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第2話
数日後。
昼休み、珍しく社内でペーパーワークをしていた獅堂の社用スマートフォンが、登録にない番号を表示してデスクの上で小さく震えた。
「お電話ありがとうございます。AGO社、営業部、獅堂が承ります」
『獅堂さん? 日路です』
聞き覚えのある落ち着いた、バリトンの声だった。
「……ああ! タクシーの! アンタか!」
『先日はお世話になりました。つきましてはお預かりしているお釣りとタクシー代をお渡ししたいのですが』
「ええ? 別に良いいけどなあ」
『そういうわけにも。タクシー代はおごっていただいたとしても、運転手からあなたへのおつりを預かっています。少額ですが、これはお渡ししないわけにはいかない』
「あー……そう……じゃあ、午後アポで出るから、方面が近かったら会えるかな。お台場なんだけど」
『ちょうどいい。自分も今日はお台場付近です』
「それじゃあアポ前の三時と、アポ後の五時、どっちなら?」
『五時でお願いします』
「俺、あそこのロボットまだ見てないんだよな、そこでいいかな、待ち合わせ」
『ふふ、面白い人ですね。わかりました。ではそこで』
と、電話を切ったのだが。
──現在。
獅堂は、素肌にガウンをまとって、ラブホテルの真っ赤なベッドに腰を下ろしていた。
「なんでこうなった」
夕方、獅堂のいう「ロボット」前で落ち合った二人が、挨拶をしながら小銭のやりとりをしていると、突如雷鳴が響き渡り──大粒の雨垂れが路面を打ちしえたのだ。
季節にして秋なかば。
全身ずぶ濡れになるまでに、三分とかからなかった。
なんとか屋根の下に潜り込んだときには、気温も急変し、冷え込む。
獅堂がタクシーを拾って、どこでも良いからホテルへやってくれと頼むと、何を思ったか運転手は五反田のホテル街にずぶ濡れのふたりを落としたのだった。
「ラブホ?」
思わず呟いた獅堂の隣で、日路がくしゃみで答える。
「っくしゅ……ふぅ……今なんと?」
「ああ、まあいいか、ここでも……」
獅堂は若い頃に遊び慣れた手際の良さで部屋を取ると、日路をバスルームへと押し込めた。
「寒……ッ」
暖房を入れて獅堂は濡れたスーツを脱ぎ、部屋にあったガウンに袖を通す。
それから濡れた服をハンガーに掛けると、ベッドに腰を下ろして社へ直帰の旨を電話し、獅堂は通話を切った。
「お待たせいたしました」
振り向けば。
日路も濡れた服を抱えてバスルームを出て来たところで。
同じくガウン姿で髪が濡れたままだった日路に、獅堂はドライヤーを探し出し手渡す。
「ありがとうございます」
「あ、濡れた服はそこのハンガーにでも」
獅堂はそう言いおいて、バスルームにおさまった。
──いや、しかし、この状況はどうよ。
冷え切った体をシャワーであたため、バスルームを出ると、日路はベッドに背筋を伸ばして腰掛け、イヤホンで何かを聞いていた。
意外だな、と、獅堂は思った。この美形ではあるが、不相応に年寄り臭い若者が、音楽を聴いているなどとは。
何やら手で拍子を取り、小声でハミングまでしている。
獅堂は冷蔵庫を開けてビールを取り出すと、日路に声をかけた。
「アンタもなんか飲むか?」
日路は、そこで獅堂に気がつき、イヤホンを外して頷いた。
「緑茶があればありがたいです」
「あー。あるある。ホラ」
獅堂は片手で日路に投げ渡して、自分もビールのプルを引いた。
「少し騒がしくするぜ」
一口飲みつけて、獅堂はドライヤーで頭を乾かす。
「ああ、そうだ、服な、帰りまでにはなんとか乾くだろ、部屋を三時間取った」
乾かし終わった頭を、くしゃくしゃとかき混ぜて、獅堂もベッドの反対側へと腰を下ろした。
「三時間? ホテルとは時間で取れるものなんですか?」
「あ? そりゃあ普通時間……」
そこで獅堂は絶句する。
「アンタ幾つ?」
「一九です」
「ラブホ初めてか?」
「ああ、やっぱりここがそうでしたか。そんな気はしていましたが」
にっこりと笑う日路に、獅堂は聞いた。
「どうする? 映画でも見るか? せっかくの大画面だし」
獅堂はムービーガイドを日路に手渡す。
日路はパラパラとめくり、邦画でも良いでしょうか、と獅堂に訊ねる。
「ああ? アンタが見たいモンで良いぞ」
