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第3話 ( 芯 )

 ──そして再び三〇年前。  父親を若くして癌で亡くしたのは黒崎がまだ母親のお腹の中にいた時のことだ。  貧しい母子家庭で育った黒崎は高校を卒業後、「お互いに頑張りましょうね」という気丈な母親を一人実家に残して上京。一年間現場に住み込みで土方のアルバイトをして学費を貯めた。  貯めた資金で黒崎はエレベータもない団地を借りると人より一年遅れで受験をして、見事難関大学に受かり──入学した一日目。  その朝、黒崎は家を出てすぐにペンケースを鞄に入れ忘れたことに気がついた。  しかし、今日は終日ガイダンスの予定だ。鞄の中には確か、使い古しのシャープペンシルが一本入っていたな、と鞄のポケットに手を突っ込んでその所在を確認すると、黒崎は構わず自転車に乗った。  時間はギリギリだ、戻る暇はない。  駐輪場に自転車を放り込むと、なんとかガイダンスの時間に間に合った黒崎は、席について配られた資料を広げた。 「ふぅ」  鞄からシャープペンシルを取り出し、カチカチと芯を繰り出し──たかったのだが。 「?」  カチカチと幾度押しても、シャープペンシルの芯が出てこない。 ──いや、そんな、まさか?  カチカチカチカチ……  教授は白墨を手に、今年の授業計画を板書し始める。  が、シャープペンシルは空しい音を繰り返すばかりだ。 ──まずい。  その時。  トントンと、様子を伺うように背中を軽く叩かれた。  黒崎が振り向くと、後席のチャラそうな長髪の男子生徒が言った。 「ねえ、君。僕シャー芯あるよ。0・5の2Bでよければ」 「本当か、助かる」 「うん、ハイコレ」 「アンタ、名前は?」 「僕? 一ノ瀬」  一ノ瀬はそう言ってシャーペンの芯をケースごと黒崎に手渡した。 「一ノ瀬、ありがとう」  黒崎は受け取って、大事そうに一本だけ抜き取ると、ケースを一ノ瀬へと返す。 「二、三本持っとけば?」 「いや、いい。これで充分だ。講義が終わったら、購買へ行く」 「そっか」 「俺は黒崎だ。この礼は必ず」 「気にしなくていいよ、黒崎クン」 「黒崎でいい」 「うん、わかった。黒崎」  にこりと笑って、一ノ瀬は受け取ったケースをペンケースへと戻した。  その日から。 黒崎の目が、一ノ瀬を追い始める。  黒崎は隙あらば借りを返そうとその機会を伺うのだが、一ノ瀬にはなかなかその「隙」がなかった。  荷物はコンパクトなくせに必要なものは大抵きちんといつも持っているし、忘れ物はするようだが、その度にラッキーが転がり込んで、その不都合は相殺される。  たとえば、テキストを忘れた講義が休講になるだとか、コンビニで入れ忘れられたスプーンを、誰かに二本入っていたと分けてもらったりするなど……だ。 ──こいつには俺の助けなどいらないのでは?  黒崎がそんなことを思い始めたのは、一ノ瀬の事を見守り続けてひと月も経った頃だろうか。  見ている限り。  一ノ瀬はよく笑う。人を放って置けないたちなのか、周囲によく声をかけるし、困っていれば手助けもする。  それでいてひとりで図書館にもよく行くし、誰かと常に連んで一緒、というような人種でもないようだ。  一般教養がいくつか黒崎と被っていた一ノ瀬は、講義で目が合うと、ひらひらと愛想良くこちらへ手を振ってくる。  そう、今も。 「黒崎ー!」  目が合った一ノ瀬は、講義が終わると、真っ直ぐに黒崎の席へとやってきた。 「なんか最近よく会うね! お昼一緒しない?」 