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第2話
そして、どのくらい経ったのかわからぬまま目を覚ますと、デンキが灯る部屋で寝ていた。
起き上がると、再び腹の痛みが襲い
「っつ…」
と短い声を上げてしまう。その声に部屋の隅から
「あ、目が覚めた?まだ痛いみたいだね、ゆっくり休みなよ」
と声がして、見るとさっきの白い人がこちらへ歩いてきていた。
「明るい…部屋だな…」
「うん、電気だよ。少しづつ普及してるみたいだね。家の主 は新しもの好きだから」
口元で笑って、捨介を寝かせてくれた。
「さっきお医者にも診てもらったけど、臓腑には見た感じ異常はないって。よかったね。一応打ち身っていうことだけど、夜中に大きくお腹が膨れるようならまた呼んでって言ってたから、ちょっと安静にしてて」
布団もかけてくれて、ぽんぽんもしてくれた。
ふと気づけば、自分は清潔な寝巻きを着せられていて、身体も綺麗に拭かれている。
袖や襟元を気にしている姿を見て微笑んだ雪は
「私の寝巻き ごめんね。着ていたものは、いまトキさんが洗ってくれてる。あ、トキさんて言うのは、この家のお世話をしてくれてる人だよ。こんな雪じゃ乾くのも時間かかるから、少しこの家でゆっくりしていきなよ。私は『雪』って言います。名前で呼んでね」
そう言って笑う雪を、それは、さっきでかい男が呼んでたから…と考えながら捨介はじっと見つめてしまう。
こうして街灯より明るい電気の下で見ると、雪の白さは際立った。
藤代に運ばれながら見たまつ毛も眉も、今見ても嘘のように白い。
「あ…聞いてもいい…のかわかんないんだけど…その髪の色とか…」
普通じゃないことは当たり前に解るから、興味本位で聞いていいのか少し戸惑ったが、それでも答えてもらえるならば、聞いてみたかった。それほど不思議な色をしている。
「ああ、これ?」
雪は髪を掬ってさらりと肩へ落とした。
「旦那様から色々話してもらったんだけど、難しくて詳しく覚えらんないんだよ。なんとかシキソというものが、私の身体に無いから、本来黒かったりする髪や君みたいな肌の色などが白くなってしまうんだって。良くわかんないでしょ?」
確かにわからない。シキソって何だろ。
「私みたいな者を白子 と言うらしいんだ。勿論悪口でね」
口を尖らせて怖い顔をして見せた後、すぐに雪は笑った。
「私の両親がね、白く生まれた私を酷く嫌ってね…だから「雪」なんて見た目通りの名前をつけてきたらしいんだ。13歳までなんとか育ててはくれたんだけど、母が心を病んでしまって私を捨てようとしたんだって。その時、お医者さんであるここの旦那様が、世の中にあまりない症例だから、これからの医療の為にーって引き取ってくれてね。そこからずっと、お仕えしてるんだ。だから、時々旦那様の大学に行って検査したりしてるよ」
そこで、この家の主人が医師であることを聞き、病人を見るお医者ではなく大学で教える方の先生だとも聞いた。いわゆる研究職である。
どうりで立派なお屋敷のはずだ。
捨介は納得が行った。
「さて、私の事はもういいかな。そろそろ食事の用意ができてる頃だ。お粥なら食べられるかなと思って用意してもらってるから持ってくるね」
と雪はー待っててねーと告げて部屋を出て行く。
白子 と言う呼び名には、少し聞き覚えがあった。
掏摸の親分に拾われてから浅草をずいぶん練り歩いたが、見せ物小屋が時々立った時に、そこで『白子 』の文字を見た気はする。本人を見たことはなかったけれど。
『こんな綺麗なものだったのなら、一度見ておけばよかった』などと思いながら、捨介は今度は首を回らせて部屋を見た。
天井から下がっているガラスが、電気でキラキラと光っている。先ほど雪がいた場所は寝ながら首を右に向けると見える部屋の隅で、椅子に座る机が置いてあり、その上には色とりどりのガラスが集まったランプの様なものが置かれていた。
そして机の脇に柳行李が一つ置かれていて他には何もなかった。
ーまだこの部屋しか知らないけど、でかい家には違いない…ー
ふかふかの布団と、暖かい掛け布団に埋もれて自分の境遇とかけ離れた世界に舌を鳴らす。
「出る時には何かお宝でもいただいていこう」
などと考えていると、襖が開いて盆を持った雪が戻って来た。
「痛くても打ち身であればお腹は空いてるでしょう?お粥、消化によくて栄養もあるから食べなね。もう一度起き上がれる?」
布団の脇に正座をして、お盆を置くと小さな土鍋からお椀に盛ってくれた。
問われて身動ぎしてみたがちょっとの痛みに顔を歪めてしまう。
「食べさせてあげようか?」
匙に少しのお粥を乗せて、寝ている捨介を雪が覗き込んできたが、流石にそれは嫌だと
「平気。食える、自分で」
ーさすがに恥ずかしいーと、痛ててと言いながらも起き上がって、お椀を受け取った。
湯気から出汁の香りが香って、綺麗な色の鞠麩が入っている。お粥ひとつも洒落てるな…と一瞬眉間が寄るが、香りがもう美味しそうで捨介は匙をふうふうしてから口に運んだ。
