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第10話

 大正10年も師走に入り、人々が忙しなくなってくる時期になった。  クリスマスという行事も、比較的一般市民にも浸透し、クリスマスプレゼントなるものは当たり前になりつつある昨今、頼政の屋敷では毎年クリスマスパーティーと称するものが行われていた。  クリスマスパーティといっても、頼政が自分はクリスチャンでもないのでそこまで大袈裟にはしたくはないとツリーや飾りのようなものは一切行わなかったが、ただ街が浮かれ、人が浮かれているのに取り残されるのもなんだなというそれだけの理由で、毎年開催している。  襖を取り払った20畳ほどの部屋にテーブルを置き、トキとその時に雇う家政婦や注文した料理などを5台もの座卓に並べ、その周りに好きに座って飲み食いをする。  ゲストは、笹倉は勿論、頼政の大学の同僚やその恋人や配偶者、藤代を筆頭にした頼政の門下生等総勢で20人程が集うのだ。  そのクリスマスパーティーの前日に笹倉が、馨のことがある程度わかったとやってきた。  いつもの大きなテーブルの部屋の応接セットに頼政、雪、馨を座らせてそこに笹倉も腰を下ろす。 「はっきりいってしまうと、探偵を頼んだ。その道のプロの方が手もかけやすいし、色々を知っているからな、それでわかったことがちょっと驚きだったよ」  探偵が用意したのであろう綴り紐で結えられた冊子を膝に置き、笹倉はぴっちりとなでつけてある髪に、前髪のほつれを馴染ませた。 「先日の家系図らしきもので馨くんの元々の住所があらかた判っていたから、そこを中心に調べてもらったら、馨くんを取り上げた産婆の家をみつけた」  産婆とはこれはいい情報かもしれない。 「もう代替わりして、馨くんを取り上げた人は亡くなってしまっていたんだが、まめな人だったらしく、取り上げた子の日付や名前を記帳してあったんだよ。それをちょっと借りてきて写させてもらってね、それがこれなんだけれど、馨くん…12歳っていってたよね」 「はい、祖母からそう聞いていましたので…」  年齢がなんかあったのかなと、馨は一気に不安になる。 「理由はわからないんだけれどね、馨くんは実際の年齢は今15歳なはずなんだ。明治39年生まれの15歳」 「ええ?」  これには雪も声をあげて驚き、馨などは声も出ない感じで何故か無表情になっていた。 「ほう…どうりで体格がいいと思った。12の身体つきじゃないなと思ってたんだが、成長などは個人差だからそう言うものかと思っていた」  頼政が興味深そうに、馨の肩や胸板を見つめる。  一応医者の手前、年齢なりの標準体格は朧げだが大体目に焼き付いているのだ。 「なぜそうしたかなどは今となっては判らないから、本当のことが判ったのなら気にしなくてもいいとは思うが、後は親戚関係だな…その辺はどうだったんだ?調べられたのか?いるのならば挨拶に行かなければなんだが」  頼政はなんでもないことのように片付けたが、馨は少し考え込んでいた。 「千住の方に、馨くんのお母さんのお姉さんがいるようだった。一応尋ねてみたらしいんだが、どうやら馨くん(面倒)を押し付けられると勘違いしたらしく、一切関係ないから、好きにやってくださいといって、けんもほろろに追い返されたそうだ。他の親戚筋は取り敢えず見当たらなかったそうだよ」 ーそう言う結果だったーと 笹倉は冊子をテーブルに置いた。 「はあ…」  年齢のことでかなりショックを受けている馨は、覇気のない声で 「ありがとうございました…」  と口元だけ笑って笹倉に礼を言う。 「ま…まあ、小さくなったよりはいいんじゃないかな」  慰めるために雪はそういうが、あまり効果はないようだった。馨にしてみたらなんで年齢の嘘をつかれていて、どうして届出をしていないのかがわからないのだから。  そのせいで、仕事をするときに多少の苦労もあったから。 「多分なんだけどね」  笹倉が出されたコォヒィを口にしながら話し始める。 「徴兵令のせいかなと俺は踏んでるんだよ」 「徴兵令?」  明治6年に明治政府は徴兵令を発布し、満20歳の男子に徴兵検査を受けさせ、合格者の中から抽選ではあったが『常備軍』と称するところの兵役に3年間服させることになっていた。  この徴兵令は昭和20年まで続いた。 「あれは20歳(はたち)になった時に検査を受けさせられるけど、なくなるんじゃないかと言う噂もあってね、少しでも遅らせればもしや君が20歳(はたち)になった時徴兵検査がなくなるかもと思って役所の届出も何年か待とうとしたんじゃないかな。それでそのままになってしまった…っていうね。親の愛ゆえだったんだろうと考える方が、美しいし、理に適ってる」  カップとソーサーを置いて、笹倉は馨を見つめた。 「嘘をつかれてたとか、そんな瑣末なことに拘らないことだよ。親は子のことを考えてなんだってやる。優しさだと思っておきなさいよ」 ーねーと雪の顔を見て笑うと、雪も微笑んで 「そうだよ、誰だって親なら無理やり軍隊に入れたくはないと思う。志願するなら別だけど。