「あ……いや俺は……」  鞄の中にラップで包んだ塩握りが一つ、入っている。貧しい生活の黒崎は自炊しており、昼食はいつも、こればかりだ。  一ノ瀬は構わず話を続けた。 「学食にさ、カレスパってのがあるんだけど、なんと一皿二百円なんだって! すごくない? スパゲッティにカレーが山盛りで二百円!」  一食最高でも三百円以内に抑えたい黒崎にとってそれは朗報だ。 「行く」  黒崎はすぐさま立ち上がった。  ずっと、金がかかるからと敬遠していた学食に、黒崎は入学以来初めて足を踏み入れる。  自販機でカレースパゲッティのチケットを買い、ふたりは配膳レーンに並んだ。  出てきたカレスパはなかなかの量で、一ノ瀬はご機嫌だ。この見た目で、彼はかなり食べる方のようだった。  窓際のカウンター席が空いていたので、目配せし合うと並んで腰を下ろす。 「僕さ、あんまりお金ないから、コレすっごい助かる」 「お前も?」  昼の分の塩握りは夜に回して、朝の味噌汁の残りと一緒に──そんなことを考えていた黒崎は、一ノ瀬の意外なカミングアウトに驚いた。苦労しているようにはまるで見えない。 「黒崎も? 奨学生なの?」 「ああ」 「へー! へー! よろしくね、黒崎」 ──何を今更よろしくするんだ?  黒崎は首を傾げた。  このひとつき、ずっと一ノ瀬の動向を伺っていた黒崎は、こいつには自分など必要ないだろうと思い始めた矢先だというのに。  しかし。  それから一ノ瀬は、事あるごとに黒崎を見かけると、嬉しそうに駆け寄ってくるようになったのだった。  そんなある日。 「黒崎! 講義コレで終わり? 僕も!」  講義を終えて、自転車置き場へ向かおうとした黒崎は一ノ瀬に呼び止められた。 「僕ね、昨日。バイト決めてきたんだ」 「へえ、なんの?」 「ホストクラブ」  並んで歩き始めると、一ノ瀬はしれっとそんなことを話し始める。 「は?」 「上手くできるかわかんないけど、ともかく時給がいいんだよね」 「お前、他にもっとなんかあるだろ……」 「えー? 割りが良くないと、司法の勉強もしなくちゃだし、何せ時間が足りないから」 「それはそうかもしれんが」 ──なんだろう。なんだか嫌だ。  黒崎はモヤモヤとしたものを感じながら、自転車を出す。会話が盛り上がらない。校門まで押しながら、一ノ瀬と並んで黙って歩いた。 「……じゃあね、黒崎。ここから乗ってくでしょ?」 「ああ、またな、一ノ瀬」  黒崎がそう言って、自転車に跨ろうとした、その時だった。  夕方、薄暗い中、視界が悪かったせいだろうか──校舎の角を曲がってきたダンプが、内輪差を読み誤って、ふたりの方へと突っ込んできたのは。 「一ノ瀬ッ!」  黒崎は自転車を放り出すと、一ノ瀬を頭から庇って校舎側のフェンスへと突っ込む。  派手な音を立てて自転車を引っ掛けたダンプは、ふたりが無事そうな様子を見届けると、逃げるように通り過ぎていってしまった。 「あ……びっくりし……た……?」  倒れ込んだまま一ノ瀬が我にかえると、何か生温いものがポタポタと頬に落ちて来る。 「何コレ?」  怪訝に思って手をやれば。  ぬる……っ  それは──大量の血の滴りだった。 「黒崎ッ?!」  一ノ瀬が抱え込まれていた黒崎の肩を掴んで引き起こすと……黒崎の左頬が、ザックリと裂けている。 「えッ?!」 「……そこのフェンス、破れてた」 「黒崎……ッ 病院……救急車……ッ!」 「いや、顔だけだ、大丈夫」 「全然大丈夫じゃ無いよ! 顔だよ?!」 「お前じゃなくてよかった。ホストやるんだろ?」 「バカ言ってないで! クソッ! あのトラック!」 