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第6話

「聞こえたか? アミーゴ?」  ハジメは、場内に入った際、再度オンにしてあった通信機のマイクに声を掛けた。  その応答はすぐにあった。  もちろんそれはハジメを呼びつけたあの同僚からだ。 『ああ、ハジメ、覚悟の上なんだろう?』 「もちろんだ。契約書にはきちんと目を通してる」 『上には俺から報告しておくよ』 「悪いな! 助っ人に呼ばれたってのにこんな事になって」 『なあに、かまわないさ、きっとお前の幸せを祈ってるよ!』  横で聞いていたセドリックは事情が飲み込めずに驚いている。 「どういうことなの? ハジメ」 「俺と船を下りよう。セディ」  唐突なハジメの提案に、セドリックは更に驚いた。 「ええ?」  ハジメは、苦笑いすると、セドリックに説明する。 「俺たちクルーの雇用形態はコントラクト(契約形式)で――だから簡単に解雇もされる。たとえば、ゲストに手を出した時点でクルーは即日クビなんだ」 「それは本当なの?」  事情を知って慌てるセドリックに、ハジメは言った。 「いいんだ。俺は元々タンカー乗りだし、セディと生きていくのなら、陸にでも上がる」 「そんな!」 「本当に、いいんだ」  ハジメはセディの美しい海のような瞳を見つめながら言った。 「俺はもう俺だけの海を手に入れたから」 「ハジメ……」 「セディの瞳はずっと、海みたいだって、出会った時から思っていた」 「僕の瞳?」 「そう、セディの、だよ」  そうして。  二人は、船を下りたのだった。       ◉  プエルトリコのハジメのアパートメントは、サンファンの旧市街、カラフルな町並みの港の見える坂の上にあった。  それはオレンジ色の古い石造りの家屋の三階で、もちろんエレベーターなどと言う気の利いた物はない。  ハジメは、右肩にセディのトランクを担ぐと、左手にはセディの右手を取って、その階段を上がっていく。 「セディ。今日から、ここで俺と暮らして貰っても良いかな?」  三階に着くと、ハジメは恥ずかしそうに言って、自宅の鍵を開けた。  室内には、ダイニングキッチンがあり、その隣に寝室とバスタブが置かれたバスルームがあった。  部屋はそれで全てだ。  寝室のクローゼットの脇にトランクを置いて、ハジメはセドリックを振り返った。  ……最初ハジメは、このトランクを取りにロベールの元へ戻ると言うセドリックに、自分も一緒に行くと言って譲らなかった。  けれども、セドリックは、これは自分の問題だからと、ハジメを置いて、ひとりでロベールの待つ客室へと行ってしまったのだ。  セドリックの戻りを不安げに待っていたハジメの元へ、重いトランクを引きずってセドリックが戻ってきたのは、その二〇分後のことだった。 「よく戻ってこれたな、セディ! いったい何と言ってあの男を説得してきたんだ?」 「また言っただけだよ」 「なんて?」 「まくし立てるロブを無視して、荷物を全部トランクにつめて。ドアの前で『アデュー』って。そうしたらもう彼は、追い掛けては来なかったよ」  と言って、セドリックは微笑んだのだ……  自分のつましい部屋を案内したハジメは、もう一度、セドリックに尋ねた。 「どう、かな?」 「すてきだよ、ハジメ。フランスのアパルトマンだって広さはこれぐらいだもの。そんなに心配しないで? オレンジ色のおうち、とってもかわいい」 「よかった!」  心から安心した声で、ハジメはぎゅうとセドリックを抱きしめる。  その日は、ハジメのなじみのレストランで夕食を取った。  珍しいプエルトリコの料理を、セドリックは好き嫌いもせずに口へと運ぶ。 「これは何? ハジメ」 「トストーネス。クッキングバナナを平たく潰して、二度揚げしたものさ」  ラムコークを呷りながら、ハジメは説明した。 「こっちは?」 「アルカプリアス。クッキングバナナと里芋で生地をつくって、豚肉やシーフードを包んで揚げてある」 「うふふ。みんなバナナ。美味しい」  セドリックはハジメと同じラムコークを飲んでいて、既に顔が赤い。  酔ったセドリックは幾分大胆になって、最初にキスした日のことをハジメに尋ねた。 「ねえ、ハジメは誰にでもあんなキスをするの?」 「えっ?」 「最初に僕が泣いていた日、化粧室にいきなり連れ込んで、僕にキスをしたでしょう?」  少し、哀しそうな瞳の色に、ハジメは慌てた。 「あ、いや、その……」 「そうなの?」 「いや、泣いている女の子のほっぺたにキスするぐらいはしていたけれど……悪かった、俺は他に慰め方って奴をまるで知らなくて、けど……」 「けど?」 「あの時は、ああするのが一番良いことのように思えて」 「ふーん」 「ごめん、それは嘘だ。単に俺がああしたかっただけなんだ」  セドリックは手の中のフォークで、ぐるぐると揚げたバナナをかき回す。  ハジメは不安になって尋ねた。 「やっぱり本当は嫌だった?」 「驚きはしたよ? でも、なんだか凄く、幸せな気分になってしまって……」 「じゃあ、やっぱり、あれで正解だったんだ」  安堵して話題を終えようとしたハジメに、セドリックは再びたずねた。 「ハジメはきっとモテるんだろうね」  予想外に会話が飛んで、ハジメはすっかり閉口しきってしまう。 「ええ? セディ。どうしたんだよ、いったい」 「別に」  ハジメには覚えがある。  こんな風に恋人が拗ねる時は、大抵、やきもちを焼いている時だ。 「なあ、どうしたんだ?」 「ここ、なじみの店って言ってたよね。さっき料理を運んできた女の子、ハジメをじっとみてた。あの子ともキスしたの?」  突然。  ハジメは自分のフォークを置くと、立ち上がって、ラムコークをかかげて言った。 「皆聞いてくれ、此処にいるセドリックは俺の恋人!!!」  すると、口笛と拍手とが店内に湧き上がり、セドリックは慌てた。 「ハ、ハジメ何言ってるの?」  再び席に着いたハジメは。セドリックを真っ直ぐに見つめる。 「セディ。言ったろう? 俺はもう、セディしかいらない」 「……うん」 「セディが欲しいんだ」 「……うん」  うつむいて再びぐるぐるとバナナをかき回し始めたセドリックに、ハジメは逆に尋ね返した。 「今夜、君をもらっても構わない?」 「え……」  絶句してハジメを凝視するセドリックに、ハジメは笑って言った。 「そこは、うん、って言ってはくれないの?」  冗談めかしてはいるが、ハジメの眼差しは真剣だった。  セドリックはその視線をまともに受け止めてしまい、もう、逃げられず―― 「いいよ」 と、小さく、頷いたのだった。

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