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如月詩子と如月詩音②

 話の肝は、今後詩音はどのように高校に通うか、だ。 実は詩音の進学が決まっていた高校は天塚の家に近い。  高校の名前を聞けば、"あぁあそこか"となるぐらいには俺も周辺の地理を頭に描く事ができた。  しかし詩音の家の場所から逆算すると電車を乗り継いでも一時間半以上かかる場所だ。   詩音の育ての親である如月さんに、"あの性格の"、"あの見た目"で本当に一時間以上も通勤ラッシュの電車に乗せ、見知らぬ土地に安心して送り出せるのかと尋ねてしまったのは不可抗力というものだ。 俺の失礼な質問にも機嫌を損ねず丁寧に答えてくれた如月さんの話によると、それを回避するため先週詩音は街に繰り出し、アパートの下見に行ったらしい。  結果的に、詩音が下見をしていたアパートは詩音が臥せっていた数日で他の学生が入居契約してしまったらしい。  詩音の頭の中には友人とシェアハウスという選択肢がまだ残っているようだが、それは俺が今後詩音を連れ出す時に色々と面倒臭い。    一時的に席を外し緒方に別件の連絡も兼ねて電話をすれば、詩音の件に関してどうしたもんかと悩む俺に、『この無駄に広い家はなんの為にあるのか』と笑いながら言った。  決して、自宅が汚すぎて寝られなくなったお前を泊める為じゃねーよ、と言い返して。けれどその手があったかと思案する。  天塚の家なら詩音の通う高校まで徒歩で三十分といったところか。本人は一時的な物だと思い込んでる緒方の診察も定期的に受けさせられる。    これはイケる。  如月さんが、偶々通りかかって少し世話をしたぐらいの何処の馬の骨ともしれない男に、可愛い可愛い我が子同然の子を預けてもいいよ、と言ってくれるのならば。  暫く上を向いて考え、俺は頭を弱々しく振って前言撤回した。  全くイケねえ。  同じ事を俺がされたら普通に引く。  子供なんて持ったことないけど。  良案かと思えた緒方のフォローを、全力で蹴っ飛ばし愚案のレッテルを貼り付ける。  だが妙な話で、緒方の愚案を足で踏み潰し他に何か策はないかとぐだぐた考えながら「俺の家なら空き部屋ありますけど……」なんて怪しさ全開で切り出したこの愚案はすんなりと如月詩子に受け入れられてしまった。   「信用性の保険に水城さんを連れ出したのが効いたか。それともあいつの説得が功を奏したのか……」    車のバックミラー越しに、天塚の家の前で荷物を道に落としたまま硬直している詩音が映っている。  木曜、予め俺たちが根回ししていた事を知らない詩音は家の敷地を跨ぐギリギリまで詩子さんに怒られないか戦々恐々としていた。 けれど思いの外叱られずに済んで、代わりに俺たちがどれだけ尽くしてくれたのかを話したらしい。  如月さんにやけに好印象に捉えられていたのは、詩音の俺たちに対する反応も大きかったのだろう。    まだこっちを見て自失している詩音は動き出す気配がない。  早く中に入らないと今度こそ風邪を引くぞと、電話で注意しようとした俺より先に、冷たそうな三月の風が詩音の眩しい髪を宙に巻き上げた。  そういえば、詩音は自分が母親似だと言っていた。    確かに詩子とは全く似ていない。  如月詩子は如月創詩の母親に当たり、創詩は詩音の父親だ。詩音からしたら育ての親兼、祖母という血縁関係だが初めてあった時から"詩子ちゃん"と詩音が口にしていた通り、"お婆ちゃん"と言うには如月詩子は些か若すぎる。  今もきちんと働く彼女は、田舎に身を置くシステムエンジニアだった。  彼女の手の中に、創詩が可愛い手のかかる息子として居てくれたのはそう長い時間ではなかったようだ。彼女自身が時間を息子のために割けなかった事もある。  創詩が恋人を作り、子供を作り、事故で息子夫妻が亡くなり、自分の孫に当たるまだ物心も付かない幼い詩音だけが手元に残った。  それはきっと、心の傷は深くも、整理なんて追い付かないほど瞬く間の出来事だったのだろう。 『大人の顔色を窺って、自分の事が見えなくなる子には育てたくないから』  そう言って如月詩子は詩音の悪癖を口にする。  二人しかいない家族だから、二人が双方を特別に思い大切にするのは仕方のない事だけれど詩音のソレは度が過ぎている。 もっと自由に生きてほしいけれど、そうするにはこの街じゃ詩音には狭いと詩子さんは考えていたらしい。 『我慢だって今の歳で覚えてほしくなかったけど。私と一緒にいるとどうしても私を気遣っちゃう』  そう言って如月詩子は白い封筒を俺に差し出してきた。中身は見なくても纏まった金だと分かる。  金には困ることはないけれど、人様の大事な子供を覚悟を持って預かる体面を保つ為にも俺はそれに手を伸ばした。 『どうかあの子をお願いします。匠君』  俺よりもずっと年上の人に天塚さん、と呼ばれるのは気が引けるので名前で呼んでくれて構わないと言ってあった。 ”匠君”なんて今まで俺をそう呼ぶ人はいなかったから、少しばかり気恥ずかしい。 『分かりました、詩子さん』  ”如月さん”と呼べば、もっと砕けていい。なんなら名前で呼んでほしいと言われ名前を舌にのせる。  にこり、と口元を綻ばせる如月詩子の笑顔は、詩音が笑う時のソレにとてもよく似ていた。  

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