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第5話 一年前の話・後編

 夕大と陽也が付き合い出して1ヶ月くらいが経った。12月も目前ですでに世間はクリスマスモードになっている。二人が働いているコンビニエンスストアはクリスマスケーキどころか年賀状だのおせちだので既に正月モードである。  陽也は買い出しから帰りながら、もうすぐ本格的に寒くなるし、毛布を買い足すかいっそ布団を一組買ってしまうかとぼんやり考えていた。しかし夕大と付き合い出してからあれこれ家に物を揃えたり、ついつい夕大にために食料を買い込んだりしたせいで経済状況が芳しくなく、毛布一枚買うのも憚られる。  今まで付き合った人達はみな年上の社会人で、何かと出してくれたし、相手の家に入り浸っていたため自分の家を充実させる必要がなかったのだ。代わりに一人暮らしで身についた家事スキルで料理をしたり、掃除をしたりと世話を焼いてあげれば社会人の彼氏たちから陽也は重宝された。  しかしいつの間にか、ただの家事代行&性欲処理係になってしまうパターンにいつも陥ってしまうため、陽也はもう少し好きになる人を見極めようとカジュアルに人と付き合うのをやめていたのであった。  ゆえにもう一年近く誰とも寝ていない。というわけで陽也は夕大と体を重ねたいという思いがピークになっていた。  夕大が来る時は、自分の布団を貸していたが付き合いだしてからもそれは変わらない。恋人になれたからといって、じゃあ一緒の布団で寝ようか。とはならなかった。  夕大はそういうことに慣れてないし、初っ端からついついやらしい気持ちで夕大に触れてしまったせいか、警戒されているのをひしひしと感じる。  それは仕方がないので我慢しているが、なにせ冬も近いのでリクライニングの座椅子を倒して薄手の掛布団をかけただけでは寒いのである。  と、とぼとぼ懐の寂しさにテンションを落としていると、夕大が陽也のアパートの部屋の前で立ち尽くしているのが見えた。 「夕くん!?どうしたの?」 「あ、陽也さん。こんにちは」  11月下旬の夕方はもう寒い。しかも今日は曇りだったので余計に寒かっただろう。 「合鍵あげたじゃん。入ってればよかったのに。寒かったでしょ」  陽也は急いで鍵を開ける。 「いや、なんか、ほんとに勝手に入っていいのかなって…連絡しようか迷ってたところです」  鍵がなくて家に入れない子供のように立ち尽くしていた夕大がひどく幼気に見えた。 「やだなー夕くんもう他人じゃないんだから」  陽也は夕大の手をとる。冷たくなっていた。夕大の手は冷たい事が多い。陽也は体温が高いのでいつも温度差に驚く。 「入って入って」  部屋に入ると陽也はドサっと中身の詰まったエコバッグを床に下ろし、ぎゅっと夕大に抱き着く。夕大は陽也よりも背が高い。 「はーーーー、会いたかったーーー」  陽也は夕大の肩口にぐりぐりと頭をこすりつけた。夕大はよしよしと陽也を撫でた。陽也は甘えん坊だ。 「ちゅーーしよ」  陽也は耳元で熱っぽく囁く。 「手洗い、うがいしたら…」  夕大は照れたような顔で陽也の腕を掴んで押し返す。陽也は夕大が想像していた以上の早さで距離を詰めてこようとする。いや、普通なのかもしれないが誰とも付き合ったことのない夕大にはよく分からない。  でも嫌ではなかった。戸惑いはするが、嫌ではなかった。  一方、陽也は、晴れて夕大の彼氏となったことで、べたべたする権限を得たものの、キス以上は許可がないとできない事に日に日に不満を募らせていた。  ちょっと服の上から触っただけで大仰に驚くし、不意にキスをした時も驚かれて反射的にぶたれた事がある。だからキス以上(以上はしたことないが)はなし崩しに許可制になってしまった。  陽也としては本当はもっと気軽にちゅっちゅっとしたいのだが仕方ない。陽也にしては驚きの遅さで距離を詰めているのだった。  夕大は、二人でいる時はなんとなくぴとっとくっついてきたり、腕とか指を絡めてきたり、機嫌が良いとハグをしてくる。多分それが今の夕大のスキンシップの最大値なのだから、我慢をしようと陽也はかなり自分を律していた。 「今日、何作るんですか?」 「えーっとね、から揚げー」  陽也は買ってきたものをごそごそ出す。付き合いだしてから、夕飯前に夕大が来る時は陽也がご飯を作ってあげるのが定番になっていた。 「俺もできることありますか?」 「いいよー別にー。今日オフの日だったから疲れてないし座ってて」 「じゃあ洗い物します」  夕大は朝から、いや厳密言うと昨日の夜から陽也が放置していたコップやらお皿やらを洗い出す。陽也は一通り家事はできるが、根がズボラなのですぐに洗い物を溜める。 「夕くんほんといい子だね」  今まで陽也が付き合ってきたお兄さんたちはみんな穏やかで優しかったが、家事を手伝うという概念が欠けていた。