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第2話
それから。
村上の姿を、ちょくちょく病院で見かけるようになった。
遠目にも視線が合うと、村上はぺこりと挨拶をしてくる。
込童も先日時間切れで聞けなかった新製品の説明を受けたかったのだが、昼間はなかなか時間が取れなかった。
今日も忙しく立ち働いて。
「さて、帰るか……」
日勤だった込童が地下駐車場へ向かうと、出入り口でちょうど引き上げる村上と鉢合わせた。
「あ、先生。先日はどうも」
「村上さん、今日もご苦労様です」
「ちょうど良かった、込童先生、この前の件ですが――」
村上は、仕事のこととなると、きちんと話せるようだ。
ふたりでスケジュールを調整しながら、業務用エレベーターに向かう。乗り込んで、下へ向かうべく階数を押した。
ドアが閉まる。
エレベーターは下降を始め――しばらくするとガタン、と停止した。
室内灯が消え、真っ暗だ。
それきり一向に、動き出す気配がなかった。
「?」
村上と込童は、暗がりの中、立ち尽くした。
「故障ですかね?」
「インターホン、押してみましょう」
込童は蛍光塗料が光る緊急時通話用のインターホンを押してみた。
が、反応しない。
「おかしいですね。院内の管理室と繋がってるはずなんですが……」
「管理の方がたまたま呼び出されていて不在とかでは?」
「仕方ない。業務用のエレベーターですから、すぐに院内の誰かが気づくでしょう」
村上は眩しく光る手元のスマートフォンを覗き込んだが、アンテナは立っていなかった。
「スマホも駄目なんですね」
「そうなんです。院内のPHSも、ここは通じなくて……」
込童が、ふうと溜息をついて、村上に尋ねた。
「寒いでしょう。すみません、業務用のエレベーターにはエアコンもついてなくて」
「あはは、いささか。二月ですからね、さすがに……」
「ですよね、僕も寒いのが苦手で。あの、村上さんちょっといいですか?」
「え……あ?」
暗闇の中で村上は腕を取られる。
そのまま引き寄せられて、込童に後ろから抱きすくめられた。
込童は村上の肩に顎を乗せる。
「はあ、温かい」
「あの、先生???」
村上がたずねると、ぎゅうと抱きしめられた。
込童の冷えた頬が、自分の耳に押し当てられるのが分かる。
込童は言った。
「すみません、お嫌でなかったらしばらくこうしていても良いですか?」
「や! 嫌って言うか、その……」
口ごもる村上に、込童は優しい声を掛ける。
「よかった。助かります」
ぎゅうと腕に力を込め、礼を言った。
「ところで村上さん、この前の人と、ちゃんとお別れできました?」
「そ、それ、今関係あります???」
「ありますよ」
耳元に囁けば、ぴくりと村上の肩が上がった。
「もしまだでしたら、こうしてちゃ、まずいでしょう?」
込童の唇が動いて、時々耳朶に触れる。
「こ……込童先生」
おそらく、村上の顔は今真っ赤だろう。頬に触れる耳朶が熱い。
「はい?」
「止めて下さい。私がゲイだからって、からかって遊ぶのは」
――そう来たか。
「からかってませんよ」
「声が笑ってるんですよ、先生」
「それは、僕が楽しいからですね」
「やっぱり、あっ、遊んでるんじゃないですか!」
村上はそれでも、逃れようとする気配はない。
「村上さん、ハグ、久しぶりですか?」
「しないでしょう、普通。大人にもなって」
「ストレス緩和に良いんですよ、とても。胃が温かくなりませんか?」
ええ、まあ、と村上が口の中で答える。
すると。
非常用のインターフォンから通話が入った。
『すみません、こちら守衛室です。どうされました?』
「ああ、心臓血管外科の込童です。エレベーターが止まりましたね。直りませんか?」
