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#006 Discovery

 背後で眠る早苗の気配を感じながら、建巳はパソコンに向かい《翡翠メイ》のSNS関連をチェックする。  早苗からマンホールの件で連絡を受けたのは日中だったが、倒れている早苗を見つけ主治医に診て貰い再び早苗が目を覚ますまでの時間は八時間程度、既に時刻は夜であり窓の無いこの部屋では分からないがある程度の時間が経過していた。  そのたった四半日程度であるにも関わらずインターネットは既に《翡翠メイ》の写真や動画に映り込む黒い影についての情報がまとめられており、建巳はその内容を確認しながら舌打ちをする。  早苗が嫌がるので目の前で吸うことをあまりしなかったが、この良くない状況に直面しストレスが溜まった建巳はジャケットの胸ポケットから電子タバコを取り出して電源を入れる。  纏められた記事の主な情報源は《カエサル》のものであることが多く、《翡翠メイ》に対する考察としては一流だった。《カエサル》は《翡翠メイ》の投稿全てを振り返り、見落としそうな写真の隅にも写り込んでいる黒い影を取り上げていた。  写真動画問わずその黒い影はある特定の時期から突然現れるようになっており、建巳は目を細めつつ電子タバコを口に咥える。  確かにこれらの全てが太郎であると言われれば、ただでさえ神経質寄りな早苗は信じ込んでしまうだろう。直接太郎が目の前に現れた時でもあれだけ取り乱した早苗だからこそ今の精神状態は計り知れない。  ようやく落ち着きを取り戻してきた頃だったのに、と建巳は黒い縁の眼鏡を外して眉間を抑えるが今無理をさせることは今後に影響しかねない。今後は食事をとることですら難色を示す可能性すらあった。  今すべきことは写った影の正体が太郎ではなく、一連の件を悪い方向へ結びつけないようにすることだった。  固く両目を閉じ、その蓄積した疲労を多少発散した建巳は椅子に座り直して再びディスプレイへと視線を向ける。しかしその時視界の隅におかしなものを見つけ建巳はゆっくりと視軸を移動させる。  デスクの足元、几帳面で綺麗好きな早苗にしては珍しく紙片のようなものが落ちていた。椅子に腰を下ろしたまま手を伸ばしそれを手に取れば紙片ではなく封筒であることが分かった。その封筒が落ちていたすぐ側には先日建巳が早苗に手渡した《翡翠メイ》宛てのファンレターの入った紙袋があり、この封筒はその内のひとつであると思い掛けた。  しかし建巳はすぐに気付く。  建巳が選別した中には〝こんなに真っ赤な封筒〟等なかったことを。  すぐ側に紙袋があったからそれをファンレターのひとつだと思いかけたが、建巳の知る限りこんなファンレターは無く、ファンレターでなければ直接この部屋へ届けられた可能性しか考えられなかった。  しかし早苗にもマンションの集合ポストに投函される郵便物は確認しなくていいと言ってあるし、第一オートロックであるこのマンションには玄関扉の郵便ポストは無く、直接部屋に投函されたとも考えづらい。  建巳は封筒を持って確認するが、宛名は確かに《翡翠メイ》のファンレター宛先となっている郵便局留だった。しかし本当に建巳はこんな真っ赤な封筒を選別の時に見た覚えはないし、こんなに目立つ封筒ならば記憶に残っているはずだった。  裏面を返すとそこに差出人の住所氏名はなく、余計にこんな不審な手紙を選別済の中に入れる訳がなかった。その時建巳は封筒の一部が剥離されていることに気付く。  早苗が開封しようとして何らかの事情で中断し、その結果デスクの足元へ落ちたのではないかと考えた建巳は中身を確認しようと接合部に指を掛け、紙以外の感触があることに気付く。薄型のGPSなど不審物が入っていないか手紙の上から確認し続けていた建巳は紙とは違う何かの感触に気付き易いという特技をもっていた。  まさかと思ってその剥離かけの部分を注意してみてみると、真っ赤な封筒のその部分に何か染みのようなものが出来ていることに気付く。 「――ッ!?」  目を丸くした建巳は背後の早苗を振り返り、転がるように椅子から飛び降りると眠っている早苗に駆け寄り両手を取って丁寧に確認する。  すると片手の人差し指の側面に真新しい絆創膏が貼ってあり、建巳は確かに早苗を発見して介抱した時からこの絆創膏が貼ってあったことを思い出す。倒れていた早苗を見つけた瞬間は気が動転していたが、今考えると普段と違うところがあったような気がする。  建巳は早苗の手を下ろし冷やさないように上から毛布を掛けると怖がらないように電気を付けたまま、扉を開けた状態で配信部屋を出てリビングへと向かう。  コンシェルジュに手配してもらい既に吐瀉物などは片付け清掃と消毒をして貰っているが、建巳は普段と変わらないリビングを見回して違うところを探す。  開封時に指を切った早苗はあの何も無い配信部屋からリビングへ来たに違いない。もしかしたらそれはフードデリバリーが到着したタイミングと重なっていたのかもしれない。どちらが先に起こった事象であったか建巳には判断がつかないが、指を切ったのなら止血を考えるのが当然なのでリビングに救急箱か何かがないか探した筈だ。  家具の殆どをレンタルで揃えており、そのひとつであるキャビネットを開けると中に収められている救急箱の位置が傾いていた。救急箱を開けてみれば絆創膏の箱に開封の形跡があり、やはりここの絆創膏を使用したのかと納得した建巳はその後の早苗に何が起こったのか考えるようその場に片膝を付く。  時刻は日中、今はただ暗い夜空が一面広がっているだけだがその時間帯ならば今日は晴天だったのでレースカーテン越しに太陽光が射し込んでいたことだろう。  マンホール転落未遂の件で気が滅入っていた早苗ならば、気分転換にこのリビングでバーガーを食べようとしていたのかもしれない。その証拠に食べかけのバーガーはリビングのテーブル脇に落ちていた。  早苗ならばバーガーを片手にスマートフォンでSNSをエゴサーチすることも充分考えられた。太郎の付き纏いが過激化していた頃はSNSを見ることすら怖がっていた早苗から考えればそれは大きな回復傾向でもあった。  その時刻ならば丁度SNSに幽霊が写り込んでいると騒がれ始めた時間とも合致し、何か決定打があったとするならばそれは勿論《カエサル》が載せた明度を上げた太郎の写真だろう。つい今しがた外出した時に撮った写真の中に太郎と思われる人物の姿が写り込んでいたと知ればトラウマが再発しても何ら不思議はない。  エゴサーチに集中するあまり、異臭に気付かずバーガーを口にしたという可能性は充分考えられたが、建巳はまだどこか腑に落ちていなかった。  早苗が一命を取り留めたこと以上に大切なことはなく、今最も考えるべきことは今後の活動に影響しそうな早苗が胸に抱く不安を取り除くことだった。  何の気なく建巳は立ち上がり、室内のインターホンを確認する。早苗は当然知らないだろうが、インターホンには訪問者の映像を確認する機能がある。一階のオートロックで呼び鈴を鳴らせば早苗が部屋で応対する限り、その映像は一ヶ月までは残り続ける。  彩度は低く不明瞭なものであったが、訪問者の履歴を確認した建巳は指を止めてそこに見えた事実に驚愕する。

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