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第10話 哀哭のはじまり(8)
笪也はいつもの時間に帰ってきた。普段通りに、ただいま、と言うと、幸祐は、バタバタと走り寄って笪也にしがみついた。
「ただいま、幸祐。今日は散々な日だったな…」
幸祐は何も言わずに、笪也の胸元で何度も頷いた。
「そうだ…額田さん、入院になったって聞いたか?」
幸祐は驚いて顔を上げた。
「えっ?…そうなの?…なんでそんなに無理してたんだろう…健康でいてこそ仕事なのに…ご家族も驚いただろうね…」
自分が辛い目に遭っても額田に優しい言葉をかける幸祐を、笪也は愛おしく思った。それにこんな時でも、いつも通りに夕飯を作ってくれている。
幸祐の顎を指先で上げると、ただいまのキスをした。
「あれから、何も言われたりしなかったか?」
笪也は夕飯の水餃子を食べながら訊いた。
「うん…陰では言ってるのかもしれないけど…面と向かっては誰も何も言わないし、江島課長は目も合わせてくれなかったよ」
唐田が江島に話しを訊いたんだと、笪也は察しがついた。
「村中さんは、一日中、カッカしてたけどね…俺はもういいかなって…」
「そうだな…俺とのことが皆んなに知れて、お前が嫌な思いをしなければいいんだけど」
「大丈夫だよ…悪いことしてるわけじゃないし…笪ちゃんこそ、何か言われなかった?」
「森川にはカッコよかったって言われたよ」
幸祐はクスクス笑った。
「森川さんって、面白いし優しいんだね」
「ああ、頼りになるいい奴だよ…それよりこれ美味いな」
笪也は水餃子を箸で摘みながら言った。
「これも、徳村さん直伝のレシピだよ…作り置きを冷凍してたんだ」
笪也は、感心したように、ふうん、と言うと真剣な顔で話し始めた。
「なぁ、この先、もし辛いことがあったら会社辞めていいぞ」
「…えっ?」
「お前一人くらい、俺がなんとかする」
「もう、やめてよ…でも、ありがとう。嬉しいよ…でも俺は大丈夫。ちゃんと働いていけるよ」
幸祐は心配する笪也に、ニッコリと笑ってみせた。
「もういっそのこと、二人でどこか遠いところに行ってさ、誰も俺たちのことを知らない場所でやっていくとか…もうすぐ、ここも引っ越さないといけないしな」
「笪ちゃんらしくないなぁ…何、現実逃避してんのさ…笪ちゃんが今の仕事辞められるわけないでしょ。それに会社が辞めさせてくれないよ」
幸祐は優しい笑顔で諭した。
「俺は、お前が一番なんだよ」
「…笪ちゃん」
幸祐は立ち上がると、笪也の後ろに回って抱きついた。
「笪ちゃん、ありがとう…愛してる」
幸祐は笪也の頬にキスをした。
「仕事と俺、両方ともが一番がいいよ」
「いや、お前が一番だ」
「もう…嬉しいこと言ってくれるんだから…ねぇ、ひょっとして、また、新しいことしようと思ってるでしょ」
「そんな下心は…少しあるかな」
幸祐は、ほらやっぱり、と笑いながら笪也の首筋に軽く噛みついた。
食後、二人で手際よく片付け、シャワーも散歩帰りではないが、一緒に済ませた。
「幸祐、タオルだけでいいからな」
シャワーブースから先に出た笪也はそう言うと、バスタオルを腰に巻いただけで二階に上がった。幸祐も、はぁい、とそれに倣った。
「今晩は俺に任せろ」
「笪ちゃん、カッコいい」
幸祐は笪也といると、どんな辛いことがあっても乗り越えて行けると思った。今も、気分はこれから始まることへの期待感で浮き立っている。
「笪ちゃん…俺、笪ちゃんが傍にいてくれるだけで幸せだよ」
「俺もだ、幸祐」
笪也は幸祐を寝床に押し倒すように寝かせると、腰に巻いたバスタオルを剥ぎ取った。
「…何で今まで気付かなかったんだろ…幸祐、今度バスローブを買おう」