だからそういうものだと割り切っていたが、夕大は進んでなんでもやってくれようとするので驚いた。  こういう人と一生暮らしていけたらいいのになあと陽也は思う。  ところで陽也の1Kの部屋はキッチンがとても狭い。流しも狭いしコンロは二口、その間にある調理スペースは小さめのまな板を縦にしないと収まらない。  ああ、キッチンが広いところに引っ越したい。と嘆きつつ陽也は鶏肉を一口サイズに切っていく。  狭すぎてたびたび流しを片付けてくれている夕大と腕が触れ合う。肘がちょいちょい触れるせいでもっと触れたくなる。 「夕くん」  陽也は首を横に曲げると夕大に向けて目を瞑る。 「……」  夕大は一瞬躊躇したが、ぎこちなく唇を合わせた。 「ふふっ」  と陽也は機嫌よく笑った。  可愛いと夕大は思う。陽也は可愛い人だと思う。自分にはもったいないくらいに。可愛くて明るくていつも機嫌が良い。機嫌を悪くしてるところを見たことがない。そんな人、あまり見た事ない。 「…付き合ってると…普通はそんなにキスとかするんですか?」  夕大は顔を前に戻すと洗い物に集中した。照れているのか顔が赤い。 「え、人によるんじゃない?」  陽也は少しぎくりとして答えた。やっぱりキスでさえ抵抗あるのかな?と思うとなかなか先に進めなかった。  深夜になって布団を敷いている時に夕大は 「あの、陽也さん。いい加減その布団?だと寒くないですか?」  と聞いてきた。ちょうど今日考えていたことを見透かされたようで、陽也はどきりとした。 「え、うーんそうそう。毛布買おうかなー?」  あははと笑って流そうすると、 「俺が買います」  間髪入れずに夕大がそう答えたので陽也はそんなに物を乞うような言い方をしていたかと焦った。 「もーーー、いいよーー、なんでそんなに俺に気ぃ遣うのー?」 「だって、陽也さん無理してません?色々と…いつも色々出してくれるし、ご飯作ってくれる時も材料費、払わせてくれないし…」  夕大は本当に察しがいい。そういうところにすぐ気づく。だから疲れてあまり人付き合いをしないのかもしれない。 「無理なんて!!してない、してないけど!?」  そして陽也は嘘や誤魔化しがとても下手だった。 「……」  訝しげに陽也を見た後、夕大はふっと表情を緩めて 「一緒に寝ます?」  と聞いた。 「え!?ね、寝るーー!!寝る寝る寝る」  と陽也はものすごい勢いで夕大に抱きつくとそのまま布団に押し倒した。まるでじゃれつく犬だ。  陽也の瞳がキラキラしながら「やりたいやりたいやりたい」と言っている。  陽也のこういうところを素直で可愛いと思っている反面、性欲をこうもあからさまに見せられると若干辟易してしまうのだ。 「あ、いや、あの、そういう意味じゃなかったんですけど…」  もう何回も陽也は遠回しに、時にはダイレクトに誘っていた。その度やんわり断られたり、話題を逸らされたりしていた。  陽也は夕大のNOをきちんと受け取って、それ以上は何もしないように努めていたが、もう1ヶ月は待った。本当に嫌なら仕方がないし諦めるが、ちょっと過剰なスキンシップくらい許されたい。  陽也にとって性的なコミュニケーションは快楽を得る手段というより、お互いの『好き』を確認する行為だった。  夕大とはそれがないので、ずっと寂しいままだった。 「そろそろさ、ちょっと進んでみない?」  陽也は押し倒した体勢のまま、夕大に問う。 「え…」  夕大の顔が曇る。 「イヤ?」  陽也は今度は捨てられた仔犬のような顔をするものだから、夕大の中で罪悪感が募る。 「嫌じゃないです。嫌じゃないですけど、早くないですか?」  一般的なカップルがどれくらいでセックスに至るかなんて夕大は知らない。恋愛に興味がなかったので調べた事もなかった。なんとなく今まで見たドラマとか漫画とかの男女のお付き合いしか知らない。そうすると1ヶ月というのはまあまあ早いような気がする。 「俺、夕くんとやりたくて仕方ないんだけど、まだダメ?」  ぐりぐりと夕大の胸に顔をこすりつけて甘える。 「ダメじゃないけど俺、何も分からなくて」  男性同士の性行為の方法は知識上では知っている。アダルトビデオも見たことがある。だが、そもそも夕大は挿れられたいのか挿れたいのかさえよく分からなかった。  夕大は女性に対して性的な気持ちや好意をほとんど抱いたことはないが、男性に対してはかっこいいなとか憧れるなとか単純に好きだなとかそういう気持ちが昔から強かった。しかしセックスしたいかと言われると正直よく分からない。  恋人や恋愛に憧れはあったものの、とにかく考えないようにしすぎたせいか、その部分がまだ稼働していない気もする。 「ねぇ、ちょっと服の下触ってもいい?」  陽也は服の上からすりすり夕大に触れながら尋ねる。 