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第13話 トッキーにて(1)

 有給休暇が二週間ほど過ぎた日曜日の夕方、幸祐は徳村の夫が経営する喫茶店『トッキー』にやってきた。  そこは、バス通りから少し住宅街に入った、静かな所だった。トッキーは、白のブリックタイルを施した外壁、アンティーク風の木製ドア、そのドアハンドルに真鍮製の小鳥が止まっている、そんな温かみのある外観の店だった。   「こんにちは…」  幸祐は窺い見るように店内に入ると、いらっしゃいませ、と男の声がした。その声に続いて、毎日聞いていた声も聞こえた。 「ああ、砂田君、いらっしゃい。待ってたわよ」  満面の笑顔で出迎えた徳村は、幸祐をカウンター席に勧めた。  落ち着きのある生成り色を基調とした店の中には、二、三人座れるカウンターと四人掛けのテーブルが三つあった。店にいる客は、近所の主婦らしき二人連れのみで、窓際の席で楽しそうに話していた。  幸祐は勧められたカウンター席に座った。 「砂田君、紹介するわね。うちの主人の徳村…あぁ、砂田君からしたら二人とも徳村になるわね…ここではマスターでいいわよ。で、私は良子さんね。それでこの人ね、ディ・ジャパンで働いていたのよ」  幸祐は席から立ち上がり、初めまして、と恐縮したように頭を下げた。マスターは笑いながら、幸祐に座るように言った。   「初めまして、砂田君。君が入社した時から良子さんが色々話してくれてね…私は砂田君のことは何でも知ってるんだよ」 「もう、何でもってことはないでしょう…砂田君の入社と入れ違いかしらね。マスターが辞めたの。マスターは庶務課長だったのよ」  マスターは痩せ型の長身でセルロイドの丸眼鏡をかけ、ほのぼのとした雰囲気を持っていた。 「以前、村中さんから聞いたことがあります。徳村さんは社内恋愛なのよって」  良子は、そうなんだ、と笑いながら、幸祐にメニューを見せた。 「砂田君、好きなの言って。庶務課長が何でも作ってくれるわよ」 「それじゃあ、アイスココアお願いします」  マスターは、了解、と言ってグラス棚に手を伸ばした時、窓際の客が、ごちそうさま、と言って会計をしにカウンター傍に来た。  会計を済ませ客を送り出した良子にマスターは目配せをした。頷いた良子は、closedのプレートを表のドアハンドルに掛けて、ブラインドを下ろした。  それを見た幸祐はまた恐縮した。   「すいません…閉店時間なのに来てしまって」 「何言ってるの…砂田君とゆっくりと話したいからよ…ねぇ、マスター」 「あぁ…そうだよ。せっかく来てくれたんだから。ディ・ジャパンの先輩後輩同士で話そうじゃないか」  マスターはアイスココアを幸祐の前に出した。 「成宮君が砂田君と付き合っていたって聞いてね、私は得心したんだよ」  マスターはいきなり直球を投げてきた。 「ちょっと、お父さん」  良子は慌てて普段の呼び名で言った。 「いやね、成宮君が入社した時は、本当に凄かったんだよ。女性職員が色めいたのなんのって。でも彼はいつも涼しい顔をしてね、で、皆んなに優しい声をかけるんだ。モテ男全く自覚なし、ってよく言われてたよ。要するに彼は女性には興味はなかったんだね」  幸祐は話しを聞いて淋しげに笑った。そして、今日ここに来たのは、無理にでも心の内を話しにいらっしゃいと言われたからだ、と思い出した。 「あの、僕も良子さんって呼ばせてもらってもいいですか?」 「ええ、もちろん。会社じゃないんだから良子ちゃんでもいいわよ」  良子は突然の幸祐の要望におどけて応えた。幸祐は意を決して話し始めた。 「マスター、良子さん。聞いてください…僕は何がいけなかったんでしょうか」  幸祐は、瀬田に言われたことや、出向することに気持ちを切り替えた笪也に対して激怒されることを言ってしまったこと、そして最後は別れて、祖母の家に戻ったことを詳らかに話した。 「そうだったのね…だから急に辞めることにしたのね…辛かったわね、砂田君」  良子は優しく言った。  そして、良子も、幸祐がディ・ジャパンを去った翌日に、江島に手痛いお仕置きをしたことや、そのせいで知り得た、笪也が出向することになった本当の理由を、幸祐に話した。  真相を知った幸祐は、アイスココアのグラスを掴んだまま何も言えなかった。

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