「…バスローブ?」
「そう。シャワーの後羽織るだけだし、パジャマを脱がなくてもいいから、すぐにやれる」
「もう…俺は、笪ちゃんにキスしてもらいながら、脱がされるのが好きなんだけどな…面倒臭い?」
「いや…俺は早くお前に触れたいだけだよ」
幸祐は、ふふっ、と笑うと、笪也の首に腕を回して、キスをねだった。
いつもより深いキスの後、笪也はローションを幸祐のソコに塗り込めると、いつもと違う体位をとった。
「幸祐…こっちの脚だけ上げて」
笪也はそう言うと、幸祐の左脚を持ち上げて自分の肩に乗せた。そして身体を少し右側に傾け、背中に枕を充てがった。
幸祐は笪也の身体と触れる箇所がいつもと違っているせいか、挿れられた時の最初の広がるあの感じや、笪也のモノ自体も違うような気がした。
「ああっ…ん…笪ちゃん」
そして熱くて硬い笪也のモノがグイグイとリズムよく押し込まれてくる。幸祐は少しでも深く受け入れようと少し腰を浮かした。
「う…あぁ…あん…笪ちゃん」
「わかってるよ幸祐…ここだろ」
笪也は、幸祐の一番感じる箇所を摩り上げるように腰を動かした。
「あっ…あぁん…笪ちゃん…そこ、気持ち…いい」
「いいか、幸祐?…もっと、ほしいか?」
幸祐は、うん、もっと、と甘えた声を出した。何故か、今夜は恥ずかしがらずに素直になれる。
「なぁ…いつもより、感じるだろ」
幸祐は、喘ぎ声とともに何度も頷いた。笪也は、まるで肉壁を掻き回すような勢いで腰を動かした。抱えられた幸祐の脚は幸祐の胸元に引っ付くくらいまで押し付けられた。
そして、聞き慣れている濡れた肉同士が滑って出す音は、幸祐にはいつもよりクリアに聞こえてくる。
「ああん…笪ちゃん…いい…凄い」
幸祐の甘い喘ぎ声を笪也は満足気に聞きながら、まだ触れてもいないのに、ぷっくりと膨らんでいる幸祐の乳首を指先で摘んだ。瞬間、幸祐は、いやっ、と仰け反った。
「今晩のお前は、最高に可愛いよ」
笪也の指は幸祐の反応見たさに、挟んだり、扱いたり、弄び続けた。
幸祐は、もう、笪ちゃん、と窘めるように言うと、横を向いた。
いつも抱かれている時の幸祐の視界にあるのは、愛おしそうに見つめる笪也の顔や、逞しい笪也の胸元ばかりだが、顔を横にし、背中にある枕のせいで、いつもは気にしない部屋の窓が目に付いた。
シャッター街の倉庫の二階の窓。
幸祐は、あの時、後を尾けてきた額田は、こんな寂れつつある倉庫に一体何があるのか、さぞかし不思議に思っただろうな、と急に可笑しくなった。
「なぁ…お前、感じながら笑うのは気色悪いぞ」
笪也は腰の動きを少し緩めて、幸祐に言った。
「あん…気色悪いって、ひどいな…もう」
幸祐は、もっと、とばかりに潤んだ目で笪也に動きをねだった。
「わかってるよ…でも、なんで笑った?」
「この間の、額田さん…倉庫に…うっ…あぁ笪ちゃん…そこ…来たでしょ」
「お前なぁ、喘ぐか喋るかどっちかにしろって」
「ぁん…無理…だよ」
「ほら…今言ってみろよ」
笪也は一瞬、腰の動きを止めた。
「やん…止めないでよ…お願い」
甘く切ない顔で哀願する幸祐を、笪也はニヤけた顔で見た。
「もう…そんな顔で見ないで」
「可愛いな、お前は…もう、ダメって言っても止めないからな」
笪也は、ずり上がっていかないよう幸祐の肩を掴むと、さっきよりも一段と激しく幸祐を突き上げた。
もう、幸祐の目には窓おろか笪也の顔すら見えていないようだった。
笪也の甘い愛の囁きと、極致感をもたらす箇所から聞こえる滑った音に包まれて、幸祐は、今この瞬間こそ、自分が望んでいる幸せなんだと思った。
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