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第17話 遂げる(5)

 幸祐が、正美の前に座ると、笪也も幸祐の少し後ろに座った。  すると、突然、扉が開く音が聞こえた。 「正美ちゃん。ショウ君とケンちゃん、ウチでご飯食べさせ…あっ、お客さん…ごめん。それでいいよね」  正美は、少し失礼します、と言って立ち上がると扉の方へ行き、助かるわ、ごめんね、と言うとまた戻ってきた。 「お子さん、大丈夫ですか?」 「すいません…まだ、父親が死んだって理解ができてないみたいです…今晩は友達のママが預かってくれるって言ってくれて」 「そうなんですね…あの、お手紙にあった話しというのは、さっきの謝罪ってことですか?」  正美は、静かに、はい、と頷いた。   「江島さん…でしたでしょうか、手術後にお見舞いに来てくださって、その後から額田は何やら思い詰めた表情をしていました。どうしたのかいくら訊きても何も応えてくれなくて…それから額田もなんとか寛解し、温情で在宅ワークをさせてもらい、親子四人で穏やかに過ごすことができました」  あの時の徳村のお仕置きの後に、江島は総務部長の幡山にでも叱責され見舞いに来たのだろうと、笪也は推測した。    そして、在宅勤務をしているある朝、突然、起きられなくなり、驚いて受診すると、そのまま入院となり、医師から長くはもたない、と言われたと正美は話した。 「最後の入院で自分の死期を悟ったんでしょうね、額田は全てを話してくれました。本当に情け無くなりました。自分が思い違いをしていたと分かれば、直ぐに砂田さんに謝ればいいものを、そのうちにと後回しにして…ですが、額田をそこまで駆り立てたのも、私の実家が原因だとも痛感しました。額田は、なんとか実家を立て直したかったんだと思います。ですが、そのせいで砂田さんや成宮さんに酷いことをしてしまい…今更なんですが、額田は本当に謝りたかったんです…本当なんです」  正美は、日に日に衰弱しながらも、何とかして謝ろうとする夫の力になろうと、ディ・ジャパンに電話をして成宮や砂田の連絡先を訊いた。当然のことながら、個人情報は教えてはもらえず、喋ることが難しくなった額田はそれでも諦めようとはしなかった。そんな様子を見て、正美は、自分が必ず謝って許してもらうから、と額田に言い聞かせると、安心したように薄っすらと笑い、その二日後の朝、息を引き取った。 「私は額田と約束しました。額田がしたことを謝罪して、許していただけるまで、何度でも…何度でも謝り続けるって…そう、約束したんです。だから…」  正美は、涙で声を詰まらせながら額を床に伏して、申し訳ありませんでした、と謝罪の言葉を口にし続けた。  幸祐は、正美の肩に手を添えると、奥さん、額田さんの傍にいきましょう、と言って顔を上げさせた。  正美と一緒に祭壇の前に座ると、幸祐は遺影の額田にゆっくりと話しかけた。   「額田さん。奥さんからお話しを聞きました…僕は、あなたを許します。もう、なんとも思ってないですよ。もう僕たちのことは気にせず、これからは、奥さんとお子さんたちを見守ってあげてください」  幸祐は笪也の方に顔を向けると、笪也も穏やかに頷いた。正美は、幸祐の言葉を聞くと嗚咽した。      何度も頭を下げる正美に見送られて、幸祐と笪也は集会所を後にした。   「笪ちゃん、ありがとう…今晩話した方がいいんじゃないかって言ってくれて」  駅への道をゆっくりと歩きながら、幸祐は笪也に言った。 「礼を言われるほどのことじゃない…でも、今晩でよかったかもな…奥さんもホッとして明日の告別式で額田さんを送れるだろう」  幸祐も、そうだね、と言って夜空を見上げた。 「ねぇ、笪ちゃん…添い遂げるっていうのは、額田さん夫婦のような人たちのことをいうんだろうね」 「そうだな…死んでも尚、その人の想いを遂げてあげようとするんだからな」  幸祐は、その場に立ち止まった。   「俺…笪ちゃんと…添い遂げたいよ」  笪也も足を止めると、ゆっくりと幸祐の方を向いた。   「俺も今…同じこと考えてたよ」 「笪ちゃん…」    幸祐は、思いが溢れて言葉を繋ぐことができなかった。笪也は温かく包み込むように幸祐を見つめた。   「幸祐…結婚しよう」  幸祐は、こんなにも優しく甘美な言葉を聞いたことがなかった。幸せを奏でた笪也のその唇を見つめると、自然と頬に涙が流れた。 「よろしく……おねがい…します」  その十一文字を伝えるのに、幸祐は、随分と時間がかかった。   「お前のこと…何があっても絶対に離さないからな」    笪也は、幸祐の肩を優しく抱き寄せた。

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