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第15話 もう一度(7)
特急列車の中でしばらく寝てスッキリした笪也は、幸祐に、この二年間の話しをした。高松フーズの赤字解消計画と、それによって構築されるディ・ジャパンと高松フーズのこれからの関係性や、ディ・ジャパンに新事業としてウェルネス部が発足され、そして、そこで課長として働くことになりそうだと話した。幸祐は、ただただ眩しそうな顔で笪也を見つめた。
その後、何度か普通列車に乗り換えて、高松フーズの最寄り駅に着いた時は、昼前になっていた。平日ということもあり乗降客は疎で、駅のホームも閑散としていた。
「やっと着いたな…自然豊かと言えば聞こえはいいが、本当に何にもないところだよ」
笪也は、ううん、と伸びをしながら言った。
「本当…山と田んぼの緑と茶色ばっかりだね」
幸祐も、その場でぐるっと回りながらホームからの辺り一面の景色を見て言った。そして、二色の風景の一角に四角くて白い大きな建物を見つけた。その建物の壁面上部には、駅からでもはっきりと見える、アルファベットで画かれた高松フーズの社名看板が掲げられていた。
「笪ちゃん…あれ…」
幸祐は指差した。
「そうだよ。あれが、新しく建った野菜栽培工場だ」
幸祐は、その建物の全貌が見えるように、ホームの端に行った。
「凄い…笪ちゃんの言ってた通り本当凄いね」
幸祐は、目を見張った。
「だろ?まだ、全部が稼働しているわけではないけど、今のところは順調に生育できているんだよ。これから、その工場がフル稼働できるように、ディ・ジャパンは売れる商品をどんどん作っていかないとな」
笪也は、得意満面に言った。そして、ホームを挟んで工場と社屋がある反対側を指差し、俺のアパートはあっちの方にあるんだ、と言って改札口に向かった。
山々を背にして高松フーズの広い敷地があり、その前を線路と府道が並行し、その先にこの地域唯一の公共兼商業施設があった。そして、後のほとんどは、田んぼが一面に広がっていた。
笪也は、改札を出ると、田んぼの間にある農道に向かった。
「この道を通る方が近道なんだよ。朝はさ、歩いてると気持ちいいんだけど、夜は街灯も何にもなくて真っ暗だから、あっちの道路側を通って帰ってたけどね」
幸祐は、笪也の後をゆっくりと歩きながら、明るい日差しの中、草が疎に生えた田植え前の薄緑色の田んぼを見渡した。
しばらく歩いていると、幸祐の顔は、次第に思い詰めた表情になった。やがて頬に涙が流れていた。
笪也はずっと黙っている幸祐の方を振り返った。そして、幸祐の顔を見て驚いた。
「幸祐…お前どうしたんだ?涙なんか流して」
「…うん?…なんか…俺って、本当にダメな奴だなって思って…」
幸祐は笪也を見ることなく、真っ直ぐ遠くを見ていた。
「笪ちゃん…ごめんね。本当にごめんなさい。俺、今ならわかる、あの時の笪ちゃんの気持ちが…本当に痛いくらいわかるよ」
「…幸祐。お前」
幸祐は静かに話し続けた。
「俺、会社辞めてからさ、徳村さんから笪ちゃんが高松フーズに行った本当の理由を教えてもらったんだ。その時は、正直、笪ちゃんて凄い人だなって思った。でもね、額田さんの事があった後、笪ちゃんは俺に、別に会社なんか辞めてもいいからな、って言ってくれたでしょ…でその直後に出向の話しを受けてさ。俺も、会社と俺、両方一番がいいなんて言ったけど、やっぱり俺より会社を選んだんだって、がっかりしたんんだ…俺に二年だけだから待っててくれって言ったでしょ…あの時の俺は無理だったよ。笪ちゃんが全てだったから。二年なんて途方もなく長い時間だと思った…でも、今ここに来てわかったよ。辛かったのは俺だけじゃなく、笪ちゃんも辛かったんだって。笪ちゃんも相当な覚悟を持って、俺に待っててって、言ったんだよね…なのに俺は…」
笪也は、涙を流しながら話す幸祐の横顔を、ただ見つめていた。
「出向の理由を言わなくても、笪ちゃんは、俺は待ってるって思ってくれたんだよね。ここは、好きな人と一緒に引っ越ししてきましたなんて呑気に過ごせる場所じゃないんだよ。笪ちゃんは、この高松フーズが生きるか死ぬかの重大な局面で、なんとか起死回生のため切羽詰まった大変な仕事をしにきたんだ。もし倒産なんてしたら従業員が路頭に迷うことになる。この小さな町の雇用を失わさせてはいけないんだよ。それに、高松への出向を本当に終わらせる為には絶対に失敗はできないんだよ。自分の力を信じて、誰も知らないところで、たった一人っきりで、どんな苦難があっても、笪ちゃんは頑張ってたんだよね。毎日毎日同じこの風景を見ながら、頑張ってたんだ…ほんと俺にかまってなんていられないよ。笪ちゃんは仕事人生を賭けてこの大変な仕事をやり遂げるために、今だけ俺と離れようとした…笪ちゃんにとって、それは、今しかできないことだったから…なのに、どうして俺は笪ちゃんのことを理解できなかったんだろうって…そんな俺だから、笪ちゃんは懲罰人事って言わないといけなかったんだよね…なのに、俺はあんな酷い言葉を、性の道具だなんて、笪ちゃんはそんなことを思う人なんかじゃないのに、笪ちゃんを傷つけて、自分を蔑むようなことを言って…」
幸祐は流れる涙を拭おうともしなかった。
「笪ちゃん…俺、この二年で少しは変わることができたと思う。色々な人に助けてもらって本当に少しは成長したと思うんだ。まだまだダメなところもたくさんあるけど、でも、でもあの時の俺よりは、笪ちゃんの支えになれると思う」
幸祐は涙でぐしゃぐしゃの顔で笪也に向き合った。
「成宮笪也さん…俺ともう一度付き合ってください」
幸祐は九十度に近いくらいに頭を下げた。
「…幸祐…お前って奴は」
笪也の声は震えていた。涙声だった。
「付き合うに…決まってるじゃないか…」
笪也は幸祐の肩に手をやって、頭を上げさせた。
「気の利いた言葉なんて思いつかないし、お前を抱きしめたくても、ここじゃできない…もう、そんなことここで言うなよ…俺は胸が苦しくて死にそうだ」
幸祐は手の甲で涙を拭うと、死んじゃやだよ、と言いながら、笑みを浮かべた。
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