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第11話 懲罰人事(5)
コーヒータイムで出向の話しの後、笪也が先にシャワーに行った。
幸祐は気持ちを落ち着かせて考えていた。
幸祐は笪也が懲罰を受けるのであれば、自分も従わなけばならないとは思った。が、あと一週間と数日で二年間も会えなくなるのは、どうにも受け入れられるものではなかった。
それなら、自分がディ・ジャパンを辞めて、笪也についていくことはできないのだろうか、笪也はあくまでも一人で行こうとしているようだが、自分に会社を辞めさせて、ついて来させるという選択肢は、笪也には無いのだろうか、などと幸祐は思い巡らせていた。
それに、恐らく笪也自身も、突然の懲戒処分での出向命令を受けて、ショックを受けているに違いない、家に帰ってからも、いつもと変わらないように接してくれていたが、それでも、心を痛めている様に幸祐には見えた。
幸祐は今晩はこの出向話しはこれ以上は控えた方がいいと思った。
そして、先日内見に行った物件も断りの連絡をしておかなければ、と思い出した。本当なら今晩にでも夜の周辺の様子を見に行く予定だったのだ。
次の住まいはどうなるのか、笪也と離れ離れになってしまうのか、幸祐は、出向は決定だとしても、その他はまだ決まってもいないと思い直し、いつも通りに笪也と接しようと、一度大きく深呼吸をした。
幸祐もシャワーを済ませて階段を上がると、笪也はパソコンを開いていた。
幸祐は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出して、コップに入れることなく直に飲んだ。笪也はその様子をじっと見ていた。
「今日は牛乳じゃないんだな」
「えっ?…あぁ…今日は何となくね…どうして訊くの?そんなこと」
「あぁ…いや。牛乳を飲んだ後の幸祐とキスするのがさ…なんか好きだから」
笪也は、何言ってんだ俺は、と思いながらも幸祐を見つめていた。
「ふぅん…知らなかった…じゃあ、先に寝るよ」
幸祐は、笪也の仕事の邪魔にならないようにそう言うと、寝室にしているスペースにいった。
笪也は、幸祐に、あぁ、おやすみ、と言った。昨日までの幸祐なら、はにかみながら、じゃあ、牛乳も飲もうかな、と言っておやすみのキスをしてくれるはずなのに、今夜はそれがなかったことに、笪也は淋しさを感じた。
冷ややかではないが、淡々と、知らなかった、と言って寝室にいった幸祐に、笪也は、おやすみ以外にかける言葉がみつからなかった。
しばらくすると、笪也はパタッと音を立ててパソコンを閉じた。
「俺も、もう寝よう」
笪也はいつもはそんなことを言わないのに、幸祐に聞こえるように言うと、寝室に行った。そして、ゆっくりと布団の中に入ると、幸祐はまだ眠っていないと、笪也はすぐに気付いた。
「なぁ…幸祐。こっち向いて」
背中を向けている幸祐を、自分の方に向けさせようとして幸祐の肩に手を伸ばした。すると、幸祐はその手をかわして布団から出ていった。
笪也はすぐに、避けられた、と思った。あんな話しをした後で抱きしめられたくはないか、と幸祐の気持ちを慮った。が、仕方がないことだと思っても、さっきのそっけない言葉といい、正直ショックだった。
笪也は自分が布団を出て場所を変えて寝ようと思い、無言で布団から出ていった幸祐を呼び戻そうとした。すると、幸祐がまた戻ってきた。
「ねぇ…笪ちゃん。俺、飲んできたよ…牛乳」
幸祐はそう言うと、布団の中に入って笪也の方を向くと体を寄せてきた。
「幸祐…お前って奴は…」
笪也は幸祐の体の上にそっと被さると、目を伏せている幸祐の頬を優しく撫でた。幸祐は急いで飲んできたのか、口の周りが牛乳で濡れていることに笪也は気付いた。避けられたわけじゃなかったんだ、と笪也の心は緩んだ。
笪也自身が負い目のせいで、幸祐をみる目が変わってしまったことに笪也は気付けないでいた。
笪也は、幸祐の口の周りをゆっくりと舐めて、唇を何度も食んで、そして舌を入れた。牛乳の味がした。幸祐の舌を絡めて吸い込むと、あっという間にキスは無味になった。それでも笪也は幸祐の舌や唇を吸い続けた。
この大切な感触をずっと覚えていられるように。
翌日。
笪也は早速チームのメンバーに気取られないように、森川と業務の引き継ぎ始めた。
おそらく、出向の辞令は明日か遅くても明後日には出るだろうが、周りがまだ何も知らない静かなうちに、少しでも効率よく行いたかった。
森川も笪也のその考えを理解して、無駄口など一切なく笪也の一言一句を聞き漏らさない様、要点を書き留めていた。
「成宮さん…俺、大丈夫ですかね」
森川は昼休憩の時にボソッと話した。その顔は滅多に見せない不安そのものだった。
「なぁ、森川。俺は大丈夫だろうか…俺は高松を救えるんだろうか」
笪也も同じように森川に訊いた。
「何言ってんですか。成宮さんは大丈夫に決まってますよ」
森川は即答した。
「だったら、その言葉、お前にそっくりそのまま返すよ」
「…えっ…?」
森川は笪也の顔を見た。笪也は笑っていた。
「森川…どんなことでも最初は不安だらけだ。でもな、俺は仕事においては賭けはしない。わかるか?俺は大丈夫だと自分で確信が持てるから、お前に引き継ぎをしてるんだよ」
「成宮さん…」
森川は、今まで問題なく仕事ができていたのは、この先輩が導いてくれたからだと痛感していた。今も、この先支障なく仕事が回るように懸命に引き継ぎをしてくれている。倒産しかけの社運を背負わされて出向することに比べれば、自分の不安は本当に取るに足りないことのように思えてきた。
「…すいません。ありがとうございます。俺、成宮さんが戻ってくるまで、チームのメンバーとちゃんとやっていきます。だから、安心して高松に行って来て下さい」
「最初から、そのつもりだ」
笪也は森川の背中をバシッと叩いた。森川は頭を掻きながら肩をすくめた。
笪也は、森川のことを、いつも周りに目配りが出来て、些細なことにもよく気が付く男だと思っていた。それは仕事においても利点となっていたが、たまに自分を過小評価して、ここ一番での決断力が弱いところがあった。
森川にはこれからチームを率いることで土壇場にも強いリーダーになってほしかった。
「あっ、そうだ、森川。今日、定時で帰ってもいいか?」
笪也は思い出したように言った。
「あぁ、はい…大丈夫ですよ。急ぎの案件もないですしね」
森川は、この先輩は早く家に帰って愛しい人とこの先のことを話し合わなければいけないんだ、と察した。森川の顔は先輩を思い遣る優しい表情だった。
「お前…何か言いたげだな」
「いや、別に…」
笪也は、笑いながら、悪いな、と言うと、また森川の背中を叩いた。
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