その瞬間に、雪の顔をみてしまう。
ちょうどいい塩気と出汁の味、今まで食べたお粥のどれよりも美味しい。
「美味い…」
「よかった。トキさんのお料理は美味しいからね。食べられるならたくさん食べてね。痛み止めも一応貰ってるから、食べ終わったら一回飲んでみようか。効けば少しは楽になるだろうから」
暖かいものも久しぶりだった。
ハフハフ言いながらお粥を食べている捨介を見ながら、雪はお盆の上の紙を取り上げて
「君の名前はなんていうの?」
と尋ねてきた。
「親方は『捨介』って呼んでるよ。親に捨てられたからだって言って、他には捨吉とか捨蔵とかいたな。捨てられた訳じゃないんだけど」
口だけで笑ってそう言って、再びお粥を口にする。
「これさ…」
雪が、お盆の上から取った紙を捨介に渡して来た。
「これ、なんだ?」
匙をお椀に刺して受け取った紙を見るが、覚えがない
「捨介くんの来ていた着物の襟の折り返しに縫い付けてあったのを、トキさんが見つけてくれたんだよ。開けてみて」
捨介はお椀をお盆へ一旦置いて、紙を広げてみる。そこには難しい漢字で『芳崎馨』と書かれていて、捨介には読めなかった。
「これってなに?」
不思議そうに雪の顔を見る捨介に微笑んで、雪はその紙を受け取り
「これね、『よしざきかおる』って書いてあるよ…多分よしざきでいいと思うけど…ほうざきかもしれないなぁ」
雪が読み方を教えてくれると、捨介は小さく声をあげて手を足の上に下ろした。
「それは…俺の本当の名前…よしざきかおる…字が難しいからもう少し大きくなったら漢字を教えるって言われてそのままになってた」
ー馨さんーと呼ぶ母の声が一瞬で蘇ってくる。
「やっぱりそうなんだ。これ、お母さんが本当の漢字の呼び名を書いて入れてくれてたんじゃないかな。馨くん…素敵な名前だね。元々いいお家だったんじゃないの?」
「ひいじいちゃんが、端っこだけど城に上がるような人だったらしいよ。まあ大政奉還後は普通の人だし、じいちゃんまでは「武士」を意識してたけど、とうちゃんはもう普通に勤めてた。事故でいなくなっちゃったけどね」
「へえ、武士の家系だったんだね。だったら名前も納得だ。じゃあ私は馨くんって呼ばせてもらおうかな」
雪はそのかみを丁寧に折り直して、大事にしないとね、と取り敢えずまたお盆に置いた。
「好きに呼べばいいけど…」
少し照れて、おかゆをお盆から取って再開する。
「漢字は読めない?」
「簡単のなら…花とか舟とか」
雪は微笑みながら聞いていた。
「教わりはしてたみたいだね。でもとても中途半端だから、私が教えてあげたいな。明後日、旦那様が来るからその時に、馨くんをここに置いていいか聞いてみるよ」
匙が面倒で茶碗に口をつけ書き込んでいた馨は、思わず手を止めた。
連れて来られる時、治ったら戻すみたいなことを言っていたから。
「ここに、いられるのか?」
思わず前傾になる馨からお椀を受け取って、
「多分ね。旦那様はいいっておっしゃると思うんだ。面倒見良いし、器の大きい方だから」
そう言いながら、おかわりを盛ってあげる。
馨は気持ちが浮き立った。
「だって馨くん、掏摸のお仕事苦手でしょ?そのお腹もそれで…なんじゃないの?」
見透かされたと少々情けなくなる。いつまでも上手くならないし、稼がないと殴られる。
そんな生活には馨もうんざりはしていたのだ。
でも、まだ子供の自分が生きていくにはそれしかなかったと思っていたし、実際それしかなかった。
粗末ではあったが雨風凌げる場所もあったし、ここの布団の10分の1にも満たない厚さの布団もあてがわれていたから、マシではあったかも知れない。
そこへ来ていきなりのこの話は少しうますぎる気はするが、ここに住めるなら何でもできる。
「俺、家の手伝いでも何でもするよ。置いてほしい。俺からもお願いして良いかな、旦那様に」
そんな一生懸命な馨に笑って、
「何もしないわけにはいかないけど、お腹の様子がよくなったらトキさんを手伝ってあげてほしいな」
「うんうん。何でもするよ。掏摸やってるよりずっといい」
雪は馨の切りっぱなしの髪を撫でて、
「大変だったね。そう言えば、今何歳なの?」
「12歳。明治42年生まれ」
「まだ子供なのにね…。私が…読み書きもそうだけど、簡単な算術も教えてあげる。先々のために」
「ばあちゃんやかあちゃんが読み書きは教えてくれてたけど、とうちゃんが亡くなってからは2人で仕立ての仕事を始めたから、俺に教えるどころじゃなくなっちゃってさ。だから…お願い…します…」
急にかしこまった薫に、雪が今日1番の笑みを浮かべて少し声を出して笑う。
「急に敬語?良いよ普通で。一緒に勉強しようね。さ、まだ食べられるならお食べ。魚の煮付けも美味しいよ」
盆の上の皿から少し切って、お椀の中に入れてくれた。
「うん、美味い」
なんの魚なのかはわからなかったが、その煮付けの味は懐かしい味がした。
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