「暗がりでこの傷までは見えなかったんだろ……校門の監視カメラがあるから、問い詰めるのは後だ」 「そうだね、先に病院……ああ、出血がひどい。黒崎、痛いと思うけど。ここ抑えて止血してないと……」  一ノ瀬は、ぎゅっと黒崎の頬の傷を摘んで抑えて止血する。 「黒崎これできる?」 「ああ。救急車、呼ぶより、駅前の病院に行った方が早いな」  一ノ瀬は止血の手を黒崎に引き継ぐと、自転車を起こして、呼んだ。 「君の自転車、傷だらけだけど動くよ! 頬押さえて後ろ乗って!」  手も顔も服も血まみれのふたりが、夏の夕暮れの街中を自転車で走り抜ける。 「なあ一ノ瀬」 「何? 痛い?」 「シャー芯の借りが返したかったんだ、俺」 「は? え? いつの話?」 「入学初日の」 「あー」 「コレじゃ。また、借りを作ったようなもんだな」 「何言ってるの?!」 「いや。だから……」 「黒崎、気にしすぎ!」 「すまん……」  一ノ瀬は、背中にしょげる黒崎を感じ、あらためて口を開いた。 「……庇ってくれてありがとう。おかげで僕は無事だし。バイトもできる。全部、黒崎のおかげだよ」 「一ノ瀬……」 「ホントだよ。学校も楽しいし黒崎は面白いし……僕、感謝しかない」 「本当か?」 「うん。僕ね、将来弁護士になりたいんだ。やむをえず犯罪に手を染めた子供達を助けたいなって。上手く説明できないけど、僕も色々あって……あ! 病院見えた!」  何があったのか、気になるところで話は途切れる。  受付時間にギリギリ間に合った血まみれのふたりを、病院は驚きながらも受け入れてくれたのだった。      ◉  黒崎が処置を終えて会計に向かうと、誰もいない待合の緑のベンチに、一ノ瀬がぽつんと座っているのが見えた。 「あ、黒崎」  一ノ瀬はすぐに気がつくと、立ち上がる。 「縫った?」 「いや、なんか、接着剤みたいのでくっつけられた」 「そっか……ホント、目とかじゃなくてよかった……黒崎の目が潰れてたら僕の目、あげるから」 「馬鹿言うな」 「黒崎、ホント、ごめん。ありがとう……」  ぎゅう、と、抱きしめられた。  一ノ瀬に。  黒崎は、自分の手をどこに持っていったものかしばらく悩んで……それから、一ノ瀬の頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。 「ふたりとも死んでない。助かったんだから。大体気にするな……ってさっき言ったのはお前だろう?」 「そうだけど……でも……」  べそりと、一ノ瀬は涙声になっている。 「まあな、幸い俺は男だし、顔に傷くらいどうってことない」 「黒崎が女の子だったら、僕、絶対君のことお嫁さんにもらうから!」 「あー、わかった。ほら、鼻かめ」  黒崎はポケットからティッシュを出すと、一ノ瀬に差し出した。  大人しく鼻をかんで、一ノ瀬はゴミ箱にティッシュを捨てる。 「落ち着いたか?」 「ん」 「……なら帰るか。もう七時だ」 「黒崎、晩ごはんどうするの?」 「今日は痛くて何も食えそうにないが……エクレアなら食いたいな」 「無理でしょ、口開く?」 「まあ……そうだな栄養ゼリーでも……啜れないか」 「スプーンで掬って食べるというのはどうだかな」 「あー……」 「お粥は? 重湯みたいにすればいいんじゃない」 「そうだな、そうするか」 「送るよ、黒崎」 「は?」 「ついでにお粥作ってく」 「い、いいよ」 「なんで? 部屋散らかってるの?」 「そんなことはないが……」 「頭も洗ってあげる。汗かいたでしょ?」 「いいって」 「遠慮しないでよ」  ぷうと一ノ瀬がふくれる。 「僕だって恩は返したいの!」 