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第6話 愛があれば、いつかは
※ハル視点です。
「あったー!」
俺はネビュラのSNSのアカウントを遡り、とある投稿記事を探し出していた。
夕飯の片付けも済んで布団に寝っ転がっていたが、隣では夕がせっせと洗濯物を畳んでくれていた。
「ほらーちょうど1年前!ネビュラのライブ決まったやつ」
「あぁ。あれか。時間だけの画像が告知されてたやつね」
夕がタオルを丁寧に畳みながら返事だけする。基本的に家事のほとんどは率先して俺がやっているが、今日は夕が手が空いているからこれくらいやるよと申し出てくれたのだ。
「そうそう。あの日に夕と出会えたんだよなー、俺一生忘れないなー」
俺は一年前をしみじみ思い出す。夕がバックヤードでおにぎりを食べていた事。俺を見て警戒した顔をしていたこと。
俺は瞬間的にかわいい!と思ったが、高校生かなと勘違いしていたこと。
その後ネビュラの話で盛り上がって、うっかりエロ動画を見られてしまった事。
なんだかもう10年前のような気もするし、ほんの1週間前だった気もする。
それくらい夕といる時間は濃密で楽しかった。二人で音楽や映画の話をいっぱいした。小説とか漫画とかも。夕と俺は性格はだいぶ違ったが好きなものが似ていて恋人の前に友人として良い関係慣れたと思う。
それから色んな場所にも行った。ライブももちろん一緒に行ったし、アスレチックに行ったり、二人で生まれて初めての釣りをしてみたり、素朴な事をして遊んだ。
内気で静かな夕がだんだんと心を許してくれる事がたまらなく愛しかった。
それから夕はお洒落に無頓着だったので、俺が美容院に連れて行ったり服屋に連れて行ったりしていたらこの一年でだいぶかっこよくなってしまった。俺の好みにカスタマイズされていく様も俺の心を満たしてくれた。(一方、俺は夕と暮らしてからはQOLの向上にハマり、かなり地味になった)
学校とかで変な虫がつかないか心配になるが、女っ気もなければそもそも友達付き合いもあまりないようで逆に心配になる時がある。
でも独占欲が強い俺は、夕の外の世界が俺でしか繋がってないことを嬉しくも思っていた。これからも夕が俺だけ見てくれますように。と毎日祈っていた。
ただ一つ不満があるとすれば、セックスについてだった。
「というわけで、どう?」
俺は洗濯物を正座をしてもくもくと畳む夕の足にゴロンと転がる。
「何が?」
「1周年!1周年だよ!記念にえっちしよ!」
「ハッキリしすぎ」
夕は最初こそ俺のこういう言動に対して初な反応を見せていたが、今やあまり照れるという事がなくなってしまった。
慣れとは悲しいものである。ので、俺は夕が恥ずかしがっているところをもっと見たいのだ。となるとやはり恥ずかしい事をしたい。いっぱいしたい。
「だめ?」
「……」
夕が黙る。先日はするしないで喧嘩みたいになってしまったので、今度は絶対に嫌な空気にせずに受け入れてもらいたい。
「夕はやっぱりしたくない?」
口とか手を使って抜きあいっこみたいのは時々してたけど、挿入までするセックスはまだ3回くらいしかしたことがない。しかもそのうち全てが失敗に終わっている。
そのせいなのか、夕は元々性欲が薄いのに、最近はあからさまにセックスを嫌がっているように見える。
「なんか…後ろにいれるのが慣れなくて…」
「俺、下手?」
俺が今まで付き合ってきたお兄さんたちは、その全員が経験済みだったので俺が性行為の手ほどきを受ける立場だった。
準備からほぐし方、良いところの当て方とかひと通り仕込まれた俺はタチとしてはだいぶ上級者!と思っていたのだが、よく考えれば初めての子に対する経験はゼロだった。だからなのか夕の体は一向に俺を受け入れてくれなかった。
「そうじゃないよ。苦手なんだよ。準備するのも大変だし」
言いながら夕がイライラし出しているのが伝わってきた。この手の話題すら夕は苦手なのだ。
「なんか何やってんだろって萎えてくるんだよ..」
心底面倒そうにため息と共に言うものだから俺も悲しくなってきてしまった。
「じゃあ、夕がいれる方やる?」
俺はハッと気づいた。そうだ。やられるのが嫌なら夕がやればよくない!?と。
「俺、夕のためなら抱かれるよ!!」
俺は本気だった。別にどっちをやりたいとかそこまでこだわってない。今まで付き合ってきた人達が偶然(というかそういう人と相性がいいのだろう)バリバリにネコだったため自分が抱かれる側をするビジョンがなかった。
でも夕とセックスできるなら本当にどっちでもいい。されるのが嫌なら俺がされる。
「え…いや、いれる方はもっと無理…」