『監視カメラの映像が真っ暗で、こちらでもよく分からないんです。すみません、私も今戻ってきたところで。随分お待たせしましたか? すぐ業者に連絡を取ってなんとかします』
「ありがとうございます」
少々お待ちください、と言って通話は切れた。
「良かった」
込童の腕の中で、村上が安堵の溜息をつく。「残念ですね」
「え?」
「貴方となら一晩中こうしてても構わないのに」
「だっ、だから先生……」
『お待たせしました。込童先生。業者はあと三十分ほどで到着します』
「わかりました。よろしくお願いします」
『もしもの時には、隅に緊急時用の椅子兼トイレがありますから、使って下さい』
「そうならないことを願いたいですね」
苦笑する込童。
『それでは失礼します』
「だ、そうですよ、村上さん。大丈夫ですか?」
「何がです?」
「トイレ」
「へ、平気です!」
「僕も。でも立ってるのもつかれたな。一緒に座りませんか?」
「どうやって?」
「こうしましょう。貴方が僕の膝の上に乗るんです」
「ええ? 嫌ですよ」
「だって寒いですし、僕は貴方というカイロを離したくない」
「人を暖房代わりにしないで下さい」
「暖め合わないと凍えますよ?」
「冬山じゃないんですから」
「似たようなものですよ。村上さん、そのスマホで辺りをちょっと照らしてくれませんか?」
「あ、はい」
村上は胸ポケットからスマホを出して周囲を照らす。確かに、エレベーター内の一隅に三角形の椅子があった。
「よいしょ」
「うわ!」
込童は村上を抱え上げると、抱き込んだまま椅子へと腰を下ろした。
「ちょっと、私の意思は……」
「すみませんね、寒くて」
村上の背中に、込童は耳を当てた。
「ああ、心臓がばくばくいってますね」
「当たり前でしょう、こんな……」
「心拍数上がっちゃいましたか?」
再び肩口に顔を乗せると、込童は耳元に囁く。
「それ、止めて下さいってば先生、いったい私をどうしたいんですか……」
「どうしたいんだと思います?」
「え……」
「こんな暗闇の中に閉じ込められて、顧客であることを良いことに、貴方を寒いからと強引に抱きしめてる僕は、何を考えていると思います?」
「だから、からかうのは止めて下さいって……」
「貴方の心拍数、上がっていましたね。僕が怖いですか?」
「…………少し」
「もう一度お聞きします。あの人と、お別れできましたか?」
ぎゅうと抱きしめて、込童は村上の髪に鼻先を埋めた。
「お別れも何も、私が一方的にすがっているだけですから」
「僕にしませんか? それ」
「は……はは。込童先生。もしかして可哀想って思ってくれてます? 私のこと」
「可愛いって思ってます。貴方のこと」
「先生、ゲイなんですか?」
「そう言う括りでないと、安心できませんか?」
込童は鼻先で村上の後ろ首を探り当てて、唇を押し当てる。
「あっ……んっ……せんせ……っ」
音を立ててうなじにキスを繰り返して、様子を見る。村上は、やはり、逃げない。
込童は試しに薄く唇を開いて、うなじを舌先で舐め上げた。
「ひぁ……っ」
――根っからの猫だな。
村上が、込童の腕を掴んで身を捩る。
「だめです、止めて下さい……っ」
「どうして? 気持ちよさそうな声してますよ?」
「もう……ひとりで良いって決めたんです、自分」
「無理でしょ、こんな好色な身体して」
する、と、込童は、村上の腰から手を下げて、スーツのズボンの上からフロントを擦り上げた。
「気持ちいいコト、好きでしょう貴方」
ちゅう、と、耳の後ろにキスをする。
「ぁっ……」
「僕のこと好きにならなくて良いですから、気持ちいいコトだけしませんか?」
「し、しな……ぁあっ」
「貴方。抱かれる方でしょう? 後ろ、もどかしそうですね」
「せん……せっ」
暗闇の中で、込童の触れる指と舌と、囁かれる言葉とで、村上はびくびくと身を跳ねさせる。
