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第15話 もう一度(3)

 幸祐は、笪也が食べ終わると、ハムカツサンドを作ることになった話しを始めた。  幸祐は、徳村夫妻の店『トッキー』に行った日から、次は飲食に関わる仕事もいいなと思い始めた。笪也と暮らし始めた頃から通っているパン教室も、もう少しで、プロを目指すクラスに入れるまでになっていた。  祖母の家で暮らすようになっても、教室には通いたいと思っていた。幸祐は講師にお願いして、クラスを昼間の時間帯に変更してもらった。  始めて昼時間でのレッスンを終えた後、幸祐は、権兵衛に行こうと思った。今の時間なら、まだ客も少ない筈だし、鍵を預けたお礼を言いたかった。  権兵衛の暖簾をくぐって、引き戸を開けると、思った通り、客はまだ誰もいなかった。 「大将、こんにちは」  幸祐が声を掛けると、厨房から大将が顔をだした。 「あぁ。コウ君、いらっしゃい」 「大将、この間は、鍵すいませんでした、助かりました」 「そんな大袈裟な…ナルさんも、急に転勤になって、コウ君もおばあちゃんとこに引っ越してさ、淋しいってもんじゃないよ…で、今日はなんか用事か?」 「うん…鍵のお礼を言いたかったし、それよりハムカツが食べたかったんだよね」 「嬉しいこと言ってくれるじゃないか…じゃ、今、揚げたて食わしてやるから、待ってな」  大将は厨房に戻った。 「ねぇ、大将。女将さんは?」 「ああ…ちょっと持病がな…まぁ、そんな大したことないんだけどさ。昼は店に出てるけど、夜は休んでんだよ」 「そうなんだ…お大事にね」  大将が、ありがとよ、と言った時、店の引き戸が開いて、威勢のいい声が聞こえた。 「大将。七人だけど、いける?」  スーツ姿のいかにもサラリーマン風の男たちだった。   「あぁ、お久しぶり。席は空いてんだけど、今は俺一人だからさ…そんな大した物は作れないけど、それでもよかったら…」 「ああ、いいよ。ビール飲ませてくれたらさ」  テーブル席に七人が座ると、店の中は一気に賑やかになった。 「コウ君、直ぐできるからな。悪いな」  大将は厨房から出て来て幸祐にそう言うと、ビールを冷蔵庫から出した。 「大将。俺、手伝うよ。ビールくらい運べるよ」  大将は、一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに嬉しそうに、そうか?悪いな、頼むよ、と言って、厨房に戻った。  幸祐は、勝手知ったる様子で、お盆に人数分のおしぼりとコップを乗せた。そして男たちのテーブルに運んだ。 「お待たせしました。ビールです」 「あれ?新しい子?」 「はい。今日だけ女将さんのピンチヒッターです。ご注文は何にします?」 「そうだな…お薦めは…」 「それは、もちろんハムカツとアジフライですよ」 「いいね。じゃあ適当に盛り合わせて持ってきてよ」 「はい。ありがとうございます」  幸祐の様子を厨房から見ていた大将は、あいよ、と言って調理に取り掛かった。 「コウ君。悪いが、お通し、そこの冷蔵棚から、適当に持ってってくれるか」  幸祐は笑顔で、了解、と言った。  その後も、一人二人と客が来るたびに、幸祐は注文を取って、出来上がった料理を運んだ。会計は大将がしたが、それ以外の接客は幸祐がやってのけた。    八時過ぎになって、一旦、客足が落ち着いた。大将は早めに暖簾を下げた。 「いやぁ…コウ君、本当に助かったよ。悪かったな、腹減っただろ?…ほら、たくさん食ってくれよ」  大将は幸祐のハムカツを運んでくれた。 「いいえ。俺の方から言い出したことだし。楽しかったですよ」 「そうかい?…そう言って貰えると、助かるよ…でもよ、やっぱり一人はな…今日みたいに急に大勢で来られたら、どうにもならねぇ…夜に店やんのも考えもんだ」  すると、幸祐は、大将に向かって、ここでバイトさせてください、と気が付いたら、言っていた。 「えっ…コウ君」  大将は、幸祐の突然の申し入れに唖然とした。 「気持ちは嬉しいが、たいしたバイト料も出せないし、コウ君は、また会社勤めの方がいい。絶対にな」  大将は諭すように幸祐に言った。  鍵を預けた時に、ディ・ジャパンを辞めて祖母の家に帰ることを、大将に話していた。幸祐は、知人の喫茶店に行ってから飲食の仕事がしてみたくなった今の気持ちを大将に聞いてもらった。  大将は、二階で休んでいる女将を起こして、店に来させた。 「コウ君、お久しぶり。今、お父さんから聞いたけど、今日はありがとうね。私も無理がきかなくなってね」  女将はパジャマ姿だった。それが余計に体調が悪そうに見えた。 「私は、お父さんに任せるわよ」  大将は腕組みをしながら、うぅん、と唸った。   「そうだな…コウ君にバイトに入ってもらえたら、お前も、もう少し昼の時間も楽になるしな」  大将のその言葉を聞いた幸祐の顔は、一気に明るくなった。 「じゃあ、コウ君、お願いしてもいいか」 「はい。ありがとうございます…じゃあ、大急ぎでこの近くで物件探します」 「それだったら、ねぇ、お父さん…武史の部屋」 「そうだ、コウ君。息子の部屋が空いてるから、そこ、どうだい?…バイト料、そんなに払えねぇから、住み込みで、家賃を浮かせるってことで」 「本当ですか?…で、実は、まだ有給中で、副業禁止の会社なんです。バイト代をいただくのは正式に辞めてからになりますので、しばらくは住み込みのお手伝いってことで、お願いします」  幸祐は、その二日後から、権兵衛で住み込みで手伝いをすることになった。

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