「え、どこを」 「大事なとこ以外」  そう言うと陽也は部屋着で着ているTシャツを胸まで捲り上げて、夕大のお腹に触れた。 「あわっ」  夕大が驚きの声をあげる。 「かわいい」  陽也は夕大の肋骨や腹筋を撫で回したのちに、ちゅ、ちゅとキスを落とした。夕大のお腹は意外と硬くて引き締まっていた。 「怖い?」 「ううん」  陽也の手つきは驚くほど優しかった。そして掌が大きくて温かい。腰やお腹や胸を夕大のフォルムを確かめるように触れられた。 「今日は体を触るだけ。抜くのとかなし」 「でどう?」 「う、うん……」  夕大は答えたが陽也がなんて言っていたのか聞いてなかった。陽也の手が思っていた以上に心地よくて頭がふわふわする。  陽也は夕大のスウェットのズボンを脱がす。夕大は嫌がらずに脱がされてくれた。  本当は触りたかったが、夕大のものには触れずに腿をくすぐるようにさすると内腿に口をつけた。びくっと反射のように夕大の体が震える。 「実際触られたらやっぱ嫌だったとか違ったとかあるから、気持ち悪かったら教えて」  と自分で言ってて陽也は悲しくなってきてしまった。事実、セックスしようと思ってやっぱり男は違うなって思われることなんてままある。  夕大がそうだったら嫌だな。正直その可能性がすごく高い。だったらやっぱりやめておこうか。と思う気持ちもあったが、いつか壊れるなら今壊れて欲しい。それならお互い浅い傷のままで済む。  しかし夕大は思っていたより嫌がらなかった。それどころ陽也の手の動きに合わせて触れやすいように角度を変えたり体を動かしてくれる。  少しは感じてくれているのかもしれない。首や鼠蹊部に触れるとくすぐったそうに身を捩る。時折溜め息のような深い吐息が漏れる。呼吸のたびに夕大の横隔膜が大きく上下する。 (エロい…)  ただ夕大の体に手を這わせているだけなのだが、これはこれでなんだかとんでもなくいやらしいプレイをしているようで、陽也はとても興奮していた。 「夕くんの体って意外とムキムキしてるね。鍛えてるの?」  夕大の体をまさぐりながら、じっと見る。着替えのたびにチラチラ見えていたがじっくり見るのは初めてだ。  運動に興味がなさそうだったので、普通に痩せているのかと思っていたが、まじまじ見るとちゃんと腹筋に筋ができている。  外見は幼さが抜けていないが、中身はきちんと筋肉がついていてしなやかだ。ちゃんと男の体だった。 「暇つぶしに家で筋トレしてるだけですけど…」  と恥ずかしそうに答えた。その顔も愛しい。陽也はやっぱり肌を合わせるっていいなとしみじみ感じていた。  日常では知らない部分を知れる。言葉だけでは埋められない部分を埋める。陽也にとってはそういう行為だった。 「陽也さんは脱がないの?」 「脱いでいいの?」 「うん…」  服を好きな人の前で脱ぐ事なんて何も抵抗なかったがいざじっと見られるとなんだか恥ずかしい。夕大の初な反応が移ったのかもしれない。 「夕くん」  上半身だけ脱いで、ぎゅうと夕大を抱きしめると、夕大は 「きもちいいー…」  と漏らした。 「ほんと?」 「どこがどう気持ちよかった?」  食い気味に聞いてしまった。だって不快じゃないならこの先も望みがあると思っていいということだ。 「陽也さんの肌があったかくて気持ちいい…」  と、言いながら夕大は陽也の胸に頭を擦りつけてきた。陽也は少し硬い夕大の髪質の髪を優しく撫でる。  陽也は胸がきゅーんとする。夕大が可愛い。  手放したくない。ゆっくり関係を育んでいきたい。嫌われたくない。重いだろうから言わないが一生一緒にいてほしい。このまま自分以外を知らないでほしい。といった独占欲がむくむくと湧く。  夕大の頭を抱えて頬をすり寄せていると突然ぐでっと夕大が弛緩した。 「夕くん?」  寝ちゃった。夕大は陽也の胸に頭を預けたまま抱きつくように寝落ちてしまった。 「か、かわいい…」  と思わず声が出る。猫みたいだと思った。静かで淡々としていて掴みどころがあまりないが、突然、眠ってしまうような無邪気さが愛しい。  自分の腕の中で寝てくれるなんてだいぶ心を許してくれているのではないか?と陽也は胸を高鳴らせた。  最後まではできなかったが、凄まじい充足感だった。今までは寝る事で満たされていたが、夕大とはそういう事をしなくてもこんなに満ちた気持ちになれる。こうやってゆっくり進んでいけばいつかはちゃんと結ばれるだろうと思えた。  今夜は欲求不満で寝られないと思ったが、陽也は意外にも心が満たされてすぐに寝入ってしまった。  二人は初めてほとんど裸のまま同じ布団で夜を過ごしたのだった。 これが約一年前の話だ。 ここから約一年経っても、二人はまだ最後までできていないのだった。

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