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第15話 もう一度(2)

「ちょっと…そこの人。大丈夫ですか」  笪也がその声に気付いた。  地域のパトロールで赤色灯を点灯させたパトカーの助手席から、警官が怪訝な顔でこちらを見ていた。 「…あっ…すいません、大丈夫です」  笪也は驚いて、直ぐさま答えた。警官は、まだ訝しんでいた。   「ホント?…小さい方の人、大丈夫なの?」  幸祐も慌てて、はい、すいません、と大きな声で言った。  質問をした警官は運転席側の警官と顔を合わせて頷くと、ほどほどにね、と言って、パトカーを出した。  笪也は、幸祐の肩から手を離した。  幸祐は、笪也の顔を見ると、照れ臭そうにして涙を拭いた。 「ねぇ…笪ちゃん。もう少し時間あったら、店に来ない?また、職質されたら困っちゃうしね」  笪也も、クスッと笑って、そうだな、と言った。    道を渡って店の前まで来ると、どういうわけか、店はシャッターが下ろされていた。 「ああ、もう、トオルの奴…ちょっとくらい、いいだろう…ったく」  幸祐は愚痴った。そして屈んでシャッターを開けた。  笪也は、思い切って訊いてみた。 「なぁ…トオルって…」  幸祐は、笪也が最後まで言うのを待たずに答えた。 「えっ?…弟だよ」  笪也は、その言葉を聞いた瞬間、頭や心の色々な何かが、一斉に溶け出したような感覚に襲われた。 「あ…弟…ね」 「紹介しようと思ったけど…ごめん、痺れ切らして出て行ったみたい。平日だけ、バイトで来てるんだよ。今日は夕方から友達と会うから早く上がるって聞いてたんだけど…俺が戻るの待ってられなかったんだな。」 「あぁ、それなら…駐輪場のフェンスの所で見かけたけど」 「イラついて、様子見に来たんだ」  幸祐はそう言ったものの、あの状況じゃ、声はかけられないか、と一人でクスリとした。  笪也は、まさか弟だったなんて勘違いもいいところで、あの時、幸祐の腕を離さなくてよかったと、自分の心に従ってよかったと、心の底から思った。そして、この勘違いを、いつか、幸祐に笑い話しとして話してやりたいと思った。  幸祐はシャッターを半分だけ開けると、笪也を店に招き入れた。数種類のパンが並べられた、ガラスケースの脇を抜けると、店の中は、狭い間口に対して、案外奥行きがあった。  幸祐は、奥は厨房で、今、二人がいる作業スペースの一角にある階段を上がったその二階で暮らしている、と店の様子を伝えた。 「幸祐の店か…ここで、暮らしてるんだな」  笪也は、店内を見回して、感慨深げに言った。   「うん…二階はここよりちょっと狭いけど、店と一緒だから楽でいいよ。通勤時間はゼロ分だよ」  笪也は、ほんとだな、と笑った。  作業スペースの壁の棚に、見覚えのある湯呑みと大きめの写真立てが置いてあるのが、笪也の目についた。  その写真立てには、元気だった頃の権兵衛夫婦の写真と、何故か一万円札も一緒に挟まれていた。 「大将と女将さんじゃないか」 「そうだよ…ねぇ、それより笪也ちゃん、こっちに座って」  幸祐は作業台の前の丸椅子に笪也を座らせた。そして、ガラスケースから細長いロールパンに揚げ物を挟んだパンを一つ出すと、缶コーヒーと一緒に、どうぞ、と言って笪也に勧めた。 「幸祐が作ったパンか…旨そうだな」  笪也は、いただきます、と言ってパンを袋から出すと、一瞬、顔つきが変わった。そして、確かめるようにかぶりつくと、笪也は目を見開いて、幸祐を見た。  幸祐も、笪也のその反応が嬉しくて、食い入るように笪也の顔を見た。 「幸祐。これ…権兵衛のハムカツじゃないか」  幸祐は満面の笑顔で何度も、うん、うん、と頷いた。 「そうなんだよ…ああ、よかった。笪也ちゃんにわかってもらえて…権兵衛の味を知っている人に言ってもらえて、本当にホッとしたよ」  幸祐は、棚の写真に向かって、やったよ、と、サムアップした。

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