「あ……のな、これじゃ堂々巡りだろ」 「そんなもんなんじゃないの? 友達なんて」    ──友達?  黒崎の頭に疑問がよぎった。そんな間柄だったろうか? 自分らは。 「ほら、行くよ。黒崎」  一ノ瀬は、委細構わず荷物をまとめて、黒崎の背を押す。  外はすっかり暗い。病院の自動ドアに映り込んだ自分たちの姿を見て、そこでお互い、血だらけの酷い格好であることに改めて気がついた。 「落ちるかなあ、この白Tシャツ」 「水で洗えば落ちるだろう……すまない。俺の血で汚して、洗って返す」 「えっ! 僕、何着て帰ればいいの?」 「代わりのシャツくらいウチにだってある!」 「あはは、ありがとう。黒崎」  一ノ瀬は笑いながらサドルに跨ると、荷台に黒崎を乗せて夏の夜を走り始めた。 「ねぇ、黒崎。僕ね」 「うん」 「こんな夜のこと、きっと、ずっと忘れないと思うよ」 「はは、そうか?」 「きっとね、僕がおじさんになって、それからお爺さんになって、そんで、いつかの夏の夜に、こんな夏の夜もあったなって、縁側で思い出すよ。多分ね」 「そうか」  黒崎は一ノ瀬の背中を抱きながら考える。 「……多分、俺も、忘れないだろうな」  頭上には丸くて大きな月が出ていて。  薄暗い住宅街に入り込むと、アスファルトの路面にはふたりの影が落ちた。  黒崎は腕の中の、クーラーで冷え切った一ノ瀬の体温を感じながら──ああ、しまった。これは、うっかり落ちてしまった。これが、こんなのが、恋なのかもしれない……と、陽気な絶望が胸を満たしていくのを感じたのだった。  それから。  一ノ瀬は、昼は大学、夜はホストクラブでの仕事を器用にこなして、司法試験へ向け勉強を進めているようだ。  黒崎は一年働いて作った学費があるので、倹約の日々を過ごしながら、なんとか学生生活を送ることが出来た。  二年はあっという間に過ぎて、三年となり、ふたりはゼミを希望する。  一ノ瀬は黒崎と同じ教授のゼミを希望していた。人気のゼミであったけれども、ふたりとも無事、同じゼミに入ることが出来た。  それぞれの志望通りに全てが順調に進み。  また、夏の季節がやってきた。  その日はゼミ一年目の定例コンパがあり、駅前の居酒屋で開かれたゼミの参加人数は、四年も含めた約三十名ほど。  黒崎は誰の話の輪に交ざるでもなく、テーブルの隅で大人しく出される料理を突ついていた。  隣では楽しそうに一ノ瀬が先輩と歓談していたが、だいぶ呑んでいるようで、ただでさえ陽気な一ノ瀬が、紙巻き煙草を吸いながら、ひとまわり賑やかにはしゃいでいる。  そんな中、黒崎は飲んでいた烏龍茶のグラスに手を伸ばし……たが、そこにグラスは無かった。  顔を上げれば手は届くけれども、少し離れた位置にグラスはある。  黒崎は、それを掴んでごくごくと半分ほど飲み干し──味の違いに気がついた時には後の祭りだった。 「あれ? これ薄い?」  隣で同じくグラスを口に運んだ一ノ瀬が、首を捻っている。一ノ瀬が手にしていたグラスこそが、黒崎の烏龍茶だったのだ。 「あ、ごめん黒崎、僕、君の飲んじゃったみたい……て、黒崎???」  一ノ瀬が振り返ると、苦虫をかみつぶしたような黒崎がいた。 「これ、お前のか?」 「うん濃いめのウーロンハイ。黒崎飲めなかったよね、大丈ー夫?」 「……凄い味だな」 「ん、僕のは中身三倍濃にして貰ってたから……今お水貰うね、すみませーん!!」  一ノ瀬は店員に手を上げる。  届いたお冷やを飲ませる頃には、黒崎は大分、酔いが回っていた。 「一ノ瀬、なんだかぐるぐるする……」 「教授ぅ、すみません、黒崎が潰れちゃったので、僕、送ってこれで帰りますぅ」  立ち上がり手を上げた一ノ瀬がよろける姿を見て、教授は心配そうに声を掛ける。 