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第14話 帰任(3)

「辞めてなかったのか?額田さん」  笪也は驚いて唐田を見た。人伝てに、額田の病状はかなり悪いと聞いていた。   「ああ、病気療養で休職中だったんだ。一時は危なかったそうだが、なんとか寛解にまでこぎつけたみたいだ。主治医からは制限はあるが働いてもいいと、お許しが出たそうだ」  「そんな身体で一体何ができるんだ?」 「まぁ、営業部は無理だが、人事がなんとかするだろう。古巣の経理部に戻して、在宅勤務でもさせるのかもな」  唐田は、それより、と言って、額田の家族の話しを始めた。   「一度目の手術の後に見舞いに行ったんだが…額田の病室から、どこかで見覚えのある高齢の男性が出て来てな、帰り際に額田の奥さんにその男性のことを訊いたんだよ」  唐田は、これから話すことに笪也はどんな反応をするのか、窺うような目をして言った。 「奥さん曰く、その男は自分の父親で、明洛スチールの社長なんだ、ってな。つまり、額田の奥さんは明洛スチールの娘だったってわけだ」  明洛スチールは、ディ・ジャパンのかつての缶材料の主要な仕入れ先だった。ペットボトルの普及で缶飲料の種類が減ったことで、取り引きは激減し、今は無いに等しい状態だった。   「そういうことか…」 「あぁ、そういうことだったんだよ」  入社時から経理部一本でやってきた額田が、営業部への転属願いを出して、苦労の末にチームリーダーになったのは、妻の実家の助けになろうとしたんだ、と容易に推察できた。  笪也は、額田のあの事件後、どうしても腑に落ちなかった額田の動機がようやく垣間見えたが、納得できるものではなかった。 「…にしても、高松フーズもその明洛スチールも時代を読み違えている」  笪也は、額田への追想を断ち切るように言った。   「じゃあ、またお前が出向してやるか?」  唐田は意地悪く言った。   「よしてくれ、そんな冗談。次、出向なんてことをしたら、間違いなく、俺はここを辞めるからな」 「ふん。お前は絶対にディ・ジャパンを辞めないさ」  笪也が立ち上がろうとした時、唐田がほんの少し愛惜の情を浮かべて訊いた。 「なぁ、笪也。住む場所はもう決まったのか?」 「いや。これからだ…とりあえず荷物を預かる場所を探そうと思ってる。当面はビジホだ」 「あのマンション…そのままにしている。まだ、決めていないんだったら、あそこに住まないか?俺がたまに仕事で使っているくらいだから」  笪也は、唐田のその言葉で、出向が決まった時から小さな棘のように引っかかっていたことが、確信に変わるのを感じた。    唐田とは、成熟した大人の付き合いをして、後腐れなく関係を終えた筈だった。額田の一件で、唐田にも、幸祐との仲を知られることになった。そして、直後の出向話しだ。あまりにもタイミングが合い過ぎている。唐田が社長室へ何度も出入りしていた、と高崎が言っていたことを推し量ると、唐田は、笪也を幸祐と別れさそうと考えたのではないかと。   「…それは、俺を会社のために生け贄にしたことへの、贖罪のつもりか?…それとも、あんたが企んだ筋書き通りに、ことを進めようとしているのか?」     「…まぁ、どちらでもいい。だが、お前は生け贄にされようが、陥れられようが、見事に復活して、またここに戻ってきてくれたんだから」 「人をゾンビみたいに言うな…あんたと俺はもうそんな関係ではない。ただの上司と部下だ。そうだろう?」 「あぁ…そうだな。まぁ、無理にとは言わん。だが、たまには誰かを頼れ」  曖昧に、はぐらかされた、と、笪也は思った。   「わかった…どうにもならない時は頼るかもしれない…これでいいか?…俺は今回の出向はチャンスと思った、そしてモノにした。そして、あんたは、常務の椅子を手に入れた。だからもういいだろう?…次は間違いなく、辞めるからな」 「何度も、釘を刺すな…わかったから…」  唐田は、はぁ、と諦めたように溜息を吐いた。    常務室を出た笪也は、書類上の手続きで、総務部に行った。遠巻きに笪也を見て何か言っているが、紛れもなくそれは賛辞だった。笪也はそれに応えることなくフロアーを出ると、営業部には顔は出さずに、そのまま会社を後にした。  ネットで貸し倉庫を探したが、手頃なものは近隣には見当たらず、どうしたものかと考えていると、いつの間にか駅に向い、各駅停車に乗っていた。  そして降り立ったのは、高架化工事の完成と共に、周辺の街並みも生まれ変わろうと大規模な建設工事中のあの駅だった。高架駅からは、未完成の駅前デッキと、かつて商店街があった場所に、新たに建設中のビルを覆う白く大きな防音シートが見えるだけだった。  笪也は人の流れを避けながら、ゆっくりと歩いた。  心から愛した男と過ごした甘く濃密な二年間は、間違いなくこの街にあったと、移り変わろうとしている目の前の景色に向かって、心の中で呟いた。

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