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第10話 哀哭のはじまり(5)

 翌日。  幸祐は出勤早々、自分のデスク周りを点検した。そして昨日退社時に施錠した引き出しの鍵をデスクマットの下から取り出して、鍵穴に挿れると村中が話しかけてきた。 「おはよ、砂田君…引き出しは大丈夫?」 「今から、開けるところですよ。デスク周りは何もなかったですけど」 「鍵閉めてたんだったら、大丈夫よ」  幸祐はそっと引き出しを開けた。見慣れた配置で文具や書類があるだけだった。 「たまたま入っていた、とは言い難い代物だけど、でも気にしないで…何か気になることがあればすぐに言ってね」 「はい。ありがとうございます」  幸祐は村中の優しい言葉に笑顔で返した。 「あっ、そうだ。額田さんの件だけど今日こそ謝りにいきましょうね」  昨日は写真の一件があり、村中も幸祐はそれどころではないだろうと思い、話しをしなかった。 「そうですよね。今日は絶対ですよね」  幸祐が村中の方を見ながら、引き出しから書類を出していると、村中が、あっ、と声を出した。総務部のフロアーに額田の姿を見つけたのだ。 「砂田君…額田さんがいる、ほら、あっち」  幸祐は言われた方向を見ると、シニカルな表情の額田と目が合った。額田は幸祐を見据えながらこちらに向かってゆっくりと歩いてきた。 「江島課長はいないけど、今謝ろう、砂田君」 「そうですよね」  幸祐と村中は、デスクの前で立ち上がった。 「あの、額田さん、少しお話しさせてもらってもいいですか」  村中が初めに言った。が、額田はそれを聞いている素振りは全く見せずに、幸祐のデスクの側面に立った。幸祐のデスクは一番端に位置していた。  額田は幸祐をじっと見ると、片側の頬を引き攣らせながら笑った。 「なぁ、砂田。昨日の写真は楽しめたか?…あれだけじゃ足りないと思ってな、今日はこれを持ってきてやったよ」  額田は言い終わらないうちに、手に持っていた雑誌を幸祐の机の上に叩きつけた。バシッという音でその場にいた社員がこちらを見た。叩きつけられた雑誌は筋肉質な裸の男が表紙を飾っているいかにも男性専門誌のようだった。  幸祐は何も言わずに、淫猥な顔つきの額田を見た。まさか額田がイタズラするなんて、一体何の目的があるのか、と思った。  幸祐や村中はその場で動けずにいるとまた額田は、喋りだした。 「なぁ、お前。男と付き合ってんだろ?その相手ってさぁ…成宮だよな。俺は知ってるんだからな」  その言葉に周りが騒めいた。額田の次の言葉を聞きたそうにして、誰もそこから立ち去らなかった。徳村だけが、冷静に営業部に内線電話をかけていた。 「お前ら、付き合って一緒に住んでんだろ?…なぁ」  幸祐は、太ももの辺りでぐっと拳を握った。一息吐くと静かに言った。 「僕の家は会社からかなり遠方で、成宮さんの家は広いので、間借りをさせてもらっています」 「ふぅん。間借りねぇ」 「あの、額田さんにお詫びしたいことがあるんですが、話しを聞いてもらってもいいですか」  額田は幸祐の必死の言い様には耳を貸さなかった。 「お前は間借りすると、家賃の代わりに、いいことするのか?川沿いで、ブッチューってやってただろ」  幸祐の驚いた顔を見て、額田は悦に入った顔をして続けた。 「この間、ツレと飲んだ帰りに駅に向かって歩いてたらよ、男同士で手を繋いで歩いてる奴がいてさ、見たことあるなと思ったら、お前と成宮だったんだよ。まぁ、驚いたのなんのって。で、暫く見てたら、濃厚なブッチューだ。で、お前は成宮に腕を絡ませて、なぁ、そうだったよな…お前さ、迷惑防止条例って知ってるか?