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第32話 未来 2

いつもなら夕日が沈む様子が見えるはずの時間。 だが、空は灰色から一層暗さを増すだけ。 霧雨は未だ降り続けている。 (…珍しいな。凪が昼寝とは) 穏やかな寝息を立てながらサイドテーブルの上に突っ伏している。 以前は魘されていることもあったが、今は無防備な表情をしている。 安心して貰えているようで内心嬉しかった。 上体を持ち上げ、ベットに横倒してから布団をかけてやる。 身長164センチの同世代と比べても華奢な体はすっぽりと収まってしまうほど。 無意識なのか俺にもたれかかるような仕草とつきたての餅のような柔らかい肌。 暖房がかかった空調がより睡魔を誘っていた。 (…進路希望調査) テーブルの上に置きっぱなしになっていたプリント。 気になって手に取ってみると、生徒の希望する職種や進学先を知るための物だと分かった。 進学先「国公立大学」の他には何も書いていない。 学部や職業は未定ということだろうか。 (付箋?) 薄黄色の付箋が挟まれた冊子。 中を覗くと各学部の特徴や大学の紹介などが明記してある。 付箋にはいくつかの学校名と学費が書いてあった。 有名私大から最高峰の国立まで、どれも『難関校』と呼ばれている大学ばかり。 そして医学部のページに印が書き込まれている。 「…寝てた、のか。」 「一時間ぐらいな。」 目が覚めたのか凪は重い瞼を手でこすっている。 まだ意識がまどろみの中にあるようで覇気はない。 「先生は、いつ進路を決めたんですか?」 「…高校入ってすぐだったか。でも、大人になってから決めたことの方が多い。」 一口にカウンセラーといっても誰を対象に、どの現場で働くのか形態は様々であり、漠然としか考えていなかった俺は流されるようにこの病院の採用試験を受けた。 仕事の良さも実際に働き出してから気づいたことばかりだ。 「やらない理由を探すぐらいなら、思い切ってみたらどうだ?」 俺自身への戒めも込めている。 根拠のない自信や希望は若い者の特権だ。 「学費も含めて相談してみます。」 黒いインクで学部の欄に医学部と羅列する。 真っ白なプリントとは対照的に力強く映えていた。 「雨、嫌いか?」 窓の外の天気を気にしているような素振りだ。 太陽は完全に沈み、庭の外灯が次々に光を灯し始めた。 「来週に彗星が見えるらしいです。」 スマホで検索にかけてみると確かに『ZTF彗星』という緑の星の画像が出た。 5万年に一度のチャンスらしくネットニュースでも大きな話題になっている。 「天気予報だとどうですか?」 心を静めてくれた雨が今は邪険に思えてしまう。 自分勝手だと分かっているが、凪を残念がらせたくはなかった。 「大丈夫そうだな。」 スマホの画面には晴れを表すマークがあった。 「見に行きませんか?…一緒に。」 初めての凪からの誘いが、俺に距離が縮まっているのを実感させてくれた。 当然断る義理などない。 「楽しみにしてる。」 「…俺も。」 ノック音と共に食事が運ばれて来た。 給仕係からトレーを受け取り、二人分の食器を並べる。 「いただきます。」 ありきたりの景色ですら君となら違って見える。 けれど、それが一生に一度しか見れない景色なら、どれだけ美しく映るのだろう。

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