「そっかー…」
(無理ってなんだ無理って…)
これ以上話し合うと拗れそうなので俺は会話を打ち止めた。ちょうど洗濯物を畳み終わった夕は、俺をどかすとそそくさと部屋から出て行ってしまった。
そのまま自室に戻ってしまったらしく、もう俺の部屋には来なかった。
しょんぼりした気持ちを抱えるのが嫌で、もう寝てしまおうと電気を消したが、一向に寝付けなかった。
あんまりやりたいやりたいって言わない方がいいのかな?夕はそれでいいのかな?でも言わないと本当に何もしなくなっちゃう気がする。っていうか、エロいこと好きじゃない男なんているの??なんで!?!?二十代なんてやりたい盛りじゃないの!?!?俺はしたい、毎日でもしたい。でもしたくないんじゃ仕方ない。仕方ない。仕方ない事だってちゃんと分かっている。
ぐるぐるぐるぐる考えても仕方ない事が頭の中を旋回する。
「でも、俺、結構待ったよ」
夕がいるはずの階下に向かって呟く。
最後にしたのは4ヶ月以上前だ。したといっても最後までできていない。それでもよかった。俺は快感が欲しいわけじゃない。もちろん二人で気持ちよくなれたら最高だけど、ただ心と同じように体も繋がりたいだけだった。
慣れればいずれできるものと俺は楽観視していた。だから、今は失敗してもいいと。俺がしたいのは射精じゃなくてセックスだ、と思っていたし、ずっと思っている。
「ねーーーもうさーーー俺限界なんですけど。なんでこうなっちゃったんだろ」
『馬鹿だねー。体の相性確認してから付き合いなよ。ノリで一緒に暮らしちゃってさ。バニラしか無理なんて人いっぱいいるでしょ』
「だってー俺もう体から付き合うの嫌だったんだもん。最初はいいけど最終的に絶対体だけの関係になっちゃうしさ」
俺は我慢できずに友人に夕のことを愚痴っていた。ベランダで洗濯物を取り込みつつ、Bluetoothのイヤホンで話す。もう九月の末で陽が落ちるのが早くなった。昼間はまだ暑いが、夕方は風も涼しい。
この人は俺が1番最初に付き合った男だった。というか付き合ってると思ってたのは俺だけで、向こうからしたら俺はセフレの一人だったらしい。その勘違いが発覚してからあっさり別れたが、今でもたまにつるんでいた。もちろん体の付き合いは別れてからはない。
『じゃーもー諦めるしかないんじゃない?向こうが嫌がってるなら無理強いできないでしょ。ハルの性格じゃ』
「そんなあー!夕はさ男と付き合うの初めてなんだよ。だからまだ良さに気づいてないだけだと思うんだよね。ねーなんかいい方法ない?」
『本人がいいって言ってるなら道具でも使って開発したら?』
「道具かー。俺、相手に道具使ったことな、っっわーーーーー!!」
『なに!?』
しまった。
いつの間にか帰ってきていた夕が幽霊みたいにぼーっと突っ立っていた。ベランダに出ていた俺は外の喧騒と電話の声で室内の音が全く聞こえてなかったのだ。
「ごめん、夕帰ってきたからまたかけるー。じゃーねー」
『え』
返事を聞く前にスマホの通話ボタンを切って恐る恐る夕を見る。
「……」
夕は無感情な目でこっちを見ていた。いや無感情ではない。多分怒っている。俺は心臓がドキドキして吐きそうになった。一体いつから聞かれていたのだろう。何も1番聞かれたくない話をしてる時に帰ってこなくていいのに。
「おかえり」
「今の、俺の話だよね」
俺のおかえりに被せるように夕が問う。
「誰と電話してたの」
「友達…」
「友達とそんな話するの?」
「友達っていうか、前付き合ってた人だけど、今は友達…いや全然会ってもないし、向こうも彼氏いるし、ぜんぜ」
「違うよ、そんなことどうでもいいよ」
夕が俺の話を遮る。まずいまずいまずい。夕がめちゃくちゃ怒ってる。
「ハルは俺とのそういう話、他の人にしちゃうんだ、って思っただけ。結構プライベートなことだと思ってたから」
しかも外で、と吐き捨てるように言うと夕は踵を返して部屋を出て行こうとした。俺は乾いた洗濯物を床に投げ捨てて夕を追いかけた。
「待ってよ。ごめんって。でもネタで言ってたんじゃないんだよ。相談に乗ってもらってただけで」
去られないように手を掴んだが、ペッと離されてしまった。
「相談?」
「その、夕がしたくないのってなんか理由があるのかなって」
「それは俺に聞くべきじゃない?なんで他の人に聞くの」
正論すぎてぐうの音も出ない。俺は愚痴を相談と言い換えた浅ましさを見抜かれた気がして嫌な汗が出た。
「だって、俺、夕がセックスしたくないって気持ちが全然理解できないんだもん。したくないんじゃ仕方ないって思ってるだけで納得もしてないし、分かってあげられないからその...ウケ側の人の意見聞こうと思って……」