「そうですか、それでは」
日路が選んだ映画は、原作が漫画の、コミカルなラブコメ物だった。
──ああ、仕草は年寄り臭くても、趣味はやはり若者なんだな。
獅堂はそんなことを考えながらベッドにごろりと横になって、ビールをあおっていた。
すると、どう見ても今現在、隣でベッドに腰を下ろし、緑茶を飲んでいる人物が、画面にアップになって現れたのだ。
獅堂は危うくビールを吹くところだった。
「なッ! え? アンタ????」
日路は背中を丸めて、くっくっと笑っている。
「えええ??? アンタ、俳優さんだったのか?」
「そんな大それた物ではありません。巷で言うアイドルと言う物をやらせて頂いていますが」
「い、良いのかよ俺なんかに正体バラしちまって」
「貴方にはお名刺まで頂いている物を、自分だけ身分を隠すなど失礼ではないですか」
「そ、そーゆーもん?」
「クリティカルというグループのメンバー、日路と申します。以降お見知りおきを」
日路はそう言うと背筋を伸ばしたまま、深々と獅堂にお辞儀をした。
「あ、ああ」
「そして、申し訳ないのですが、私も、少し横になって良いだろうか。ここのところ時間がとれなくて、あまり眠れていなかったもので」
「いいんじゃねーの? 時間になったら起こしてやるよ」
「それでは失礼して」
日路はそう言うとベッドに潜り込み、しばらくすると、獅堂の隣で静かに寝息を立て始めた。
──寝たか?
ビールを飲み終えた獅堂がひょいと寝顔をのぞき見れば、長い睫毛に縁取られた青い瞳が、パチリと開く。
至近距離の瞳に射すくめられ、獅堂は思わず固まった。
日路は、何も言わずに、獅堂に覗き込まれたまま見つめ返してくる。
しばらくみつめあったまま。
「…………獅堂さん、キスでもするんですか?」
と、真顔で日路にたずねられた。
「な……」
「なんだかそんな雰囲気だったので」
「いや、そんなつもりじゃ……」
「丁度良い。今度のドラマで」
と、日路が獅堂をさえぎる。
「私はキスシーンがあるのですが、つきあってはもらえませんか、練習に」
「は? え? 俺と?」
「はい」
日路は真顔のままだ。
真っ直ぐに見据えられて、人の良い獅堂は断り切れない。
「ええっと、アンタ寝るんじゃ……」
「気が変わりました」
「えぇ……」
困惑していると。
「そうですか、無理を言って申し訳ありません」
日路はくるりと背を向け、ベッドに潜り込もうとする。
「あああ! わかった! 俺なんかで良ければ!」
あわてて獅堂は日路を呼び止めた。
ごそごそと起き上がって、日路は獅堂にたずねる。
「獅堂さん、キスしたことありますよね?」
「ああ、まあ……」
「私はありません。全部、教えて下さい」
「え?! アンタ、こんなにイケメンなのに、ないのか」
「残念なことに」
「そうか……」
獅堂は、日路の顎に手を添えると、親指の腹で唇をなぞる。
日路が目を閉じたので、獅堂は唇を重ねた。
──全部ったって、何処まですりゃあ良いんだ?
唇を合わせただけのバードキス。
獅堂は、軽く唇を吸って放す。
軽いリップ音が室内に響いた。
日路はまだ瞳を伏せたままだ。
──ええい、ままよ……。
獅堂は唇を開くと、舌をさしだして、日路の唇に分け入った。
「んっ」
ぴくりと、日路の肩が上がる。
薄く口を開いたので、獅堂はそのまま日路の舌を探り当てた。
──あー、柔らけ。
獅堂が最後にキスをしたのは、八年前、二三歳の時だ。当時つきあっていた彼女に振られて以来のご無沙汰で。
「ふっ……はぁ……」
日路が唇を放し、ぎゅうと、獅堂にしがみついた。
「息が……上手く継げない……」
「慣れるさ、そのうち」
獅堂はぽんぽんとその背を叩く。
「もう少し、いいですか?」
「ああ? キスか? いいぞ」
獅堂は再び日路と唇を合わせた。
今度は、日路の頭を抱え込み、先ほどよりは踏み込んだキスをしかける。
無意識のうちに獅堂の手は、日路の髪をまさぐってしまい、うなじを擦られた日路は、ピクンとまた肩を揺らした。
「んっ……んんっ……ん……ふ……っ」
ためらいがちに息をつぐ日路がいじらしい。
獅堂は気がつけば、キスに夢中になっていた。ベッドの上に日路を押し伏して、くちづけを貪っている。
ちゅ……ちゅくっ……ちゅ……っ
くちづけの音が性的に部屋に響いた。
「っは……ぁ……」
やがて日路が息を継ぐ。
