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第13話
「お誕生日おめでとう!馨くん!」
グラスの合わさる音がして、馨は照れたように
「ありがとうございます」
とはにかんだ。
大正12年の3月6日、馨は17歳になった。
大正10年からこのお屋敷にお世話になり、春を迎えようとするのはもう2度目。
あのクリスマスの夜を超えて、その年明けから馨は雪からの勉強を強化し、夢中になって勉強を始めた。
家の仕事は勿論、弁護士を目指すために週2回笹倉の事務所へ通い、まだまだ何もできないがコマ使いをしながら、判らないながらも仕事の内容や法律用語などを耳から入れる勉強も始めた。
その猛勉強の甲斐あってか、馨は今春中学校への入学が決まり、そのお祝いも兼ねての誕生会である。
「よく頑張ったな」
頼政が、最近はきちんと散髪に行っている馨の髪をくしゃくしゃと混ぜ、それは嬉しそうに笑った。
「これで正規の勉強を受けて、夢に近づくんだ。こんな嬉しいことはないぞ、なあ、馨」
雪が拾ってきた小僧が、大きく変化しようとしている。頼政もここまでは期待していなかったが、馨の頑張りは賞賛に値した。
「寝ないで勉強する日もあったものね。本当に頑張ってたよ、馨くんは」
雪も誇らしげに馨を見つめるが、どこか寂しそうでもある。
「私が教えてあげられること、もう無くなっちゃったけどね」
「そんなことないよ!まだまだ世の中の常識とか、俺は親に学べなかったんだから。もっともっと教わらなきゃなこといっぱいあるよ」
椅子の上でぴょんと雪に向き直り、ー寂しがらないでーと手を握った。
頭を撫でて席へ戻った頼政は、微笑ましく見ている。
「と、そろそろ洋行帰りのやつが来るかな」
腕時計を見て、頼政が言う。
「あ、笹倉さん帰ってきてますもんね。まだ会ってないですけど」
馨が頼政へ向き直り、昨日事務所には顔を出していなかったです、と伝えた。
笹倉は国の推薦で、アメリカの弁護士会へ視察に行っている。
船で3週間、往復だけでも1ヶ月半かかる旅だが、笹倉は浮羽を連れて物見遊山で出かけていった。
視察研修もあちらで3週間ほどなので、約2ヶ月ちょっとの工程だ。
その笹倉が、一昨日あたり帰ったと連絡があった。
馨の誕生日を簡単だがやると告げたら、じゃあその日に伺うよと言っていたから、そろそろだなと思う。
「まあ、長旅だしな。疲れてへばっているんだろう」
そんなことを言っている時だった
「ハローゥ エブリワン ハウアーユートゥデイ?」
玄関が開いた音も気づかない間にダイニングへとやってきた笹倉は、大きなバッグを抱えながら陽気に頼政へ抱きついた。
「なんだ、この洋行かぶれめ。おかえり。元気そうだな」
笹倉のハグを受け止め、頼政も嬉しそうだ。
「元気元気!やっぱり行ってよかったよ。おっ、馨くん中学受かったんだって?心配してたよ〜〜おめでとう!誕生日もおめでとう」
今度は馨のところへやってきて、座ったままの馨を後ろから抱きしめ頬ずりをする。
「あああありがとうございます。随分ご機嫌ですね」
仕事中のように髪を固めていない毛先が頬をくすぐり、そのこそばゆさに肩をすくめて馨は失礼のないように引き剥がす。
笹倉の髪は、そうそう長くはないが仕事中には鬢付け油か何かを使っているのかかっちりと固まっている。
しかし普段の時は、横分けにした前髪は目元まであり、癖のようにいつも髪を掻き上げているのだ。その髪が頬をくすぐっていた。
「ご機嫌だよ。なんとだね、俺はインポテンツが治ったんだから!」
それに反応したのは頼政で
「本当か?何をしたんだ?あちらの薬でも?」
『インポテンツ』の意味を図りかねて顔を見合わせている雪と馨に、頼政が
「笹倉の男性機能が戻ったと言う話だ」
そう聞いて、2人もーなるほどー と納得した。
この様子を見ていると、結構気にしていなそうにしていたが悩んでいたのだろうことが推測できる。
「よかったですね。浮羽さん喜んでるでしょう」
雪がそう言うと、
「ああ、もう治ったその日から毎晩求められて、ボクヤセチャッタヨ」
