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第17話 遂げる(4)
笪也が帰って来た時、幸祐は喪服に着替えていた。
その姿を見て、笪也は優しく微笑んだ。
「無理してないか?」
「…うん、大丈夫だよ。良くも悪くも、俺は結構関わりがあったからね」
「悪いことだけだったろうが」
「故人を悪く言わないの」
笪也は、そうだな、と言いながら、腹ごしらえのハムカツサンドを食べ終えると、喪服に着替えた。
行きの電車の中で、笪也は、幸祐に入院した後の額田の話しをした。
「社会復帰できたんだ…ご家族も嬉しかっただろうね…だから尚更、今、お辛いだろうね」
「亡くなる直前まで、在宅ワークをしていたらしいよ。営業部にいた時には持てなかった家族との時間を少しは取り戻せたんじゃないかな」
「そうだよね…そうだといいね」
そして笪也は、額田の妻の実家が、製缶材料の会社で、かつての主要取り引き先だったと伝えた。幸祐は笪也から視線を外すと、そう、と言ったっきり車窓から見える暮れなずむ街を見つめた。
電車を一時間近く乗って、着いた駅からしばらく歩いた。通夜式は公営住宅の集会所で執り行うと聞いていた。
十何棟ある敷地内の公園の片隅に、葬儀会社のテントが設営され、その奥に通夜式場にされた集会所があった。掃き出し窓が全て外され、隣接されたテントから祭壇が見えるように焼香台が設置されていた。
読経が聞こえる中、喪服姿の人が故人を悼んで焼香をしているのが見えた。
「葬儀場でされるのかなと思ったけど…集会所なんだ」
「この団地に住んでいたらしいよ。額田さんの同期の人に聞いたんだが、入院した時に住んでた家は売りに出したそうだ。ローンの支払いが困難になるからだとか、家を売った金を妻の実家の助けに用立てたとか、まぁ、好き勝手な話しをしてくれたよ」
笪也と幸祐は、法人と個人に分かれて受付をした。先に笪也が、名刺を受付に差し出すと、受け取った女性が笪也の顔を見た。
「あの…失礼ですが、ディ・ジャパンの成宮様ですね」
「ええ、そうですが」
「すいません、喪主さんから、もし成宮様が来てくださったら、これを…と」
受付の女性は、台の下から白い封筒を出した。
「これは?」
「はい…ご迷惑なのは重々承知していますが、お知り合いの砂田様にお渡しいただけないかと、託 かりまして」
「ああ、それなら、砂田本人が来てますよ」
笪也はそう言うと、個人受付の芳名帳に名前を書いている幸祐を指差した。幸祐は、顔を上げて、なに?と笪也を見た。
「幸祐、喪主さんからお前に、だそうだ」
幸祐は、受付の女性からその封筒を受け取ると、首を傾げながら内ポケットにその封筒を入れた。
焼香をする列に並ぶと、中高齢の男性に混じって、子連れの女性も多く見られた。
順番が回り、焼香台の前に行くと、祭壇近くの親族席にいる妻らしき女性が、俯きながら頭を下げた。その隣りの学童と未就学児二人の男の子は不思議そうな顔をして、弔問客の様子を眺めていた。
焼香の煙の向こうに見える、祭壇の遺影の額田は、やつれてはいたが優しい笑顔だった。
笪也と幸祐は静かに手を合わせて、冥福を祈った。
お参りを終えて団地の公園の傍を通りかかると、お参り後らしき黒いTシャツ姿の子供たちが、母親同士のおしゃべりが終わるのを待ちながらブランコで遊んでいた。幸祐はそれを見て、笪也にそっと話しかけた。
「会社では厳しい顔だったけど、家では優しいお父さんだったんだろうね」
「俺も、あんな額田さんの顔を見たことなかったな」
「笪ちゃんも見たことなかったんだ…あっ、さっき渡された封筒、今見てもいい?」
二人は近くの街灯の下に行き、幸祐は、内ポケットの封筒を出した。開封すると、便箋が入っていた。笪也にも見えるように広げた。
丁寧な字で認 められたその手紙には、生前の夫のことで話しをさせてほしいので連絡をいただけないか、といった内容で、自宅と携帯の番号が書き記されていた。
「何だろう、話しって…」
「まぁ、聞いてみないとわからないが…」
「それにさ、いつ、連絡したらいい?…忌明け?もっと早く?」
悩む幸祐に、笪也は、いっそのこと今晩はどうだ、と言った。
「もうすぐ通夜式も終わるだろう。親族はほんの数人だったし参列者も帰ってるみたいだし…今の方がお前も時間取れるだろ…これからもっと忙しくなるんだから」
「そうだよね…」
集会所が見える少し離れた場所で、二人は待つことにした。三十分も経たないうちに、導師が集会所から出てくると迎えのタクシーに乗り込んだ。焼香台が一旦片付けられると掃き出し窓も元通りになり、カーテンが閉められた。
それを見て、二人は集会所に向かった。出入り口に立つと人の気配はなかったが、幸祐は、すいません、と声を掛けた。奥の方で、はい、と声がすると、喪服の着物姿の女性が内扉を開けた。
「すいません…喪主さんはいらっしゃいますか?」
「はい…私ですが」
「あの、お手紙いただいた砂田です。それと成宮です」
砂田と聞いた途端、喪主の女性は目を見開いた。
「あの…どのタイミングでお電話を差し上げたらいいのか迷って…ひょっとして今の方がいいかもと思って来てみたんですが…」
「すいません…額田の妻の正美です。お忙しい中、本当に申し訳ありません」
正美はそう言って、二人を祭壇のある奥へ通した。そこには正美しかおらず、線香の匂いが立ち込めていた。幸祐と笪也は、祭壇の前に立つと手を合わせた。すると、正美は、喪服の着物の裾が乱れるのも気にせず、その場で膝を着くと、土下座をした。
「砂田さん、成宮さん、本当に申し訳ありませんでした」
正美は床のカーペットに額を押し付けた。驚いた幸祐は、慌てて正美の傍に寄って、待ってください、と声をかけた。正美は頭を上げることなく謝り続けた。
「いいえ。額田のしたことは本当に恥ずべきことです。何とお詫びすれば…本当に申し訳ありませんでした。どうか…どうかお許しください」
「額田さん…ねぇ、顔を上げてください。話しをしましょう」
幸祐は正美の傍に腰を下ろした。
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