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第10話 哀哭のはじまり(6)

 騒ぎがあったすぐ後、その場にいた当事者達が、営業部長の唐田によって会議室に集められた。  額田、森川、村中、そして、笪也と幸祐の五人だ。  会議室の中では、村中と幸祐は隣同士に座り、他の三人は離れて座っていた。そこに、唐田が険しい表情で入ってきた。 「…ったく、営業部のリーダーが二人も揃って一体何の騒ぎだ」  唐田は笪也と額田を代わる代わるに見た。見られた当人達は目を伏せていた。 「本来なら、当事者に個別で話しを訊くのが常套手段なのだろうが、話しの内容に整合性がとれない場合、時間ばかりが無駄になる。私は合理的に事を進めたいのでね。君達は冷静に話しができるくらいの分別はわきまえている、と思っていいね」  唐田はもう一度笪也と額田を見た。黙ったままの二人を見て、話しを続けた。 「今回のこの騒ぎの全容を誰か話してくれないか」  村中が控えめに手を挙げた。 「あの…労務課の村中です。今回のことは、私のミスが発端だと思います」 「君のミス?…が?」  唐田は不可解な表情をした。  村中は健診結果の通知書の名前がカタカナ表記で、幸祐と額田の名前がカタカナだと似ていたため渡し違いをしてしまったことを伝えた。 「先週の水曜日に江島課長に渡し違いの報告をしました。その時、砂田君も一緒でした。江島課長は渡し違いの件は自分が額田さんに説明するからと云われて、通知書を持ってすぐにフロアーを出て行かれました…で、その後で砂田君と二人で額田さんに謝りにいこうと話していたんですが…」 「何を自分らの都合のいい様に言ってんだ」  額田が口を挟んだ。 「額田っ!…今は村中さんが話しているんだ」  唐田の厳しい声が飛んだ。額田は黙った。 「村中さん、続けて」 「はい…江島課長が、いつ、どのようにして額田さんに渡されたのかは、砂田君も私もわかりません。ですが、江島課長が最初にこの件はご自分が取り仕切るような言い方をされたので、額田さんに謝りにいくのも江島課長に承諾を取ってからと思い、何度も早く謝りにいきたいと言ってたんですが、いつも、忙しいから後にしてくれ、と云われ続けました。昨日で、渡し違いをして一週間近くなるので、昨日に絶対に謝りにいこうって、砂田君と話してたら…」  村中は口篭った。唐田は、どうした?と声をかけた。 「すいません…昨日の朝、砂田君の引き出しの中に、裸の男性が抱き合っている写真が入っていました」 「そうなのか?砂田君」  唐田は幸祐に訊いた。幸祐は静かに頷いた。 「社内ではあまり好ましいとは言えないが、君個人の所有物ではないのだね」  幸祐は慌てた。 「はい、もちろん僕の物ではなく…今朝、額田さんから…」  幸祐は額田を見た。額田は他所を向いて、幸祐とは目を合わせなかった。 「額田さんが、昨日の写真は楽しめたか、と言いながら、男性の専門誌を僕のところ持って来て…色々とプライベートなことを言われました」  唐田は、ふぅん、と息を吐いた。が、まだ全容が見えない苛立たしさがあるようだった。 「話せる範囲でいいから、プライベートな部分を聞かせてくれないか」  幸祐は少し迷ったが、ゆっくりと話し始めた。 「今は成宮さんの家に同居させてもらってます。もう二年くらいになります。多少は親しげな行動もあります。ですが、額田さんは何故そのことを皆んなの前で言いふらす必要があったのか、僕にはわかりません」 「お前が意地汚くチクるからだろうが」  額田はそう言うと忌々しい顔をした。  唐田は咳払いを一つした。 「額田。日本語が分からないなら、君の言い分も聞くつもりはない。直ちにここを出て行きなさい。これが最後通告だ」  静かに話す声には凄みがあった。額田は下を向いた。 「成宮。君は何故、総務部のフロアーにいたんだ?」  すると、森川が、すいません、と声を上げた。 「俺に説明させてもらえませんか?唐田部長」 「いいのか?成宮」  森川と唐田は笪也を見た。笪也は頷いた。 「労務課の徳村さんから内線があって、額田さんの様子が変だから、誰か来て欲しいと言われました。