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第9話 兆し 2
入院してから一週間。
清潔な場所で寝て、暴言を吐かれることもない日々が過ぎてゆく。
右足が動かないことを除けば不自由とは程遠い生活のはずだ。
だけど、ふとあの日以来連絡を取っていない湊達のことが気になったり(携帯は病院に運ばれた際、なかったのでおそらく家に置いたまま)両親を夢に見ることがある。
その時は、音楽を聴くことで心を落ち着かせていた。
「いい顔になったな。」
神崎先生が気に入ってるという曲を二人で聴いていると、突然そう言われた。
どうやら、俺はここに来てから初めて笑ったらしい。
希望なんて存在していなかったはずなのに、最近はやってみたいとか、会って話がしたい、とか好奇心に近いような衝動を感じるようになったという実感は確かにあった。
『自分のために生きる』ということの意味が少しだけ分かったような気がする。
「今日はここまでにしようか。お迎えが来るまでは自由にしてていいよ。」
今日は初めて『院内学級』に足を運んでみた。
病院内、小児科病棟に教室が設置されていて対象年齢は一応6歳から18歳までとなっているが、基本的には小学生が中心のようだ。
朝、看護師に送ってもらってから3時間程。
在籍している高校の教科書と問題集を用意してもらい、指示に従いながら進めていく。
解説して欲しい所や質問があればすぐに聞けるし、自分のペースで黙々と没頭できる点を考えると『学級』と付けられているが個別指導の塾や家庭教師の方が近いかもしれない。
迎えが来るまではまだ時間がある。
本でも読んで待っていようかと思い車椅子のタイヤに手をかけた。
松葉杖での歩行訓練に移るまでは車椅子での移動が中心になるからと、昨日ある程度の操作方法は教えて貰ったがこれが意外と力がいる。
ゆっくりと腕の力で押し出しながら前進していると、棚の前で一人の子供と目が合った。
10歳ぐらいの白いパジャマを着た男子、片手に何冊も抱えていた本が支えきれなかったのか、台の上から分厚い本がいくつか降ってくる。
「何か探してるのか?」
「…図鑑をちょっと、探してて。」
落ちてきた本を拾ってやる。
表紙を見ると確かに小学生向けの理科事典や生物図鑑と書いてあったがどうやら目当ての物とは違うらしい。
学習関連の書架を手分けして探すついでに、神崎先生に借りているやつもちょうど読み終わるので自分用に3冊程小説を選んだ。
教室を管理している先生によると、置いてある本は申請すれば二週間は部屋に持ち帰ってもいいらしい。
目的の品も見つかったので、俺達はテーブルまで移動した。
子供が読んでいたのは天体図鑑で星に関する本を探していたようだ。
「…友達いないやつだとでも思った?」
教室の周りを見渡してみると男子はボードゲーム、女子は工作や塗り絵などそれぞれグループで遊んでいるのが視界に入る。
おそらくこの子は一人が気楽だと感じるタイプなのだろう。
「俺も中学の時は一人でいたことの方が多いし、別にいいんじゃないか?」
家庭の経済事情を理由に遠出や金を使うような遊びを断っていたら、空気の読めないやつというレッテルを張られたことがある。
クラスで何か出し物をやるとなった時も結局周りの雰囲気に同調しきゃいけなくなったり、気を使ったりするのが面倒になりそれ以来大人数での行動が苦手になった。
不意にこの子と自身の過去の姿が重なる。
少年は『葵』と名乗った。華奢な体つきで年は11歳、小5にしてはやや小柄だ。
「皆、おれのこと変なやつって言うけど、お兄さんは違うの?」
冷めたような目の中に見える純粋な眼差し、自分と似ているからか、俺は葵に興味をもった。
少しのきっかけが案外自分の世界を変えてくれる。
あの人がそう教えてくれたのだから。
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