上気した獅堂の顔を見て、日路は満足そうに微笑んだ。
「私とのキスでも感じますか、獅堂さん」
「ああ、やばい」
獅堂は口元を手で覆って、顔を逸らした。
「え?」
「…………」
獅堂は、すでに固くなっていたソレをガウン越しに、ぐり、と日路の太ももに押し当てる。
「私もです」
日路の言葉に獅堂は無言で、ベッドの上掛けを引き剥がした。
シーツの上に、ガウンの裾がわずかにはだけた日路の姿があらわになる。確かに、日路のそこも屹立していた。
「しますか?」
「ああそうだな……ッてわけにもいかねえだろ。アンタ、風呂場にでも逃げて鍵ィ締めてくれ」
前髪を掻き上げながら、獅堂は肩で息をした。
「私が貴方につきあっても、かまわないと言ったら?」
「んな馬鹿げた話ねぇよ」
「大丈夫だと言ってるんですが。私が信じられませんか」
「あのな……」
あきれ顔な獅堂の勃起した陰茎を、日路はガウンの上からするりと撫であげた。ビクンと獅堂の腰が跳ね上がる。
「っく……男抱いたことねぇんだよ、無茶させられねえだろ」
「そうですね。確かに私もしたことがありません」
日路はガウンの腰帯をほどくと、躊躇いもなく前を開いた。
「ですが、これは私がはじめたことです。責任をとらせて下さい」
下着を着けていない日路の身体が露わになる。色白の素肌から推測するに、元は明るいピンクだったであろう陰茎は薔薇色に色付き、痛そうなほどだ。
「し……っしかたねえな……やったことねぇんだから、文句言うなよ?」
獅堂は、日路の足元にかがみ込むと、薔薇色のソレに舌を這わせる。
ねっとりと舐めあげて、口に含むと、日路の吐息が獅堂の髪に降りそそいだ。
「ひもちぃひぃか?」
様子を伺えば、日路は碧い瞳を爛々とさせて自分の口元を凝視している。
──若いねえ。
「んん……ッ」
じゅぷじゅぷと熱い舌で日路の陰茎をしゃぶり上げると。
「あ……貴方の口の中に出す訳にはいかない、手で……」
日路はそう言って獅堂の肩を押した。
ちゅぽんと引き抜いて、獅堂は苦笑する。
「別に構わねぇけど……まあ、存外平気なもんだな……」
獅堂は自分の行動に自分で感心しながら、日路を達せさせようと、唾液と先走りでぬるぬるになった陰茎を手で扱きあげた。
にゅくっ……にゅく……
「イケそうか……?」
後ろから片手で日路を抱きかかえ、そう耳元で訊ねれば、獅堂の髪や吐息が耳朶に触れ、日路が小さく声を漏らす。
「…ぁ……ッ」
身を固くして、獅堂の腕の中で日路は果てた。荒い息を整え日路が薄らと目を開ける。
──ああ、まただ。
この青い瞳に引き寄せられるのは何故だろうか
日路と目を合わせながら、獅堂は馬乗りになった。
しばらく見つめあって……そのまま獅堂は日路の額にキスを落とすと、ごろりと、日路の横に転がり込む。
「だーッ……無理……ぜってえアンタを傷つける……アンタも後悔する。今ならまだ〝慰めた〟ですむ範疇だ。このまま時間まで寝てくれ、俺は自分でなんとかしてくる」
そう言うと獅堂はベッドを降りた。
「私はかまわないと言ったはずですが。獅堂さん」
「ありがとさん、だが俺の劣情にまでつきあう筋合いなんて、アンタにゃねえよ」
「そんなことは……」
「やばいんだって、アンタの目を見てると、俺はおかしくなっちまう。男の趣味もねえってのに、この為体だ」
それを聞いた日路の顔が微妙に変化した。
「それは、告白と受け止めて良いのだろうか」
「えッ……」
獅堂は顔を赤らめる。
「そう……なる? か?」
下をおっ立てたままだというのに、獅堂は小首をかしげた。
「……だとしたら、順番が逆だ。俺にやり直しをさせてくれないか、日路さんよ」
「やりなおし?」
「そうだな、まずはデートから……」
日路が吹き出す。
「……笑わないでくれ。俺は、これきりの事にしたくないんだ」
真顔で言う獅堂に、日路は顔を引き締めた。
「すみません」
「また会ってくれるか?」
「……約束しましょう」
「よかった! それじゃ、もう俺、限界なんで!」
獅堂はそう言うと、バスルームへと姿を消した。
「やはり、面白い人だ……」
日路は、ベッドの上掛けを引き寄せると、クスクスと笑いながら、束の間の微睡みに落ちていった。
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