成宮さんと瀬田に声を掛けて総務部のフロアーへ駆けつけました。すると額田さんが成宮さんや砂田に、ここで言うのも憚れるような破廉恥なことを言いました。それで笑いながら額田さんが砂田に顔を近づけたので、成宮さんが、引き離そうと額田さんの襟ぐりを掴みました。それでも額田さんは卑猥なことを言い続け、成宮さんが怒って殴りかかろうとするのを、俺がその腕を掴んで止めました。額田さんは今度は俺のことを変態呼ばわりし、成宮さんが額田さんを突き飛ばして、その場に倒れこみ、俺が額田さんに暴言を吐きました。それを聞いた額田さんは逆上してそこら辺にある物を手当たり次第に投げ散らかした、という次第です」  淡々と話す森川に、わかった、と唐田は手を上げた。 「では、額田。君の言い分を聞こう」  額田は数秒黙ってから、誰とも目を合わさずに話し始めた。 「先週の確か水曜日、午前中に兼松課長に話しがあると言われて会議室に行った。で、その会議室には江島課長もいた」  それを聞いて村中と幸祐は顔を合わせた。 「兼松課長から、最近、俺は仕事でよくミスをするが何かあるのか?と訊かれた。俺は特に何もないから、今後は気を付けます、と言った。それなのに瀬田をサブリーダーとして付けるから、これからは瀬田と情報を共有して彼の意見も聞きながら仕事にあたれって…俺は何でも無いって、これからは気を付けるって言ってんのに、いきなりそんなこと言われて」  額田はその時のことを思い出し、話すのを止めて奥歯を噛み締めた。唐田はその様子を見て話した。 「いいか?俺が話しても」  額田は黙ったままだった。 「君が最近よくミスをするという話しは、以前から兼松課長から聞いていた。サブリーダーをつけたいという話しもだ」 「誰にもミスくらいあるはずだ」 「それは分かる、が、そのミスの程度が問題だ。先方との約束の時間を何度も間違えたり忘れたり、君が決裁したこともいつのまにか未決になっていたり、毎回その尻拭いをしているのが瀬田だ。そのことを、額田、君はわかっているのか?君はリーダーなんだから、ミスは誰にもあるなんていう開き直りはやめなさい」  唐田は、額田を見て、話しの続きを促した。額田はやや不貞腐れた顔で話しを続けた。 「それと、俺の体調は大丈夫かと訊かれた。俺は問題はないと言ったら、江島課長が俺の健診結果の通知書を出した。何で江島課長が持っているのか、まして開封された状態でだ。俺がそのことを訊くと、部下が名前がよく似ていたから間違えて開封したと言った。で、その部下は見てしまった健診の結果が心配な内容だったから早く俺に伝えてほしいと言ったそうだ」 「嘘!…そんなの嘘です」   村中は唐田に訴えるように言った。  唐田は村中を宥める様に頷いた。 「俺は嘘は言っていない。江島課長に訊けばいい…で、課長二人が、俺に、再度検査を受けろ、体調管理も仕事のうちだとか言い出した。俺がいくら大丈夫だと言っても聞きはしない。俺は一体誰が俺の健診結果を見て江島課長にチクったのか絶対に見つけてやろうと思った」  額田は幸祐を睨んだ。 「総務部で俺と名前が似ている奴なんて検討もつかなかったが、この間、休憩室で瀬田が嬉しそうにお前と話しているのを見て、確かお前は総務部だったと思って瀬田にお前の名前を聞いたら、下の名前は俺と一文字違いだ。チクったのはお前だと確信した。それで問い詰めようとして、退社後にお前の後を尾けた」  幸祐は怯えとも怒りともつかない顔をした。 「駅近くの商店街の倉庫みたいな所に入っていったが直ぐに出てくると思って近くで待ってたら、そこに成宮もやって来て入っていった。どういう事だとしばらく待っていたら、二人が着替えて出てきた。その後は二人でお楽しみの時間だった」  額田は疏水で見た笪也と幸祐の様子は先程よりはかなり抑えた言い方をした。そして一気に話したせいか、少し息が上がっている様だった。 「なぁ、砂田。間違えたとわかったら、どうして、俺に直接言ってくれなかったんだ…どうして江島課長なんかのとこに行ったんだ…」  額田も冷静になりつつあった。そして同時に自分が起こした事の重大さに気づき始めていた。

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