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第16話 くちづけ(4)
メンバー選びという重要な初仕事を終えて、笪也と森川は、早めの昼食を摂り、休憩室で缶コーヒーを開けた。
「あの…成宮さん、訊いていいですか?」
「何を…だ?」
「その…砂田、どうしてるのかなって」
「気になるのか?幸祐とのこと」
笪也が、砂田と言わずに幸祐と言ったことで、森川は訊きたいことは訊けたような気がした。
「また、一緒に住むことになったよ」
今まで見たこともない優しい顔で話す笪也を見て、森川は笑顔になった。
「何で、お前が嬉しそうな顔するんだよ」
「いや、だって…上司の幸せは、部下の喜びですよ」
笪也は、クッ、と笑いを堪えた。そして、幸祐がパン屋を開店させ、昨日からその店の二階に住んでいることを話した。
「えぇ…砂田がパン屋の経営者ですか、凄いな。人は見かけによりませんね」
笪也は、ポケットから携帯を出すと、『T&K』が掲載されているグルメサイトを見せた。
森川がしきりに感心していると、成宮さぁん、と声が聞こえた。振り向くと、手を振りながら瀬田が駆け寄ってきた。すぐさま隣りの椅子に腰かけた。
「成宮さん、お帰りなさい。出向お疲れ様でした」
瀬田は満面の笑顔だった。
「瀬田。元気そうじゃないか」
「はい。誰かさんのお陰で、毎日忙しくさせてもらってます。本当は俺がウェルネスにいきたかったのに、森川さんってば、突然言い出すんですよ…塩茶はお前に任せたって」
「いいじゃないか…塩茶のリーダーは俺よりお前の方が適任だし」
唐田のあの事件の後、チルト飲料は頓挫した。瀬田のサブリーダー話しも露と消え去り、その後は森川のチームに配属されたのだった。
「なぁ、瀬田。砂田がさ、今は人気のパン屋の経営者なんだって…驚きだろ」
「えっ…?」
「その店で塩茶も売ってもらおうか」
森川の呑気な様子に反して、瀬田は顔が強張っていった。
「成宮さん…ひょっとして砂田と…」
笪也は、瀬田を見据えると、ゆっくりと口を開いた。
「ああ。また、一緒に暮らしている」
「そ…そうなんですね」
瀬田の目は泳ぎ、明らかに動揺していた。
「瀬田。お前がどう思うかは自由だが、俺は幸祐をずっと愛してるんだ」
瀬田はガタッと座っていた椅子を後にずらすと、ゆらゆらと立ち上がった。
「…嘘…嘘だ…そんな…だって、だって俺は…あぁ……そんなぁ」
瀬田は、その場を走り去っていった。
森川は驚いて、瀬田の後ろ姿と笪也の顔を交互に見た。笪也は何も言わずに、森川を見ると微かに頷いた。すると、森川は瀬田の後を追った。
エレベーター横の階段室のドアが閉まりかけているのに気付いた森川は、慌ててドアを開けた。下の方で階段を駆け下りる足音が聞こえた。
「瀬田。どうしたんだ…おぉい、待てよ」
階段室に、瀬田の足音と森川の声が響いた。
森川がようやく瀬田を捕まえた場所は、会社のビルを出た前広場の植栽がある、奇しくも瀬田が幸祐を座らせて蔑んだ、あのベンチの前だった。
「瀬田…どうしたんだ?成宮さんと何があったんだよ」
森川は息を切らしながら訊いた。
瀬田は、この世の終わりのような顔をして、俺、もう終わりです、と小さな声で言った。
森川は、そのベンチに瀬田を座らせると、もう一度、どうしたんだ、と訊いた。
瀬田は、何処かに焦点を合わせるわけでもなく、ぼーっと遠くを見ながら、話し出した。
入社した時から抱いていた笪也への憧れや、いつかは肩を並べて働きたかったこと、ところが突然、幸祐の言動のせいで懲罰人事での出向となり、幸祐に酷いことを言って、おそらくそのせいで幸祐がディ・ジャパンを辞めたこと、そして、自分がやった幸祐への酷い仕打ちを笪也に知られていたこと、森川に全てを曝け出した。
「それで、砂田は急に辞めたのか」
森川は、腑に落ちたように言った。そして、瀬田を責めるわけでもなく、瀬田の気持ちに寄り添いながら諭すように話した。
「なぁ、瀬田。成宮さんは男が惚れるいい男だ。俺も成宮さんに魅力は感じるよ。でもな成宮さんは、正真正銘のマジのゲイだ。お前はただ憧れてるだけだろ?成宮さんに認められて誉めてほしいんだ。でもお前はゲイじゃない。お前は高校や大学で彼女がいただろ?女の人とキスしたり、そのセックスもしているだろ?成宮さんは、そういう行為の相手は男なんだ。男でないとダメなんだよ。お前は成宮さんと、まぁ、抱き合ってキスくらいはできたとして、裸になって尻に成宮さんのナニを入れられるのをお前は受け入れられるのか?」
「じゃあ、砂田もゲイだったんだ」
瀬田は自分を納得させるように言った。
「いや、ゲイじゃなくて、だぶん、そう砂田は成宮さんが初めての相手なんだよ。成宮さんのことが好きになって、成宮さんに求められて、でそうなった。無垢な砂田は成宮さん好みのパートナーになったんだよ。身も心もな」
瀬田は項垂れていた。
「森川さん、俺、この四年間何してたんだろう」
「お前はちゃんと仕事してた。ただがむしゃらになりすぎて、心が追いつかなくなって、誤作動を起こしたんだ。そのことにお前は気付けなかった」
瀬田はその場で子供のように、わんわんと泣き出した。
森川は瀬田の肩に手を回して、優しく抱き寄せた。
「お前はよく頑張った。額田さんのチームでも、本当によく頑張ったよ」
瀬田は泣き続けた。
「でもな、成宮さんの出向は、砂田とは関係ないんだよ。会社の思惑と額田さんの一件がたまたま重なってしまっただけなんだ…でも、お前は人としてやってはいけないことをした。わかるよな?」
瀬田はしっかりと頷いた。
「森川さん…俺、砂田に謝りたい。まさか本当に辞めてしまうなんて思ってもみなかった。それに、あんな蔑む言葉を言ってしまって…今更だけど、許してくれるかな」
瀬田はまだ涙が止まらなかった。幸祐が辞めた後、誰にも言えずに心の奥底に隠していた後悔が堰を切って涙と共に溢れ出した。
「あぁもう、わかったから…そろそろ泣き止めよ…今日、仕事終わってから、砂田の店に行って謝ろう。俺も一緒について行ってやるから…成宮さんに俺から話しておくから…なぁ、瀬田。お前は悪いことをしたから謝りに行くんだ。許してもらえるかは、今じゃない、いいな?」
砂田は、泣き腫らした目で森川を見ると、安心したように、何度も頷いた。
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