お前らが警察に通報されたら大変だろ?だから家でのお楽しみを満喫できるように、俺はお前にこれをくれてやるんだよ」  額田は今度は睨め付けるように幸祐を見た。 「結構です。そのような物はいりません」  幸祐は怯えを悟られないように奥歯を噛み締めながら、額田を睨み返した。 「あぁ、そうか。こんな本がなくても成宮はお上手なんだな」  すると、何人かの走ってくる足音が聞こえた。 それに気付いた額田は、足音がする方をチラッと見るとまた卑猥な顔で笑い出した。 「砂田、よかったな。彼氏の登場だ」  息を切らして、笪也を先頭に森川と瀬田が総務部のフロアーに入ってきた。 「額田さん、何してるんです。そこで」  笪也は問い詰めるように言った。怯えた顔の幸祐と、幸祐の机の上の裸の男の雑誌を見て、昨日の写真は額田の仕業だったんだとすぐに理解した。 「お前らの今後の性生活についてのアドバイスだ。まぁ、お前は上手だって、今、砂田が言ってたけどな」    額田は悪びれた様子もなく、フロアー中に聞こえるくらいの大声で喋り続けた。 「おおい。お前ら。成宮の前に立つ時は気を付けろよ。でないと、後ろからバッコーンって、ケツ掘られるぞ。まぁ砂田は気持ちいいみたいだけどな」  笪也は、ゲラゲラ笑いながら幸祐に顔を近づける額田の襟ぐりを掴んで、幸祐から引き離した。 「おお?可愛い砂田の前で、ヒーロー気取りか?色男。今夜もまたやりまくりだな」  「あんた、いい加減にしろよっ」  笪也は拳を振り上げた。 「笪ちゃん、やめてっ!」  思わず幸祐は叫んだ。そして振り上げた笪也の腕は後にいた森川にがっしりと掴まれた。 「おい、お前ら聞いたか?…たっちゃんやめて、だってよぉ…ったく…毎晩、成宮にケツ突き出して、あぁん、やめてぇ、とか言ってんだろ」  笪也は本気で額田を殴ろうとした。 「成宮さん、だめだっ」  森川は更に腕に力を入れて笪也を止めた。  笪也は掴まれた腕を振り解こうと森川に、離せ、と言おうとした時 「額田さん、あんたおかしいよ。あんた狂ってるよ」  森川は低い声で威圧するように言った。 「誰が、狂ってるんだ。狂ってんのは俺よりコイツらだろっ…そうか…お前もおホモ達なのか?…営業部は変態の集まりか」  笪也は額田の襟首を掴んでいた手で、額田を後へ突き飛ばした。額田はよろけた。そして踏ん張る力もなくデスクにぶつかり、そのまま床にへたり込んだ。  森川は笪也の腕を離すと、額田を見下げて言った。 「額田さん、あんた一体何してんだよ。あんたのその常軌を逸したところ、みんな迷惑してんだよ。あんたにはリーダーになる素質なんてもんは全くないね。今回の人事もそういうことなんだよっ。わかんねぇのかよ。このクソが」 「森川、すまん。もうよせ」  笪也は少し冷静さを取り戻した。  額田はデスクに手を掛けながら、ゆっくりとその場に立ち上がった。   「はぁ?何言ってんだ。俺はなこのホモ野郎がチクったせいで…俺はなずっと前から…ずっと前から今回のプロジェクトを実現するために努力してきたんだ。それを急に、今になってサブの意見を聞けだと?そんなことできるかっ。何が体調管理ができてないだ。そんなことで誤魔化されるか。可愛い振りして裏では男にケツ振りやがって。砂田っ、俺はお前を絶対に許さないからなっ。このうす汚いホモ野郎がっ!」  額田は目の前のデスクに置いてある書類やらパソコンやら電話やらを力任せに床へと薙ぎ払った。総務部のフロアー中に響き渡る音がして辺りは騒然となった。  額田はデスクに手を突いて、はぁはぁ、と肩で息をしていた。

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