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第36話 欲望

「まだ痛むか?」 リハビリルームからの帰り道、手すりにつかまりながら歩く凪を見守る。 ギプスが取れ、露わになった右脚は腫れているせいか若干赤かった。 安静期に動かすことのなかった筋肉を急に動かすと神経に刺激を与えやすく、少し歩行するだけでもかなりの負荷がかかる。 「…このぐらい平気です。」 療法士の職員からは「一生懸命やってましたよ。」と聞いていた。 以前のように動けないギャップへの苛立ち、リハビリ中は特に自暴自棄になりやすい。 俺に出来るのはストレスを緩和させてやることぐらいだ。 「嘘つけ。保冷剤持ってくるからそこで待ってろ。」 部屋に着き、凪を椅子に座らせてから昨日のうちに冷やしておいた保冷剤を取りに行く。 備え付けの冷蔵庫上段にある冷凍スペース、パックから出すとひんやりとした感触が肌に伝わる。 凍傷にならないよう表面を流水で溶かし、タオルでくるむ。 研修時代、多少の応急手当について学んでいたのが役に立った。 「きつくないか?」 「はい。」 足首にタオルを巻きつけ、固定する。 痛覚がマシになったのか凪の強張っていた頬が緩んだ。 「酷くなったらちゃんと見てもらえ。療法士の先生も言ってたけど、焦る必要はないからな。」 (せめて俺の前ぐらい、…なんていうのは贅沢なのか。) 凪に怪我を負わせたのは紛れもなく実父による暴力。 裏切られた哀しみ、恨みはあって当然だ。 「一人で抱え込むなよ。不満でも愚痴でもいい、…教えてくれ。」 弱音を吐ける相手になりたいと思うのは、心に踏み込みたいという想いは罪なのか。 他にもそういった境遇の子供はいるだろう。 でも、今問題にすべきは目の前の好きな奴だ。 「…足を見ると両親を思い出すんです。やっぱり俺はあの人達の子供なんだって。」 半絶縁状態になったとはいえ、長年に渡り受け続けてきた虐待の傷は心から離せない。 俺だって10年も過去を引きずってきた。 たかが数ヶ月、離せないのなら一緒に背負いたい。 「…こんな事言ってもどうにもならないのに。…ウザいですよね。」 「ウザくねえよ。やっとカウンセラーらしくなれた気がする。」 全ての不条理から君を守る。 だから、一番になる権利が欲しい。 「足が治ったら、外の写真でも撮りに行くか?」 暗くなりそうな雰囲気を払おうと俺は提案を持ちかけた。 病棟を一周するように囲まれた庭、被写体になりそうな物も沢山ある。 「ご褒美あった方がモチベーションにいいだろ。」 「…ご褒美って」 「子供扱いするな」と凪は口を尖らせる。 彗星の日以降、より親密な態度を示してくれるようになった。 「じゃあ辞めるか?」 「嫌とは言ってないですけど。」 少しからかいすぎてしまったか。 俺が笑う頃にはいつも通りの空気に戻っていた。 「何か、先生楽しそう。」 「凪の反応が面白いから。お前といると癒されんだよ。」 「見ないでください。」言わんばかりに照れた顔を反らされる。 それが逆効果だと分かってないようだ。 「…じゃあ、たまには弱音吐いてもいいですか?」 (こっちの気も知らないで) 身長差のせいか上目づかい、涼しげに反射する瞳の光。 動揺が表に出ないよう理性で強引に押さえつける。 自分が拠り所であるという優越感に今は浸ってしまいたかった。

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