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第11話 懲罰人事(7)

 翌日。  笪也の予想通り、辞令が交付された。唐田から笪也に改めて口頭で伝えられ、人事部のフロアーに面した壁の掲示板の片隅に辞令書が貼付された。  当然の如く社内は騒然とし、あちらこちらで、成宮、高松フーズ、出向、額田、砂田の言葉が飛び交っていた。  総務部のフロアーでも、徳村と村中が幸祐のことを心配した。   「砂田君…まさか、こんなことになるなんて…本当にごめんなさい」  村中は、自分のミスのせいで引き起こされたこの事態に心を痛めていた。 「村中さんのせいじゃないですよ。あの時、僕も気付いていなかったんですから」 「でも…でも、ごめんなさい」  村中は何度も頭を下げた。  幸祐は、一日中、社内のどこにいても、誰かに指を差されて陰口を言われているような気がした。  笪也が出向する本当の理由は笪也自身と森川、経営戦略室の高崎、そして社の上層部しか知らないことだ。あの時、総務部のフロアーであの場面に出会した社員も、真実は誰も知らないが、その時の見たままに主観を加えて話しを広めていたものだから、事実とはかなり湾曲されて伝わっていた。  砂田は成宮と額田を手玉に取って三角関係になった、そのせいで暴力沙汰を起こした成宮は出向させられることになったらしい、と(まこと)しやかに話す社員が多くいた。  高松フーズ出向で社員の間で不要な波風が立たないかという社長の懸念は全く必要なく、ありもしない男同士の三角関係のもつれというゴシップネタが社内を横行していた。笪也の高松フーズ出向はお気の毒様という程度の同情だけだった。  村中も同期から、興味本位で色々と詮索されていた。幸祐のことを可愛い振りをして実は小悪魔的に男を翻弄していたの?などと訊かれることが多くあった。否定はしたが、男と付き合っていたことは事実だ。詳しく話すのはプライベートに関わることだから、と曖昧に話しを逸らし、却ってそれがいらぬ憶測をよぶ羽目になっていった。   「村中さん…今は何を言ってもだめな気がするわ」  終業前、書類をロッカーに片付けている村中に徳村が言った。終日、村中はこの事態に気落ちしていた。 「そうですよね…でも…本当に酷いですよ…男を手玉に取るなんて…砂田君はそんな人じゃないのに…誰を好きになってもいいじゃないですか…」 「もちろん、その通りよ…でも、今それを言ったところで、どうにもならない。額田さんの誤解を招いた張本人も知らぬ存ぜぬの何食わぬ顔して仕事しているんだから、私たちも黙っていた方がいいわよ」 「私、江島課長があんな人だとは思わなかった」 「そうねぇ…江島課長も兼松課長に、俺はいい情報持ってるんだぞ、なんて言ってマウント取りたかったのかもね」 「もう…最低」 「待って、これは、私の勝手な想像だから…でも世の中に大衆雑誌が売れ続ける理由はわかるわね」  そこに、幸祐が総務部のフロアーに戻ってきた。 「砂田君、お疲れ様」 「お疲れ様です」  村中は幸祐のいつもと変わらない様子を見て、余計に心苦しくなった。 「砂田君…私で出来ることがあれば何でも言ってね」 「本当ですか?…仕事以外のことでも?」  笑顔で訊く幸祐に、村中は大きく頷いた。   「じゃあ今度美味しい物でも食べさせてくださいよ」 「もちろん、何でも好きなの言って」 「やったぁ…ありがとうございます。約束ですよ」  幸祐は嬉しそうな顔をしながら、帰宅準備をした。 「じゃあ、砂田君…今日は本当にお疲れ様。早く帰ってゆっくり休んで、また明日ね」 「はい、そうします。お先に失礼します」  徳村の言葉に幸祐は頭を下げて、フロアーを後にした。  その日の夜。  笪也の帰りはいつもより、かなり遅い時間だった。 「笪ちゃん、お帰りなさい」  疲れ気味で、ただいま、という笪也に努めて明るく、おかえりを言うと、笪也に寄り添ってキスをした。 「幸祐…大丈夫だったか?…今日一日」  笪也はネクタイを緩めながら訊いた。 「なんかさ、俺、凄い人になってるみたい」 「凄い人?」 「そう…男を手玉に取る、極悪人」  疲れている笪也も、さすがに幸祐の言葉に面食らった。 「なんだよ…それ」 「笑っちゃうよね…バカらしくてさ。笪ちゃんはどう?」 「あぁ…仕事の関係先へ出向の連絡に明け暮れたよ」  幸祐は、本当は笪也からそんな仕事上の話しを聞きたいわけではなく、社内のバカな話しを否定して、優しい言葉で慰撫してほしかった。  笪也は、幸祐が云う極悪人にも、さして興味もない様子で部屋着に着替えていた。     「でね、村中さんが、今度美味しい物食べさせてくれるって」 「へぇ…よかったじゃないか」  口調は優しいが、それ以上何も言わない笪也に、幸祐は、うん、と言うと、笪也の遅い晩ご飯の用意を始めた。コンロに火を点けて、味噌汁を温めた。涙が溢れそうになった。 「笪ちゃん、俺さ今日は先にご飯食べたんだよ」 「あぁ…帰るの遅かったからな…コーヒーは一緒に飲もうな」 「…そうだね」  幸祐は笪也の言葉に振り返ることなく、喋った。笪也の顔を見ると益々泣きそうになる。  笪也は一人で食事をすることになったとわかると、食卓に座ってすぐに、パソコンを立ち上げようとしていた。  幸祐が出向を受け入れようと、そうでなかろうと、確実にその日はやってくる。幸祐は何か言葉を交わせば、それは別れて暮らすことへの序章だと思った。  あと何回、一緒に食事ができるのか、あと何回、一緒にコーヒーが飲めるのか、あと何回、キスをして、幸せだと感じることができるのか。涙を堪えようとすると無口になる。  幸祐はトレーに笪也の晩ご飯をのせると、食卓に運んだ。そして、ゆっくり食べてね、と言うと乾燥機から洗濯物を取り出しに階段を下りていった。

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