取り繕おうとなんとかそれらしい言葉を並べたが、どれも薄っぺらくて俺はどんどん小声になった。
「理由なら言ってんじゃん!単に生理的に苦手なんだってば。準備するのだって綺麗な事じゃないし、見られるのも指突っ込まれるのも嫌だよ。汚いじゃん。俺は気持ち悪いって思ってる」
夕が泣きそうに瞳を潤ませた。俺はパニックになった。俺は今まで夕を泣かせたことがないし、夕が泣いてるところなんて見たことがない。夕は動物が理不尽に死ぬ映画を見てもしらーっとしている神経の持ち主なのだ。
「な、なんで!?俺そんなふうに思ったこと一度もないよ」
「だからそっちの世界では普通かもしれないけど、俺からしたら異常なんだってば!」
夕が怒鳴った。夕が怒鳴ったのも初めて聞いたかもしれない。夕が放っている言葉は暴言だったと思うが、それよりも夕が泣きそうで怒ってて可哀想という気持ちしかなかった。
「そういうことじゃなくて、俺、なんなら夕の事将来介護したっていいって思ってるよ!?夕のどこも汚いなんて思わないよ」
「は!?介護!?」
「うん!」
俺はパニックになってとりあえず思いつく限りの事を言って夕を落ち着かせようとした。だけど介護云々は口から出まかせじゃなくて本当に思っている事だった。
「ハルはいい奴だね。知ってるけど」
夕の顔から急に怒気が消えた。
「あーーーもうハルはーーーーー」
そして頭を抱えてしゃがんだ。
「ハルのそういうとこ、すごく好きだよ」
どういうところか分からなかったが、夕はかがみながら俺を見上げてきた。その顔からは毒気が抜かれていた。俺はとりあえずホッとする。介護というワードが良かったのか?
「そんなに俺とやりたいの?」
「うん……」
「ねえ。ハルは他の人としようとは思わないの?」
そんなこと聞かれるなんてショックだった。そんなふうに思ったこと一度もない。
「別に誰とでもしたいわけじゃないもん」
「夕としたいんだもん」
キスとかハグとか、好きだよと伝える延長線上にセックスがあるだけだ。
夕がセックスをしたがらないのはちゃんとわかってる。延長線上になくて、また別の次元の話だというのは理解している。
「夕こそ俺といてしんどいんじゃない?もう別れたいとか思わないの?」
「それは、ハルの方が思ってるんじゃないの?」
そんなこと、思ったことない。
夕は俺の気持ちを理解してくれているのだろうか。ただやりたいだけと思われてたら、悲しい。けれど、自分の性的な願望を言うたびにこういう空気になるのがたまらなく苦しいし恥ずかしい。なんだか自分だけが理性のない性欲モンスターにでもなってしまった気がする。
夕に嫌な思いをさせたくはないが、夕も少しは努力してくれたって、と思ってしまう。自分ばかり我慢しているし、自分ばかり恥をかいてるようでなんだか公平じゃないと思ってしまう。
夕を誘う時、全く恥ずかしくないわけじゃないのだ。断りやすいように軽く聞いてはいるが、断られるのかな?って怖いとも思う。断られるたびいつも惨めな気持ちになる。
そういうの夕は分かってくれているのだろうか。
「──」
今度は俺の方がじわっと涙が出てきてしまった。じっとして耐えていたが、結局溢れてぽろぽろ零してしまった。
「ぐすっ…」
「な、泣くなよ」
夕がおろおろして俺を抱きしめてくれた。だけど、俺は落ち着くどころか抑えていたものがぽろっと外れてしまった。
「だって俺ばっかりやりたくて、もうしんどい」
夕の胸に顔をこすりつけて涙を拭いた。鼻水もついたかもしれないけど、正直知らんという気持ちが勝った。
ぐすぐすと鼻をすすっていると夕が無言でティッシュをくれたので俺は鼻をかんだ。
「俺、夕と別れた方がいいの?」
夕がひどく困った顔をした。なんだかこんな困った顔を見たのも初めてなような気がする。そう思うと夕は昔からあんまり感情が表に出ない。だから、俺にだけ見せてくれる表情が大好きだった。
「わかったよ…じゃあ明後日…土曜日の夜…にしよ」
え?
「ほんと!?」
俺は夕の肩をがしっと掴む。夕がびくっと仰け反った。
「ほんとほんと」
ひどく面倒そうに言われたが、夕は嘘をついたりしない。
「うわーーー!ありがとう!!」
俺は夕にハグしてキスをした。けど、掌で顔を押し返されてしまった。
「ごめん、俺ちょっと買うものあるからもっかい外出てくる」
と、夕は玄関に行ってしまった。照れているのかもしれない。
「わかったー!ご飯作って待ってるねー!」
俺はご機嫌で夕の背中に叫ぶ。
愛があれば、いつか。いつか絶対にできる。
俺はそう信じていた。
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