「一ノ瀬君も随分酔っているようだが、大丈夫かね」 「はあ、なんとか」  一ノ瀬は、へらりと笑い黒崎を担いで店を出た。  時刻にして二一時。  どちらにしろコンパはそろそろお開きの時間ではあった。 「う。重ぉぃ」  一ノ瀬は、よろよろと黒崎を連れて歩く。  ここからだと、黒崎の住む団地より、自分のアパートのが近かった。  一ノ瀬もそこそこに酔ってはいたが、まだなんとか行動を取ることは出来る。 「黒崎ぃ、君んちまでとても連れていけないからぁ、今日は僕んちに泊まっれ?」 「……ぁあ」  呂律の回らない一ノ瀬に返事をする黒崎は、分かっているのかいないのかも分からない。  ともかく一ノ瀬はアパートへ連れて帰ると、自分のベッドへと黒崎を寝かしつけにかかった。 「ね、わかる? ここベッド、横になって」  一ノ瀬はぽんぽんとシーツを叩く。  ──一ノ瀬?  黒崎は、混濁していた意識が一瞬浮上した。ふわりとした一ノ瀬の煙草の匂い。シャツ越しに触れる熱い体温。 「はい、足ここ……」  一ノ瀬が担いでいた黒崎を下ろそうと抱き寄せたその時、ふいに首筋を生温い感触が舐めるのを感じた。 「?」  黒崎の舌だった。 「一ノ瀬の煙草の匂いがする……」  黒崎はそんなことを言いながら一ノ瀬に腕を回す。 「ぁ……っ」  思わず色っぽい声を上げた一ノ瀬に、黒崎が唇を重ねた。 「一ノ瀬……」 「んっ?……んんっ?? ん?」  混乱するままに舌を求められ、一ノ瀬はうっかり、ホストクラブでいつも女性客の相手をするように、そのキスに応えてしまう。  一ノ瀬は快楽には弱い方の人間だ。  ──気持ちいい。頭、ぼーっとする。  酔った一ノ瀬がされるがままに、黒崎と深いくちづけを交わしていると、やがて、自分のシャツをたくし上げる熱い手に気がついた。 「ぁ……っ」  止める間もなく、露わになった胸元からちゅうと、乳首を吸い上げられる。一ノ瀬は女客──それも年上の──に枕営業もしてるので、彼女らに乳首を開発されていたものだからたまらない。チロチロと先端を舐めまわされて、みるみる下が元気になっていった。 「ぁっあっ……ぁ……っ」  黒崎が持ち上がった一ノ瀬のズボンの前を無心にさすり上げ始めたので、思わず一ノ瀬の腰も揺れ始める。  相手が誰かも忘れ、酔った一ノ瀬は黒崎にねだった。 「ね、直に触って……」  熱い吐息まじりに囁くと、黒崎は一ノ瀬のGパンのジッパーを下ろしてボクサーを引き下ろす。 「ん……んっ……」  一ノ瀬は黒崎に身体を預け、くちづけしながら無骨な手に陰茎を執拗に愛撫された。 「あっダメ……もぅ出……」  絶頂を感じて。  一ノ瀬がそう、うったえた途端、黒崎が手を止めた。 「え?」  黒崎はいきなりハンパに引っ掛かっていた一ノ瀬の下着も何もかもを引き下ろして脱がせると、身体をくるりとうつ伏せにひっくり返す。 「え? えー? なに?」  酔った頭で追いつかない一ノ瀬にはお構いなしに。  黒崎は上から一ノ瀬に覆い被さると、先走りでヌルヌルになった亀頭を、一ノ瀬の尻の谷間に押し付けた。 「え? え?」  ずぷん。 「んぅっ?!」  解すも何もない。  黒崎は根元まで一ノ瀬のアナルに突っ込むと、そのまましばらく動かなかった。押し広げられてじんじんとするアナルに、一ノ瀬は混乱する。  幸いなことに、長いけれどもさして太くはない黒崎の陰茎は、一ノ瀬のアナルを裂くことはなく──けれど確かに、一ノ瀬の身体の中に押し入っている。  