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第14話 帰任(1)

 あれから、一年と十ヶ月が過ぎ、笪也は、ディ・ジャパン本社に帰任した。  笪也は役員フロアーにある常務取締役室でソファに座り、その部屋の主を待っていた。  すると、ガチャッ、とドアハンドルの音が聞こえた。 「お疲れだったな、笪也」  そこに入ってきたのは、営業部長から異例のスピードで昇進をした唐田だ。   「よしてくれ…もう、あんたとはその名前で呼ばれるような関係ではない」  唐田は、幸祐の前に付き合っていた男だった。  笪也は、片眉を上げてニヤつく唐田を睨んだ。そして儀礼的に立ち上がり唐田に向かって一礼した。唐田は笪也の対面に腰を下ろすと、笪也もそれに倣った。   「二年足らずで、常務取締役か…あんたの処世術には恐れ入るよ。とりあえずは昇進おめでとうございます」  笪也は皮肉もこめて賛辞を送った。   「久々で、いきなりそれか…まぁいい。しかし思い切ったことをやってのけたな、お前は。お陰で会長はお大喜びだ。社長は高松フーズとの関係を切るつもりが、その繋がりを益々強固なものにされたと、少々ご機嫌斜めだ。今日は経営者交流会で留守だが、そのうち嫌味の一つくらいは言われることを覚悟しておけよ」  唐田は他人事のように笑った。  一年十ヶ月前。  高松フーズに出向してきた笪也に、社長の高松は早速、赤字脱却として、コストの削減や売上増加など、よくある計画を話した。  問屋業自体が危機に瀕しているのに、その程度のことしか行わずに手をこまねいていたから二期連続の赤字を招いた、と笪也はいきなり社長の計画を批判した。    高松社長には息子と娘がいた。妻は数年前に病気で他界し、その子供達はそれぞれ家業の経営に携わっている。その息子の高松浩之(たかまつひろゆき)は、新たな事業を推し進めるべきだと父親に進言をしていた。  問屋業の強みを活かして、セレクトショップやアンテナショップを始めることだった。  笪也はそれも一蹴した。既に大手商社がしていることを新参者がやったところで、潰されるか吸収合併されるのがオチだと言い放った。  笪也は高松社長に、まだ抵当に入っていない広大な土地や建物を活かして、第一次産業をするべきだと提言した。  笪也は正式な出向の前に、挨拶で高松フーズにやって来た時、社屋の他に広大な土地に高松フーズがかつて繁盛していた時に使っていたと思われる搬入口もある大きな倉庫を確認していた。そこを野菜栽培工場に造り替え、栽培された野菜は、ディ・ジャパンが事業展開としてウェルネス事業を発足して商品化する、という計画を考えた。    まるで雲を掴むような話しだが、笪也には勝算もあった。  創業当時のディ・ジャパンは販路開拓で高松フーズから恩義を受けていた。今度は、ディ・ジャパンが高松フーズが栽培した野菜の販路先となる。そしてディ・ジャパンは健康志向をより具現化して健康嗜好として商品を作る。高松フーズにとっても販路は確約され、ディ・ジャパンもその原材料となる野菜は天候に左右されずに安定的に確保することができる。会長の賛同を得られると見込んでの計画だった。    笪也は、まず、経営戦略室の高崎に、この計画について意見を求めた。高崎からは、悪くないと、協力を得ることができた。  足掛かりとして高松フーズ側から息子の浩之にこの計画を話した。驚きを隠せなかったが、笪也の勝算を聞き、考えぬいた末、途方もないその計画に乗る決断をした。そして浩之と共に主力銀行の融資担当者に赤字脱却の対策としてこの計画を相談した。  一方ディ・ジャパン側には、高崎に、ウェルネスの必要性と、その事業部の発足を役員会で進言するよう依頼した。そして必ず会長を味方につけるようにと付け加えた。    紆余曲折を経て両社のトップからこの計画への決裁が下りた。会長の強力な後押しも大きく影響した。遂に計画はじわじわと動き始めた。  かつての両社ウィンウィンの関係を再現させるべく笪也は決死の覚悟でこの計画に取り組んだ。

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