34 / 45
第34話 悪戯
今夜の予定を空けたくて、暇さえあればデータの処理と向き合う日々が続いた。
柄にもなく浮かれている自分に苦笑したくなる。
2月上旬、一年の内で最も寒い時期とされている。
換気していたがために、事務室には凍てつくような風が吹いていた。
「神崎、暖房点けた?」
「やっぱり効き悪いですよね。」
ウインドブレーカーを羽織った小泉先輩が聞く。
一応、加湿器と暖房は機動したが部屋全体が暖まるには時間がかかるだろう。
風で飛ばされた書類をクリップでまとめ、ボックスの中へ放り込む。
「手伝いますよ。」
「サンキュー。研修生もお前レベルなら楽なのに。」
朝礼まではまだ時間がある。
新卒で採用が決まった新人用の指導要項を作成し、印刷した。
俺が研修を受けてからもうすぐで3年。
二十歳を超えたあたりから年が過ぎるのがやけに早くなった。
「…神崎がモテる理由が分かった気がする。」
「何がですか?」
「こっちの話。」
聞きそびれてしまったが、大した問題はないと判断した。
コピー機から出てきた紙を束ねると結構な量がありずっしりと重い。
人数ごとに分配し、間違いがないか確認する。
終わる頃には、晴れた空が姿を覗かせていた。
「じゃあ、俺はこれで。」
事務室を抜け、ロビーを横切る。
日当たりのいい大きめの窓には光に照らされた木々が見えた。
雨上がり、冬晴れに相応しい青空だ。
(…律のおかげか?)
俺の望む天候がことごとく現れる。
単なる偶然なのか、それとも天界からの悪戯か。
* * * *
「これとか、結構気に入ってるんです。」
凪のカメラに映し出される画像。
水溜りが後方の背景に反射して、幻想的な一枚に仕上がっている。
「ウユニ塩湖みてえだな。」
「…確かに似てる。」
人が歩いていれば完全にそれだ。
バルコニーまでの道中、一見くだらない雑談をしながら目的地を目指す。
凪はすっかり手慣れた様子で松葉杖を操作していた。
近々杖を外した訓練も始めていくらしい。
温もりのあるライトブラウンの木材を基調としたデッキ。
患者や家族の憩いの場として利用されているバルコニーは個室病棟の中央に位置する。
今回は方角的に屋上よりもこっちの方が都合がいい。
「あの緑か?ZTF彗星ってのは。」
新緑の色をしたほうき星が見える。
都心の光に負けず劣らずの輝き、北の空の道標のようだ。
「気分転換にはなりましたか?」
ここ数日の目まぐるしい変化のせいか、悩んだり考えたりすることが増えた。
凪はそんな俺を見かねて元気づけようと誘ってくれたという。
(…情けない)
「ごめん、余計な気を遣わせたな。」
きっと凪が思っているより俺は卑屈で、傲慢な人間だ。
「…凪となら、俺は本当の自分でいられる。」
それでも受け入れてくれる。
君を信じると決めたから。
「…俺となら。」
頭上にクエスチョンマークを浮かべた凪の首元にマフラーを巻いてやる。
「でも」と遠慮しかけたところに「風邪でもひいたらどうすんだ。」と言えばすかさず大人しくなった。
「もう少しいいですか?しっかり覚えておきたくて、…二度と見れないから。」
一度だけを拒否する、理性への抵抗。
「これで最後じゃない。もっと凄い景色に、お前を連れてってやるよ。」
ともだちにシェアしよう!

