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第15話 もう一度(4)

 大将は、この間の手伝いを見て、幸祐は接客は大丈夫だと確信し、それ以外のことから教えた。幸祐の住み込みの利点を活かして開店前の仕入れにも同行させて店選びや品物の見定め方のコツの説明した。また、店が暇な時は、実際に調理をしながら、店で出す料理の作り方を教えた。それ以外にも、原価率の計算や確定申告の方法など、店の経営に関わることまで、権兵衛が、これまで培ってきたノウハウを、惜しみ無く幸祐に伝え教えた。それは、まるで幸祐がいつか自分の店を出すことを見込んで、教えているようだった。幸祐も一言一句漏らさず聞いて身につけようとしていた。  幸祐が働いたことで、昼営業の忙しい時間帯でも、女将は客の注文を訊くことと会計をするだけで、店は充分回っていた。  そして、権兵衛で働いて半年が過ぎる頃には、幸祐は、揚げ物以外は、何でも作れるようになり、仕入れも一人で行けるようになっていた。  幸祐が権兵衛の店員として、力をつけてきたのと反比例して、女将の体調は悪くなる一方だった。昼営業だけは、毎日店に出ていたのが、隔日になり、やがて座ってしている会計すら辛そうな日もあった。  大将は、女将に店に出ることをやめさせた。女将は、大丈夫だと言い張ったが、主治医からも、無理は禁物だと言われた為、店の二階の自宅で、寝たり起きたりしながら、簡単な家事や店の帳簿付けをしていた。    息子の武史は、車で一時間もかからない所に、妻と子供と暮らしていた。武史は幸祐の住み込みバイトを歓迎した。それも店の常連の若い男だと聞いて、高齢の両親に何かあった時に、直ぐ力になってもらえると安心していた。だが、ここ最近の母親の体調を心配して、ちょくちょく様子を見に来ていた。  女将の体調は波はあったが、それでもしばらくは落ち着いて暮らすことが出来ていた。が、冬を越して、春を迎えようとしていた頃、寒暖差のせいで風邪を引いてしまった。それがきっかけで、簡単な日常の労作も難しくなっていた。    息子夫婦は、自分達の考えを、権兵衛の大将である父親に話した。そろそろ、店を辞めてはどうかと。  まだ、母親がなんとか自分の身の回りのことはできている今のうちに、夫婦二人でゆっくり過ごせる時間を持ってほしいから、自分たちの家で一緒に暮らさないか、と武史は持ちかけた。  息子夫婦に面倒は掛けたくないと、いつも言い張ってきたが、長年苦労をかけた妻の為にも、今回ばかりは息子の言う通りにしようと、大将は心を決めた。  大将はこのことを武史と共に、幸祐に話した。幸祐もすぐに賛同し、そして今まで色々と教えてもらえたことに感謝の意を伝えた。そして、幸祐は、自分が思い描いてることを実現させるために、大将にお願いをした。  それは、権兵衛のハムカツでハムカツサンドを作ることだった。  大将は幸祐の申し出を快諾した。権兵衛の味を引き継いでくれることをとても喜んだ。  店を閉めることと、権兵衛の味はハムカツサンドとして幸祐に託すことを、大将は早速、盟友のキミちゃんに伝えた。  君八洲は、自分のスーパーマーケット『キミヤス』の二階に笪也と一緒に住み続けてくれたお陰で、立ち退き交渉を有利に進めることができたお礼として、今回の幸祐の思いに、人肌脱ぐと言ってくれた。  君八洲は、幸祐の出店の意志を確認すると、権兵衛の味を知っているこの地域から、店を出す方がいいとアドバイスをした。長年に渡り地域で営んできたスーパーのネットワークを活かして、店舗用の空き物件探しから始めた。数日すると、灯台下暗しだ、と言って君八洲がやってきた。  昔はタバコ屋をやっていて、その次にクリーニングの取り次ぎをして、その後、継ぐ者がおらず、ずっとシャッターが閉まりっぱなしの権兵衛の二軒隣の物件を、堀チャンとこはどうだ、と勧めてきた。その物件の所有者の堀とは君八洲と旧知の仲だった。  そこは、駅近とはいえ、狭い間口で細長い土地形状だった。売ったとしても商売がし難いと買い叩かれるのがオチなら、この周辺もいずれは大手ディベロッパーがマンション建設を手掛けるだろうと見込んで、毎年、固定資産税を払い続けているだけだと、君八洲は聞いてきた。そして、その建物を貸すことで、賃貸料が入るのなら、是非話しを進めてほしいと堀に言われたことも、併せて伝えた。  幸祐は、是非、お願いします、と即決した。  顔が広い君八洲は、賃貸契約の締結までのサポートを知り合いの行政書士に頼んでくれた。  大将も、権兵衛のハムカツを幸祐に伝えるべく、権兵衛の夜営業は中止して、昼で店を閉めると、幸祐にハムカツ作りを教え始めた。  ハムの切り方、衣の付け方、油の温度や揚げ方、特に、揚げている最中のひっくり返すタイミングは、何度も注意された。秘伝のソースの作り方も教わった。そして約二週間の特訓で、幸祐は大将が納得できるハムカツを作ることができた。大将は、この味を引き継いでくれて、ありがとう、と涙した。  その数日後、大将は、女将と一緒に、息子夫婦の家に引っ越しをした。定食屋『権兵衛』の幕は静かに下ろされた。そして、権兵衛の二軒隣で、幸祐のハムカツサンド店開業に向けて改築が始まった。  幸祐の店となるその物件の所有者は、君八洲の口利きもあり、特に制限なくリフォームをさせてくれた。大将の好意で、一階の店舗に権兵衛の厨房什器が移設された。業務用オーブンやミキサーはパン教室の講師のツテで、新古品を格安で手に入れることができた。 店舗二階の住居部分もリフォームができるまで、これも大将の好意で権兵衛の二階に住み続けることができた。  着々と幸祐のハムカツサンドの店が出来上がっていく中、ハムカツは大将のお眼鏡に適う物を作ることができたが、パンをどうするか幸祐は考えていた。最初は食パンで作るつもりだったが、トッキーで食べさせてもらった、心温まったあのホットドッグを思い出し、細長いロールパンで作ることに決めた。食パンより調理の手数が少ないことも決め手になった。                   幸祐は開業に必要な資格や許可を得るため奔走しながら、権兵衛の二階の台所で試作品を作り続けた。  そして、遂に幸祐の店が完成した。思考錯誤しながら作ったハムカツサンドも大将や武史を納得させる仕上がりだった。完成した店舗の厨房で、初めてハムカツサンドを作る時は、大将も傍で見守ってくれた。  それから、十日後。  幸祐のハムカツサンドの店『T&K』のオープンの日を迎えた。

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