くよう表向けで、裸の男二人が抱き合っている写真が入っていた。抱き合っているように見えたが、実際は一人が相手の股間に顔を埋め、口の中に男性器を挿れていた。突っ込んでいる方の男はうっとりとし、その表情まではっきりとわかるくらいの大きさの写真だった。
幸祐はその写真を凝視した。口の中に挿れている男は色白で細身、うっとりとしている男は胸筋や腹筋も逞しい男だった。まるで、俺たちみたいだ、と思った時、村中が思わず引き出しを閉めた。ガシャンと音が鳴った。
「砂田君っ!…大丈夫?」
幸祐は我に返り、あっ、はい、と返事をするのが精一杯だった。
その様子に気付いて、徳村が来た。
「朝からどうしたの?…二人とも」
「…あの…砂田君、いい?」
村中は幸祐にそう言って、引き出しをそっと開けた。
「…まぁ」
徳村は言葉を失った。
三人は顔を見合わせることなく、黙ったままだったが、徳村が最初に口を開いた。
「冗談にしては度が過ぎてるわね…」
「もう、私もびっくりしちゃって」
幸祐は黙ったままだった。
徳村と村中は、幸祐は嫌がらせにショックを受けて黙っている、と思っていた。
「あのさ、念の為に訊くんだけど…最近、誰かに見られてるとか、そのストーカー的な行為とかあったりしなかった?」
村中は心配そうに訊いた。
「そんな…そんなことはない…と思います」
「そう。でもね砂田君、あなたの引き出しに入ってたってことは、言いたくはないけど、社内の誰かの仕業なんだから、しばらくは注意してね。引き出しには鍵をかけてね」
徳村は年長らしく、端的にしきった。
「はい、そうします」
「もう、心配しなさんな。お姉さんが守ってあげるわよ」
村中が優しく言うと、幸祐の表情は少し和らいだ。そして、労務課の他の社員に見られないように、写真をシュレッダーにかけた。
あの写真は間違いなく自分達のリアルだ、と幸祐は思った。あれは全くの別人でイタズラには違いないのだが、幸祐は最初に見た瞬間、いつ誰に盗撮されたのか、とその思いがまず頭を過った。
そして、徳村が言ったように、社内の誰が何のためにこんなことをしたのか、幸祐は全く思いつかなかった。
この事を笪也に伝えるのを迷ったが、隠し通せるわけがないのも実情だ。どう話そうか、と幸祐は頭を悩ませた。
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