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第11話 懲罰人事(1)
週明けの月曜日。
以前、日程を調整していた内見に昨日初めて二人で行ってきた。
不動産会社の担当社員は、笪也とほぼ同年代の男性で、家選びのポイントをテキパキと説明してくれた。自分達の生活で、何を最優先するのかも二人で話しておくことや、時間帯や曜日によっても周りの環境は違ってくる為、もし、ここを候補としてもらえるなら、時間を作ってでもそこの確認は勧められた。
「出来るだけ早く帰ってくるから、今晩、もう一度周辺の雰囲気とかを見に行くか、それか、他も探すか、考えよう」
「そうだね。まだ日があると思ってたら、あっという間に引っ越す日がやってくるよね」
幸祐は、集めたゴミを袋に入れながら言った。
「ゴミ、サンキューな。じゃ、いってきます」
笪也は両手が塞がってる幸祐の頬を挟み込んで、少し長めの、いってきますのキスをした。
「はい…笪ちゃん、いってらっしゃい」
幸祐はいつもより長めのキスをしてもらい、いつも以上の笑顔で笪也を送り出した。
笪也が営業部のオフィスに着くと、森川が先に着ていた。
「おお、森川早いな、おはよう」
森川は、その声で振り返った。
「あっ、成宮さん、おはようございます。昨日、大学の同期の奴からSNSで連絡もらったんですけどね…」
スマホをスクロールしながら笪也の傍にきた。
「そいつ、今海外で教師してるんですよ。で、ランチの写真を送ってくれて…このカップの飲み物…塩っぱいミルクティーらしいですよ」
笪也はスマホを覗き込んだ。
「ミルクティーが、塩っぱいのか?」
「えぇ、ほんのり、塩味があるらしいですよ…それが普通なんだって…でね、少し塩味のある飲み物って、日本じゃ、まだまだでしょ」
「そうだな」
「で、茶葉と岩塩の組み合わせっていうのを考えていたんですよ」
「ふん…なるほどな」
笪也は少し考えると、思い出したように話した。
「俺の親父の話しなんだけど、高校生の時の部活の水分補給は、大きいヤカンで作った塩入りの麦茶だけだったらしくてな」
「ああ…その当時はスポドリなんてなかったですよね」
「そう。で、それがさ、生ぬるくて、クソ不味かったって、スポドリのCMを見るたびに言ってるよ」
森川もその味を想像して、顔をしかめた。
「でも、今はみてみろ。スポドリなんて当たり前になってる」
「本当ですね…この先、塩味のある飲み物も、普通になる時代がやってくるかもしれませんね」
笪也は森川の背中をポンと叩いた。
「森川、お前が時代をつくるんだ」
森川は一瞬、えっ、という顔をした。
「俺が、ですか…」
「そうだよ。お前が作るんだよ。塩味のある飲み物が普通にコンビニや自販機にある時代をな」
笪也の真剣な眼差しを受けて、森川のその目には少しずつ力が漲ってきているようだった。
「はいっ」
森川は力強く返事をすると、自分のデスクに戻った。
始業時間になり、笪也はチームメンバーを集めて、それぞれが担当している業務の進捗状況を確認し、チーム内で情報の共有をした。
すると、営業部のフロアーの外から、唐田が笪也を呼んだ。
「成宮、ちょっといいか」
笪也は朝のチームミーティングも終わりかけていたため、森川に、後を頼む、と言って唐田の元に行った。
「朝から悪いが、ちょっと来てくれ」
唐田はそう言うと、エレベーターの前に立った。
笪也は、額田が入院したこともあり、瀬田のことで何か決まったのか、いやそれなら兼松課長から話しがくるはずだと、考えを巡らせていた。
乗り込んだエレベーターは、滅多に足を踏み入れることがない階に着いた。役員室のフロアーだった。唐田は一番奥にある『社長室』とあるドアをノックした。
中から、どうぞ、と秘書らしき声が聞こえ、ドアを開けると、そこは社長室の前室だった。唐田は黙って秘書に目をやると
「中でお待ちです」
秘書はそう言って社長室の扉をノックすると、来られました、と告げて、重厚な扉を開けた。
そして一時間後。
笪也は営業部のフロアーに戻ってきた。森川は笪也の顔を見るなり声をかけた。
「成宮さん、どうしたんですか?…何があったんですか?」
笪也は無表情で、森川の声も届いていないようだった。
「成宮さんっ!…」
笪也は森川の呼び掛けで、我に返った。
「…あぁ。すまない」
森川はこんな笪也を今まで見たことがなかった。まるで茫然自失とでもいうような顔に見えた。
「どうしたんですか?成宮さんがそんな顔するなんて」
森川の声で、チームのメンバーも心配そうに笪也を見た。
「…ああ。森川、ちょっといいか」
笪也は森川を、営業部のフロアーの隅に設えられたフリースペースに連れて行った。
「森川、お前にだけは、先に本当のことを言っておく」
笪也はそう言うと、森川は身構えた。
「実はな、さっき、社長から出向を命じられた」
森川の顔から、表情が消えた。
「…出向って…なんで成宮さんが…一体何処に」
「高松フーズだ」
森川は、笪也の顔をただ、黙って見るだけだった。
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