後ろから一ノ瀬のうなじにキスしながら黒崎は譫言のように繰り返した。 「一ノ瀬、かわいい……かわいい」 「ゃっ首すじ……だめ……やめて。ぁっ頭バカになっちゃぅ……」  アナルの違和感よりも黒崎の愛撫による快感が優ってきた頃。  一ノ瀬は押し寄せた強い酔いの波に、意識を手放した。  次に意識が戻ったのは。  ようやく黒崎が動き出した時だった。 「あっ……あっ ぁっ」  一ノ瀬は混乱のままに快楽に飲み込まれていく。 「一ノ瀬……一ノ瀬……ッ」  ──ずっと僕の名前、呼ばれてるけど、あれ? 今日、枕の日だったっけ……? 「ぁ……っ、あぁ……っぁ……っ」  一ノ瀬は喘ぎながらも朦朧とした頭でぼんやりと不安を覚えた。  ──え、僕、誰とえっちしちゃってるの?  腰を掴んでいた手がいきなり伸びてきて顎を掴まれ、一ノ瀬は無理やりくちづけられそうになる。  寸前。  欲に蕩けきった黒崎の、見たこともない瞳と目があった。  ──あ、なぁんだ。黒崎か。  一ノ瀬はそこで安堵して、強引な黒崎のキスにうっとりと応える。  ──よかった。 一ノ瀬がほっとした瞬間。 「一ノ瀬っ」  ぐぷん。 「ぁああ……っ!」  とろりとほぐれた一ノ瀬の最奥が黒崎を無意識に迎え入れてしまい、奥深く貫かれて一ノ瀬は思わず声を上げた。 「黒崎っ……っぁ、や、だめ……ぁ……っ」  ──気持ちがいい。おかしくなる。何も考えられない。 「くっ……んぅっ……」  そのまま、黒崎は一ノ瀬の中に勢いよく射精した。  ぎゅっと後ろから抱きすくめられ黒崎の体温を感じながら、一ノ瀬もつられて絶頂する。 「ぁあっ……!」  どれだけ時間が経ったろうか。  静まりかえった深夜、窓からさす月明かりの下で一ノ瀬は再び目を醒ました。 「?」  ──なんか、スースーする?  それもそのはずだ、一ノ瀬は何も穿いていない。  一ノ瀬は怪訝に思いながらベッドを降りると、アナルからどろりと太腿に垂れた感触に思わず手をやり……  ──え、何これ。  それは、臭いも、粘度も、どう見ても男の精液だ。  一ノ瀬は、ぎょっとして今しがた眠っていたベッドを見下ろす。  そこには黒崎が静かに寝息を立てて眠っていた。  ──そうだ、連れて帰ってきたんだっけ……。  なんとなくほっとして黒崎の寝顔を見つめていると、ごろりと寝返りを打った黒崎のすねがタオルケットから露わとなり──その黒崎も下に何も身につけていなかった。 「え」  思わず声が出た。  ──待って。僕、黒崎に抱かれたの?  よろ、と、まだ酒の残る頭で、一ノ瀬はシャワーを浴びにバスルームへと向かう。  黒崎の匂いを落とすかのように身体を洗って、一ノ瀬はバスルームを出た。  ベッドでは黒崎がまだ、昏々と眠っている。  一ノ瀬は散乱した衣類をかき集め、起こさないように黒崎に着せた。  ──明日。全部、明日考えよう。 「おやすみ、黒崎」  ──疲れた。  一ノ瀬はもう一度黒崎の横に潜り込むと、 そのまま眠りに落ちる。  翌日ふたりが目を覚ましたのは。昼すぎのことだった。 「ぅう。頭が痛い」  黒崎の唸り声に起こされて、一ノ瀬も目を覚ます。 「大丈夫? 僕が君のグラスを取り違えちゃったから」 「一ノ瀬」  黒崎がきょとんとした顔を見せたので。  おそらく何も覚えていないのであろう黒崎に、一ノ瀬は、にっこり微笑んだ。 「ごめんね、僕のせいで」 ──いつも。僕は君に迷惑を掛けてばかりだ。  かつて一ノ瀬が大学を去ろうと考えるようになったのは、その頃からの事だった。

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