「しばらくしてなかったんです? ひとりでも? ……ふふ、ひとりの時は後ろでするのかな」
「駄目です、止めて下さい。人が来ます」
「スマホ、見てて下さい。あと二十分くらいかな。その前に貴方がイッてしまえばいい」
「どうしてこんなこと……」
「貴方、可愛いですね」
「……みんな、最初はそう言うんです」
気の弱い村上はスマートフォンをタップし、時間を確認する。
――お、これは。
脈があると見た込童は、首筋にキスを繰り返しながら、村上のズボンのフロントのジッパーを下ろした。
「最初は?」
「ぁっ……さいしょ…は、みんな……そう言って、ぼくのこと構うけど、そのうち、飽きて……いつも……」
「村上さんも、ぼくって言うんだ?」
「えっ……あ、私は」
「良いですよ、嬉しいな、素のままになってくれて。村上さん、あと何分あります?」
スマホに触れると、バックライトに明るく照らし出される。
「あ、多分、十五分くらい……」
「触れても良いですか? 貴方のここ」
込童はジッパーの間からズボンの中へ手をすべりこませて、下着の柔らかな布を撫でた。
ちゅっ…ちゅ……
首筋へ懇願するようにキスを繰り返す。
「んっ……ぁっ……せ……んせ……ぃ」
村上は返答の変わりに腕を伸ばし、込童の髪をまさぐった。
「村上さん……」
込童は、すんなりとした手を下着の中に滑り込ませると、既に硬くなりつつあった熱を握り込む。
「あぁ……」
やっと芯に触れられ、村上が声を漏らした。 込童はにゅくにゅくと握り込んで擦り上げる。先端に触れれば、ぬるりと溢れた先走りの蜜が零れた。
「ぁあっん……」
村上の上げる艶っぽい声。
親指で先端に蜜を塗り拡げ、カリの裏筋を指でさする。
「今日は、前だけでイきましょうか」
「ぁ……ッあ…………っ」
「ね、村上さん」
「もう、出…出ます、込童せんせっ…」
「ああ、この中に出していいですよ」
込童はポケットからハンカチを取り出して村上の陰茎の先端を包む。
「んぅッ……」
村上は、根元から扱き上げられ、堪らず、ハンカチの中へと射精した。
「ぁ……すみませ……先生のハンカチ……」
込童は、謝る村上に構わず陰茎を綺麗にすると、元の通り下着に納めて、ジッパーを上げる。
「立てますか?」
「あ、あ……はい」
村上が立ち上がると、込童も続けて立ち上がった。
「ここへは?」
「業務用車で来ました。大丈夫です、運転できます」
「あ……」
込童が小さく声を上げた。
エレベーター内の蛍光灯が明滅し、顔を上げて天井を見上げる込童の横顔が見える。
明滅を繰り返した照明はやがて気を取り直したかのように、くっきりと周囲を浮かび上がらせた。
眩しい。
ふたりとも目を瞬かせながら、お互いの顔を見た。
村上は、さっきまでこの男に淫らな事をされていたのかと思うと急に羞恥心がこみ上がり、耳まで赤くなる。
「村上さん?」
明るくなったエレベーターはまだ動き出す気配がない。
「あ、いえ、その……」
火照る頬に自覚のある村上は、くるりと込童に背を向けた。
「……大丈夫です」
もう一度繰り返す村上の背に、込童は言った。
「村上さん、考えておいて下さい。僕とのこと」
小さな音が、ふたりの会話を切り裂いた。
インターフォンだ。
ふたりは、はっとなる。
『お待たせしました。業者の人が今やってくれてます。電気系統がほぼ生き返ったので、こちらのモニタでもそちらが見えますよ。ああ、お二人だったんですね。それなら退屈もそうしなかったでしょう』
「はは、確かに。退屈はしなかったかな」
込童は監視カメラに向かって、爽やかに笑いかけた。
ゴウンと振動して。
二人を閉じ込めていた小さな箱は、本来の姿を取り戻した。
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