61 / 96
第11話 懲罰人事(3)
笪也は、役員室のあるフロアーのエレベーターの前に立っていると、後ろから声を掛けられた。
同期の高崎だった。
「成宮。久し振りだな」
「おぉ、高崎。そうだ、高崎はこのフロアーだったな。同じビル内にいても階が違うと会えないもんだな」
「まぁ、噂だけは勝手にやってくるけどな」
高崎の口を衝いて出たのは先日の額田との一件のことだった。ニヤつきながら言った。
「そうそう他の男どもは、お前が男好きなら入社した時に言っといてくれって怒ってたぞ。お前のせいで女子社員は自分達を見向きもしなかったってな」
笪也は、ふん、と鼻で笑った。
高崎は経営戦略室のリーダーだ。スクエアの銀縁メガネをかけ、一見インテリに見えるが、話すと面白い奴で、仕事も出来る上に口も堅く信頼できる。同期の中でも笪也は高崎のことは気に入っていた。
「ところで…なぁ、お前、いいのか?会社に上手く利用されてないか」
高崎は笪也の脇を小突いた。
「どうして知ってんだよ、出向のこと」
「俺様のネットワークを馬鹿にすんなよ」
高崎は冗談にも見える不適な笑みを見せた。
「ここだけの話しだけど…この数日、唐田さんがよく社長室に出入りしてさ、社長と出向云々の話しをしてるって聞いてさ」
笪也は高崎の顔を軽く睨んだ。
「さては、お前、あの秘書と…」
高崎は、しまったという顔をして、軽く握った拳を口元に当てた。
「いや…まぁ、その、お前だけには話すけど」
高崎は声を小さくして、少し照れた顔になった。
「来年、結婚するんだよ」
「マジか。おめでとう」
笪也は驚いて、声を張った。
「声がデカいんだよ」
「ごめん、悪い」
「でさ、俺、結婚を機に彼女とここを辞めて起業しようと思ってるんだ。お前さ、高松に行くくらいなら俺と一緒に会社やらないか」
突然の誘いだった。
「ごめん。急すぎるよな。でも俺は真剣だ。今すぐじゃなくてもいいからさ、一度考えてみてくれよ。お前ならここを辞めてもすぐに何処かの大手企業からお誘いがくるだろうけど…でも俺が最初にお前に目をつけたことは忘れんなよ」
笪也は、了解、と言って微苦笑すると到着したエレベーターに乗り込んだ。
笪也は頭の中を整理しようとしたが、出向を知った後の幸祐の悲しげな顔が浮かんでくる。額田の一件があったあの夜、お前が一番だと言って、幸祐を抱いた。それから数日しか経っていないのに、社長命令とはいえ、出向を引き受けた自分を、幸祐にどう説明するのか。
会社員である以上、転勤や出向は常にある。それを断ればそれこそ懲戒ものだ。
だが、笪也には正直、野心もあった。いや、野心というより自分にどれだけの力があるのか真価を問うてみたかった。
数年前にオレンジジュースで社長賞を受け、その後、お茶に携り、未だに目覚ましい成果を挙げていない自分が、窮地に陥ってる企業を助ける為に、本当に社長が笪也の力を見込んで抜擢してくれたのか、それとも、また別の思惑があるのか。
いずれにしても自分を試せるこのチャンスを活かしてみたいと笪也は思った。
笪也は幸祐を心から大切に思い誰よりも愛している。出向を選んだ自分の真意をわかってもらえるように話さなければならないが、出向が間近に迫っているこの短い期間で、正直それは難しいように思えた。いや、幸祐を納得させる自信が笪也にはなかった。とは言え、幸祐を一緒に連れて行く選択肢も考えなくもないが、今の高松フーズの状況下では、幸祐の相手をする余裕など全く無いだろう。出向期間は二年と決められている。二年だけ幸祐は、ここで待っていてくれないだろうか、どちらにせよ二年の間は恐らく会うことはできなくなる。
自分を試すのなら、それくらいの覚悟がなければ、無意味だ。勝手な考えで笪也は自分を試してみたい方に舵を切ってしまった。
幸祐にお前が一番だなんて言っておきながら、その舌の根も乾かぬうちに、幸祐に我慢を強いる決断をした。だか、二人のこの先の人生において、各々が挑戦し、成長し、そしてそれが互いを幸せにすることになるんだと、この判断は決して間違いではないと思いたかった。
だが、今回ばかりは出向の理由は懲罰人事のせいにしたかった。
営業部のフロアーに戻り、出向の話しをした笪也は森川だけには、出向する本当の理由を伝えておくべきだと思った。でないと、あの時、止めに入ってくれた森川も出向の責任を感じ、社長に出向取り消しの直訴をしかねない。森川はそれくらい熱い男だと、笪也はわかっていた。
「森川。今回の出向は、懲戒処分での出向だ」
森川は色めき立った。笪也の予想通りの反応だった。
「森川、聞いてくれ。これはあくまで、社員が高松出向と聞いて動揺しないよう表向きの話しだ」
「どういうことなんですか、成宮さんっ」
「まぁ、落ち着けって」
笪也は森川に社長室での話しをした。
「お前が入社した時はまだ、高松出向はあっただろう?今の社長の就任早々、それはなくなった。高松の島流し、なんて高松フーズにとっては不名誉な名前すら付けられ、出向の辞令を受けると辞職する社員もいた。覚えてるか?お前の一年上の奴も出向の辞令が出ると、すぐに辞めただろう」
森川はそのことを思い出したらしく、何度か頷いた。
「社長はそういう無益なことは止めようとしたんだが、今回はどうしても出向しないといけないらしい…高松は倒産の危機に瀕しているみたいなんだ。だからといって俺が行って何が出来るかわからんが。今回の出向をこの間の騒ぎの懲戒処分とすれば、社員からの不穏な空気はなんとか抑えられるだろう。社長はそれを上手く利用して俺が適役となったみたいだ」
「それなら、俺も出向させてくださいよ。成宮さんほど力は無いけど少しは役に立ちますよ、俺だって」
笪也は直向きに言う森川に向かって、優しく言った。
「おいおい。お前まで出向したら、俺のチームはこの先どうなるんだ?前にも言っただろ?俺に何かあればお前が頼りだって、忘れたか?…俺は二年で必ず戻る。だから、それまで頼む、森川」
笪也は森川の肩に手をやった。
「…成宮さん」
森川はどうすればいいかわからない表情をしていた。
「たぶん、数日中には正式な辞令が出る。その時にはチームがまとまるように尽力してくれ」
笪也はもう一度森川の肩を叩くと、頼んだぞ、と笑ってみせた。
ともだちにシェアしよう!

