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第3話 一年前の話・前編

 稲川夕大が大学の最寄り駅のコンビニエンスストアでアルバイトを始めたのは二年生になってしばらくしてからだった。  交友関係が広いわけでもなく、金のかかる趣味があるわけでもないのだが、そのうち一人暮らしをしてみたい、就職する前にいろいろな仕事をしてみたいといった漠然とした動機で始めたのだ。  覚える事は多々あったが求められる接客のクオリティは高くなかったので、なんとなくやる気のない同僚と、のほほんとした店長に囲まれて、内向的な夕大もなんとか続いてもうすぐ半年になる。  夕大はあまり人と関わるのが好きではなかった。差しさわりのない付き合いは誰とでもできたが、特定の人と仲良くなることはない。一人で音楽を聴いたり、本を読んだりしている方が好きだった。  変に仲間意識が強くないコンビニエンスストアのアルバイトはそんな夕大に意外にも向いていて、淡々と学生生活とアルバイトを繰り返し、きっとこんな日々が続いていくのだろうと悟り始めた頃、川﨑陽也と出会ったのだった。    その日、夕大はパートのお子さんが熱を出したとかで急遽初めて昼間にシフトに入っていた。その日の授業は故意に夜間の授業を取っていたので、ちょうど昼間は空いていた。朝が弱い夕大はできるだけ授業とシフトを夕方と夜にいれていたのだ。 「あ」  夕大はお店のバックヤードでパイプ椅子に腰掛けながら紅鮭おにぎりのフィルムを剥がしていたが、うまく剥けなくて海苔が破れてしまった。思わず声を漏らしてしまい、誰にも聞かれてないか念のため周りを見渡した。遅いお昼をとるため、店長にレジを代わってもらい今ここには一人しかいない。  ホッとすると、次はどうにかこの海苔をおにぎりに接合できないかとぎゅうぎゅうと工作していた時だった。 「おっはようございまーす!」  と明るい声が降ってきて、今度はおにぎりを落としそうになった。 「あ、おはようございます…」  顔を上げると髪を薄いミルクティー色に染めてピアスを開けた青年が不思議そうにこちらを見ていた。いかにもコンビニで働いてます、という軽い感じのする男で夕大は一瞬にして緊張してしまった。明るい人間が不得意なのだ。 「あれー?新人さん??」  人懐こい笑顔を向けられたが、夕大は 「あ、いえ、半年くらいです…」  とぶっきらぼうに答えてしまって軽く後悔する。 「そうなんだ。俺もうここ1年以上だけど初めて会うよね。川﨑でーす、よろしくねー」  明るい人間は苦手ではあったが、この川崎という男の間延びした口調とふわっとした雰囲気に当てられて、夕大は少しだけ緊張を解いた。  この川﨑陽也が後に夕大の恋人になるわけだが、この時、夕大は陽也のことを別段なんとも思っていなかった。かっこいい人だなとは思ったが、好みだなとかそういう感情は一切なかった。 「稲川です、よろしくお願いします」  夕大がなんとか取り繕った笑顔で名乗ると陽也は制服のシャツを羽織りながらにこっと笑ってくれた。強いていえば夕大は、陽也のことを犬みたいと内心思っていた。   「シフトは土日が多いかも…基本的に休日は暇なので…」  2人はレジでだらだらと喋っていた。夕大はこういう無意味なトークが苦手なので、同僚と二人きりになると勝手に掃除をしたり商品を整理するのだが、この日は陽也がふわふわと話しかけてくるので、ずっとレジにいたのを覚えている。 「そうなんだー、遊びに行ったりしないの?」  陽也はレジのカウンターにのんびりと頬づえをつきながら夕大の話に耳を傾けていた。  店長に見られたら注意されるところではあるが、店長は陽也と入れ替わりで帰ってしまって今は二人きりだ。 「あんまり…家にいる方が好きかも…」 「あは、そんなかんじする」  と、陽也は笑ったが今までインドアだの引きこもりだのと夕大をからかったり、いじったりしてくる家族や同級生たちのような笑い方ではなかった。悪意をまるで感じないナチュラルな人だな、と夕大は思った。  この屈託のない陽也の人間性に夕大はずっと惹かれ続けることになる。  まだ暑さの残る9月の末だ。陽也もまた別のアルバイトを終えた足で急遽ヘルプに来たとかで、なんとなく汗の混じった匂いがした。だが、不快には感じなかった。日なたみたいな匂いだと思った。 「家はこの辺?」 「あ、いえ、大学がすぐ近くで…家はこっから電車で15分くらいの駅です」 「大学!?」 「?」 「ううん、高校生かと思っちゃってた」 「………」 「かわ、いや若いなーって思って」  今、かわいいって言いかけなかった…?と夕大は突っ込みたかったがとりあえず幻聴として片付ける。 「ねーじゃー今いくつ?」 「はたちです。来月21ですけど」 「はたち?マジで!?そっかーいいねー。俺と2つ違いだ」  ということは陽也は22だろうか。学年でいうと一年か二年違うことになる。 「そっかーじゃあ今年、成人式だったんだ?」 「あー…ありましたけど行きませんでした。ああいうの苦手で…」 「あはは、わかる。俺もきらーい。行かなかったよ」 「そうなんですね。意外です」 「ふふ、そういうの好きそうに見えるでしょ。でも結構苦手なんだよねー」 「そっかー二十歳かー」  と陽也は繰り返していたが、この時陽也はなんとなく夕大が気に入って、成人済みであることを密かに喜んでいた。今、どうこうしたいとか、どうにかなりたいというわけではなかったのだが、さすがに高校生とは仲良くなれない、というか仲良くなってはいけないという気持ちがあった。 「川﨑さんって学生ですか?」  夕大は自分で質問して驚いた。