馨くんは守って貰ってたんだよ」  笹倉の推測でしかないけれど、確かにそれは理に適っていた。  だから学校へ行かせてもらえなかったんだ、と納得もいく。 「いいご両親だったんだな。しかしさっきも言ったが取り戻せないことに悩むな。お前は今頑張っているし、これからの未来は開けてる」  頼政も、薫の目をしっかりみてそう言ってくれた。 「はい」  とその目をしっかりと見返して馨もうなずいた。 「所で、その、馨の叔母にあたる人からは、一筆でも貰ってきたのか?」  不意に笹倉へ目を移し、頼政は笹倉の前に置かれた冊子を手に取る。 「いや、本当に追い返されたようで、玄関を閉めた後にはどんだけ声をかけても違うと言っても玄関は開かなかったらしい。だからこの場合は、孤児を引き取った、という届出でいいんじゃないかな。ま〜多少苗字は変えたほうがいいかもしれんがね」 ー弁護士の言葉とは思えんなー  苦笑して頼政もコォヒィを口にするが、まあそのほうが簡単で楽だろうなと思い至り、 「じゃあその手続き頼んでいいか?」  と興味もなくなった冊子をテーブルへ置いた。 「勿論だよ。費用は友達価格にしておくよ。調査の件も含めてね」 「お手柔らかに頼むよ」  頼政は苦笑して、カップを口にした。 「あ、あの…」   その間をついて、馨が声を上げる。 「あの、旦那様が…以前俺に、将来何を目指すかとか、何か目標があったらいいとおっしゃっていた話なんですが…」 「ああ、そんな話をしたね。何か思いつくことがあったのかい?」  きちんと受け止めようと、頼政は椅子に座り直した。 「まだ…そう言った話をして間もなくて、そんな性急に、と思うかもですけれど…俺、笹倉さんを見ていて弁護士に…興味を持ちました…」  笹倉の目が開き、そしてニコニコと笑う。 「いや、あの!まだ読み書きもおぼつかない俺が、そんな大層なこと言うのは笑われるかもなんです…けど、笹倉さんの仕事見てこの前のお話の時からちょっとずつ考えてたんです。誰かの助けになれるんだなと…思ったら…まだまだ興味だけなんですけど、それを…今の夢をしたいな…っていう…ことをお伝えしておこう…かな…っと」 「医者だって、誰かの助けになるんだけどな…」  大袈裟に落胆して見せて、 「私の仕事は理解してもらえなかったのか…」  とわざといってくる頼政に、まず雪が噴き出した。 「旦那様、馨くんをいじめないでください」 「私の崇高な仕事の方が、馨くんの琴線に触れたようだね。読み書きなんてこれからだって全然大丈夫。大学は年齢関係なく入れるし、専科の方が手っ取り早い。君がこの道目指すなら、私が全面的に協力をするよ」  どこか嬉しそうに身を乗り出してそう言う笹倉に、 「ご無理のない程度にお願いします」  と頭を下げ、雪にも向き直って、 「読み書きをもっともっと教えてほしい」  と真摯な目で訴えた。 「勿論だよ!弁護士さんの勉強は付き合えないけど、読み書き算術なら徹底的にしごいてあげる〜」  と雪は馨に抱きついて、嬉しそうに髪をくしゃくしゃにした。 「いい夢だよ、馨くん。がんばろうね」 「うん」  冗談混じりで言ってはいたが、頼政はやはりほんの少し面白くない気持ちがあって、笹倉をじっと見つめてしまう。  そんな視線に気づいて、笹倉は 「君の仕事は外からわかりにくいからね。そう落ち込まないでくれ。君の仕事が目についたら、馨くんは宗旨替えをするかもしれないし、それはまだ判らないさ。だって彼はまだ未知数なんだからね」  そう慰められて、まあそうだな、と納得はした。  確かにそうだ。12歳でも15歳でも馨の未来はまだまだ長いし未知数だ。  ひょんなことでできた縁だが、できるだけ協力してあげたい気持ちはある頼政だった。 「ところで笹倉。少し話があるんだが」 「なんだい?君がそう言う顔をしている時は、結構面白い時が多いね。いいよ、きくよ」  次の日のクリスマスパーティーは盛況で、馨は初めて会う人ばかりで緊張はしたが、料理を出しきったら雪に呼ばれみんなと話しをしたりして楽しい時間を過ごさせてもらった。  特にこれといった仕事を持っていないのが雪と馨だけだからなのか、クリスマスプレゼントと称したものが2人の周りに山積みになり、馨は恐縮で気持ちがいっぱいになってしまう。 「いいのかな…こんなに沢山」  雪のとなりでカサカサ言う袋を揉みながら、馨は戸惑いを隠さない。 「僕も最初は色々考えたけど、ほら、ご好意だから」  とニコッと笑って、手元の箱を振ってみせた。 「まあ、そうなんだけど…」  複雑な気持ちは拭えないが、いただいたものは大事にしようとは思う。  内容は身につけるものが多く、これからの馨にも服装的な意識を変えてゆくにはちょうどいい物が揃っていそうだ。  そして最後に頼政がくれたのは、小さな長い箱で中には万年筆が入っていた。 「いずれどんな職業に就くにしろ、きちんとした筆記具は大事だからな。流行り廃れのない物選んだから、大事に使ってほしい」  と言われ、これは大人と認められたようで純粋に嬉しかった。

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