と言いながら嬉しそう。
男なら解るが、結構自信を無くすものなのだ。明るく振る舞うのも限度があっただろう。
「それで一体どういうことでなんだ?」
頼政が自分の隣の椅子を引いてそこへ笹倉を座らせる。
「なにが…と言うのは思い当たらないんだが、あちらのお嬢さん方がね?足をお出しの服装だったんだよ」
「足?」
「そう、足。日本じゃ足を出す服装は無いだろう?あちらでは今、女性が普通に膝下を晒して歩いているよ。それにまずびっくりしてね」
そう言った時、トキがグラスを持ってきてくれてそこへワインを注いでくれた。
それを飲み干して
「それでその服をね、浮羽にも買ってあげたんだ。中々着なかったんだけど、夜寝る前に部屋の中でなら…と言ってくれてそれを見た時になんというかこう…」
右腕を肘から上にグイッと上げるポーズをして、少し照れた。
「それでなのか…?」
いささか拍子抜けしたように頼政はいうが、まあしかし精神的な物もあるなと思っていたし、舟旅でゆったりしたのも要因の一端ではあるかなとも思っている。
「まあ、よかったじゃないか」
「ああ、俺はそればかりが嬉しくてな。向こうの弁護士事務所の視察なんかそっちのけだったわ」
とゲラゲラ笑うが、まあそれはそれで卒なくやってきたはずだ。
「舟旅はいいな。時間がゆっくり流れてるようだったよ。やっぱり日本 で仕事するのは精神的に大変なんだなと思い知った。定期的に長い休みは入れるべきだな」
一転しみじみと語り、自分が仕事中心に生活を回していたことを反省したと言っていた。
「そんなつもりもなかったんだがね。無意識は怖い。頼政 も気をつけろよ」
そう言って、ワインを自分でおかわりして飲み干した。
「そうそう、お土産だよ。いっぱいあるよ」
持ってきたバッグを床に置いて、そこにひざまづくと
「これとこれとこれは雪さんに。はい」
とテーブルに置かれたのは、大きな箱と、中くらいな箱と、小さな箱
「で、これとこれとこれ…は馨くんに。あと誕生日プレゼントにこれね」
と、計4個の箱と包み紙。
「開けていいですか?」
と2人の声がシンクロし、笹倉は満足そうにどうぞ、と立ち上がる
雪には蓋を開けると、可愛らしい人形が踊るオルゴールの箱と、大判のスカーフとなんと女性用のパンツスーツ。
「女性用で失礼かもと思ったんだがね…似合いそうだったので。頼政のパーティーとかに着られるはずだよ」
「かっこいいですね!ありがとうございます」
「気に入ってくれたかい?よかった」
馨には、腕時計と半袖の肌着のようなものとゴワゴワとしたズボン。それと皮をなめした斜めがけのバッグと、やはりスーツ一式
「ええ、こんなに高価なのをこんなにたくさん…」
流石に気後れしたが、この半袖の肌着のようなものとゴワゴワしたズボンは何だろう?
「これね、Tシャツとジーンズといって、あっちの人たちは作業着っぽくきたり普段着にしたりしていたんだ。馨くん若いからこういうのどうかなって思ってね。でも周りにいないから逆に目立ってしまうかもだけど。スーツはこれから君に必要なものかなと思って。入学式にでもきたらいいよ」
「制服揃えていただきましたけど…」
「入学式くらい着て」
それもそっかと思いつつ、ぜひ着て欲しいと笹倉はとりあえずお願いしておいた。
「色々すまなかったね。ありがとう2人に。で、俺にはないのか?」
頼政が笹倉のグラスにワインを注いで、意地悪そうに言う。
「やだな、ないわけないだろう。君にはこれだよ」
とレコードを2枚取り出して渡してきた。
「ジャズの最新版だそうだ。日本にくるのは何年も先だろうからね」
「おお、これはすごいな 素直に嬉しいぞありがとうな」
蓄音機も揃っているこの家で、ーさっそくーと一枚かけてみる
「持ってくるのに細心の注意を払ったよ」
苦笑して次いでもらったワインを傾け、その外来のサックスやピアノが響く中、新たな料理が運ばれて、馨のパーティも華やかになってきた。
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