世間話をすることはあっても自分から話を振ったり話を広げたりはあまりない。個人的な事に関することは特に聞かないようにしている。  しかし陽也に対してはするっと言葉が出てしまった。 「あー俺ねー、大学辞めちゃったんだよね。向いてなくて。今はフリーター。とりあえず色んな仕事してみて向いてるとこに就職しよっかなって。ま、一般企業は難しいかもだけど」 「そういうのもいいですよね」 「え?ほんと?わー稲川くんやさしー」  にこにこと笑顔を向けてくる陽也に夕大はドキっとしてしまった。  この後もたわいもない会話が続いたが、波長が合うとはこういうことをいうのかと夕大は初めての感覚に感心してた。  17時を迎えると陽也とともに退勤になった。夕大はロッカーを開けると真っ先にスマホを見た。陽也も全く同じ行動をしていた。それ自体は別に珍しい行為ではないのでお互い気にしていなかった。  だが、 「「え!」」  と二人の声がハモった。 「「え?」」  と2人は顔を見合わせた。陽也はお先にどうぞという目を向けてきた。これは何が起きたのか2人とも言うパターンだと夕大は察した。 「あ、いや大したことないんですけど、推してるバンド?が全国ツアー決まって、初だったからちょっとびっくりして」  自分のことを話すのは好きではない。夕大は言おうか迷ったが陽也になら言っても後悔するようなリアクションはしてこないと判断して言ってみた。 「ねぇマジで?俺もなんだけど」 「え...?」  陽也は無意識なのか夕大のシャツを掴む。 「「ネビュラ?」」  とまた声がハモった。 「マジですか?」  夕大は今まで感じたことのない高揚感を味わっていた。    二人は店を出たあとも店の近くで立ち話をしていた。夕大はこれから大学で授業だったが陽也はこの近くに住んでいるらしい。  偶然にも同じバンドを同じ温度で好きだった人に会うという経験は夕大にとって初めての事だった。  今の時代、あまりにも音楽が枝分かれしすぎていて好きなアーティストが周りの人と偶然被るという事はなかなか珍しかった。  そもそも変にいじられたり否定をされたりするのが面倒で夕大は『好きなものの話』をするのが苦手なのだ。 「ネビュラ…も好きなんですけど、作詞作曲してる佐藤涼介が好きで…」 「わかるー!!俺もなんだけどー!もしかしてデビューする前から聞いてた?」 「リョウサト名義の時ですか?聞いてましたよ」  すごい、今日会ったばかりの人と会話がするする続く。めちゃくちゃ楽しい。と夕大はワクワクした。 「え、マジでー!?」  陽也も陽也で嬉しそうだ。二人が好きなバンドは最近有名になってきたとはいえ知らない人の方が多い。 「あ、そうだ!」  陽也はいそいそと急くようにスマホを取り出す。 「ね、ね、この動画見たことある!?」  スワイプしつつスマホの画面を夕大に見せてきた。 「!?」  パッと見せられた動画は肌色が多く映っている何か。つまりそういう動画だった。  おそらくビデオフォルダーにダウンロードした何らかの動画を見せたかったのだろうが、焦ってスワイプしすぎたのだろう。 「あ、わーっ、間違えた、あ、こっちね」  一瞬でスマホは引っ込められ、次に見せられた動画はお洒落なイラストと女性の歌のMVだった。 「…あ、知ってます。Miyuとコラボした時のですよね。結構初期の歌い手で…でも今消されてますよね…ってすみません。ちょっとさっきのスルーするの無理なんですけど…」  夕大が見た先ほどの動画はどう見ても男性同士がセックスをしているアダルト動画だった。一瞬しか見えなかったが、さすがに男女を見間違えたりしない。  正直そちらの動画を見てしまった衝撃が大きく、バンドの事など頭から吹っ飛んでしまった。 「そこはスルーしようよ」  陽也は諦めたような残念そうな声を出した。これが男女のアダルト動画だったら夕大はスルーしていた。けれどどうしてもスルーできない事が夕大の中にあった。 「……あの川﨑さんって…」  夕大が言葉を繋げるより先に、 「変なもん見せてごめんね、キモイよね。隠す方が気まずいから言うね。俺、そうなんだよね。ごめんね」  と陽也は早口で言った。俯いてしまって表情が見えない。 「じゃあ、ごめんね、バイバイ」  夕大が返事をするより先に陽也はくるりと背中を向けてその場を離れようとした。翻った陽也のパーカーの裾を夕大は思わず掴んでしまった。 「あ、あの」 「なに?あ、ごめんだけどバ先には言わないでおいて。面倒だから」  一刻も早くその場から離れたいであろう陽也を引き留めているのがなんだか可哀想になった。だが、どうしても伝えたいことがあった。 「違くて、あの大丈夫です、俺言わないです、言う人いないですし。だから安心してください」  陽也は背を向けたまま、こちらに顔も向けてくれなかった。陽也のパーカーの裾を握ったまま手にさらに力がこもる。 「じゃなくて」  夕大は少しだけ深呼吸をすると、 「俺もそう、だと、思うから…」  と言った。これで全てが伝わったと思う。言うのは怖くなかった。むしろ夕大の心に芽生えていたのは安堵や高揚感だった。同じような人に会うのは初めてだったし、この川崎陽也なら受け止めてくれるだろうというと、謎の確信があった。  そう感じてしまったら、夕大はもうこの人に吐露してしまいたくて仕方がなくなった。  ドキン、ドキンと夕大の心臓が痛みを感じるほどに鼓動を打つ。 「マジで?」  陽也はやっと再び夕大に目を合わせてくれた。西日に照らされる陽也の茶色い髪が、とてもきれいだった事を夕大は何年経っても忘れることはなかった。

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