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第16話 くちづけ(3)
「幸祐。お前、店はいいのか?」
「うん?…あぁ、亨にも話して、明日までお休みにしたよ」
笪也は、腕枕をしてやってる手で幸祐の髪を撫でながら訊いた。
「ああ。俺も仕事休もうかなぁ…」
「もう、何言ってんの、課長さん。皆んな、待ってるでしょ?」
「俺は、二年近く頑張ってきたんだ…少しくらいご褒美があってもいいと思うんだけど」
笪也はそう言って、幸祐に覆い被さると首すじに舌を這わせながら、幸祐の乳首を摘んだ。
「あん…もう、笪ちゃん。今日は遅刻できないでしょ」
「…あともう少しだけ」
笪也は、キスをしながら、股間を擦り合わせるように腰を動かした。幸祐の滑らかな肌と硬くなりそうな股間を感じた。
「幸祐。よかった…大丈夫そうだな」
「笪ちゃん…あぁ…嬉しい」
幸祐の太ももを摩りながら、中指をあの部分に移してそっと触れてみた。幸祐は、一瞬ビクッとした。
「…あ…あのさ…その…また、最初の時みたいに…」
「何、ビクついてんの?…わかってるよ…また、この体に、たっぷりいいこと教えていかないとな」
幸祐は首すじから赤くなっていくのがわかった。それを気取られない様に、笪也の胸に顔を押し付けた。
「ああ…もう、こんな時間か…支度しないと、やばいな」
笪也は、口ではそう言いながらも、幸祐を抱きしめる手は緩めなかった。
「笪ちゃん。朝ご飯は、パンかご飯かどっちにする?」
「ううん…幸祐にする」
幸祐は、もう、と笑いながら、笪也の腕をすり抜けると、パジャマに袖を通して台所に行った。
出勤支度を整えた笪也に、幸祐は、いってらっしゃい、とキスをした。
「お前のいってらっしゃいのキス…ずっと、してほしかったよ」
「違うよ笪ちゃん。これは…愛してるのキスだよ」
笪也は、出勤前から、今日は絶対に定時で退勤してやる、と心に誓った。
笪也は、唐田と共に一年十ヶ月振りに営業部のフロアーに入った。その姿を見た営業部の社員達は、口々に、お疲れ様でした、と笪也を労った。
瀬田も、笪也を眩しそうに見つめていた。
唐田が咳払いをすると、フロアーは静かになった。
「皆んなも知っての通り、成宮が高松フーズから帰任した。またこの本社で働くわけだが、今日からはウェルネス事業部の課長としてだ」
唐田がそこまで言うと、フロアーに拍手喝采が沸き起こった。
唐田は成宮を見て、挨拶を促した。
「皆さん、お久し振りです。またここに帰って来れてホッとしています。皆さんもご存知の通り、ウェルネス事業部が発足されました。本当に多くの方々からお力添えをいただきました。これからもその期待に応えられるように頑張っていきます」
また、笪也は拍手に包まれた。
ウェルネス事業部の執務室は役員室と同じ階だった。
経営戦略室の隣りの会議室を発足前の準備室として宛てがわれていたが、メンバーもまだ決まっていない状態であった為、引き続きその会議室を使うことになった。
唐田が部屋をノックすると、はい、と二人の男の声がした。そこにいたのは、森川と高崎だった。
森川は、唐田に挨拶をすると、すぐに成宮の傍に来た。
「成宮さん。お帰りなさい」
「ああ。ただいま。しっかりと引き継ぎもできなかったが、ちゃんとチームをまとめてくれて、ありがとうな、森川」
すると、高崎が、聞こえよがしに咳払いをした。
「はいはい。お前にも感謝してるよ。俺、そう言いましたよね、唐田常務」
「ああ。ウェルネス事業部発足の立役者はお前だと言ってたぞ」
高崎は、ふん、とまんざらでもない顔をした。
「さっき、営業部で挨拶を済ませたから、まずは、成宮と森川でメンバー選びだ。で、高崎は今後は営業にはアドバイザーとして関わることになる。社長から早々にウェルネス事業部の中長期計画書を出せと言われている。役員会までに頼むぞ」
高崎は、できてますよ、と勝ち誇った顔で唐田を見た。森川は高崎の次元の違う仕事ぶりに唖然とした。
唐田と高崎がウェルネス事業部の執務室を出た後、森川は予め唐田から預かっていたメンバー候補者のリストと各々のプロフィールを、会議テーブルの上に並べた。
笪也は、一人ずつじっくりと目を通した。
「森川がメンバーにしたいと思う人物はいるか?」
「はい。皆んなそれなりに熱意もあるし悪くはないと思うんですが、一人、気になる人がいます」
そう言って、ある女性のプロフィールを指差した。すると、笪也はニッコリとした。
「俺もだよ。彼女…三枝さんは決まりだな」
その三枝は、現在はマーケティング部に所属し、半年前に育休復帰をしていた。そのプロフィールには、野菜嫌いの子供を育てる人たちの救世主になりたい、とあった。
「独身の俺たちにはない視点だよな」
「そうですよね。ウェルネスを、より広い意味で捉えていると思います」
そして、三枝を含め七人のメンバーを選び終えると、笪也と森川は、唐田のところに報告にいった。
「唐田常務。メンバーの選出をしましたので、ご確認下さい」
「わかった。目を通して人事に伝えておくよ。ようやくウェルネス部が誕生したってことだな。さっき高崎が持ってきた計画書を見たんだが、オンラインショップからなのか?」
「最初から、ドンといきたいんですけど、今はSNSが市場を左右させますから、機を見てから打って出ますよ」
「まぁ、お前たちに任せるよ」
笪也と森川は一礼して常務室を出た。
「成宮さんや高崎さんは、どこまで先のどんなことを考えてるんですか」
森川は、意欲にほんの少しの不安を混ぜ込ませて、訊いた。
「まずは、お前をリーダーにすること」
笪也は、真剣な眼差しで言った。その笪也の顔を見て、森川は何かを吹っ切ったようだった。
「俺は、どこまでも成宮さんについていきますよ」
「もちろん、そのつもりだ」
笪也は森川の背中を叩いた。
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