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如月詩子と如月詩音③

「詩子ちゃんに売られた……」  家に入って俺の話を一部始終聞いた詩音は開口一番物騒な台詞を吐いた。 「まぁいいんじゃね。見ての通りこの家は広いし、お前一人ぐらい増えたって問題ない」 「そういう問題じゃねぇ」 「どういう問題があんだよ。アパート入れる所なかったんだろ?乳離できないガキかよお前は」 「んだと?!」 「まーまーまー!喧嘩しないで!これから一つ屋根の下、生活を共にするんだろう?」 「正確には日曜にまた家に一度帰して、向こうの卒業式が終わったらだな。詩音、この土日で必要なもん買いに行くぞ」 「……わかった」 「どこ行くんだ?」 「トイレ」  立ち上がり部屋を出る詩音の背中を見送る。  緒方が下がったメガネをかけ直して俺を見た。  その目はやけに真剣だ。 「僕こういうのなんて言うか知ってる」 大して期待はしていないが黙って先を促す。 「成り行きとはいえ、あんな可愛い子を手元に置いて匠好みに育て上げる。…………これぞ現代の光源氏計か…痛ったーー!!!」  カッコーンっと小気味のいい音と共に俺が投げた煙草の箱が緒方の額にクリティカルヒットした。   「ぶっ殺すぞ」 「言う前に投げてんじゃん!そんなんじゃ死なないけどさ!」 唇を尖らせて抗議する緒方に、お前は一体何歳なんだと言いたくなる。 「しかし物事はどう転ぶかわかんないもんだねぇ。数日前は釣り餌にしようとした子供が逆転して大切なお客様だ」 「お前、それ絶対に詩音に言うなよ」 「言う訳ないでしょ。どっちかって言うと、僕は君の方が心配だ。一緒に暮らすなら君が日中何してるかそろそろ気になるんじゃないの、あの子」 「そんなのどうとでも誤魔化せるだろ」 そういえば、詩音との出会いはバーだった。あの店で働いてると言っておけば当分は問題はないだろう。 「あとさ、覚悟しなよ匠」 「何を」 「あの子、ぜっっったい化けるよ。君達を小さい頃から知ってる僕が断言する。あの子は滅茶苦茶綺麗になる」  それがどうした、と俺は鼻を鳴らす。 「わかってないなー。如月さんと彼を預かる約束したなら、そこらへんもっかい意識し直した方がいいかもね。悪い虫がついたら如月さんに顔向けできないでしょ。あ、でも匠より悪い虫もいな痛いっ!」  べらべらと口の回る緒方の後頭部を力加減なしの平手で殴り、俺は部屋を後にした。  トイレと言うから、そっちの方向へ向かうと庭が見える軒先の縁側で詩音は佇んでいた。 「……やっぱり止めるか?」  俺が声をかけると詩音はノロノロと俺の方を見て、少し考えた後そのまま首を横に振った。 「ううん、詩子ちゃんを困らせたくない」 「そうか」  嫌だとか、急すぎるとかじゃない。  あくまで詩音は詩子を困らせたくないという。 誰かを困らせたくないから自分が我慢する、と言うのは美徳かもしれないがそれはこんな子供が進んでする事でもないだろう。  少なくとも俺が詩音と同じぐらいの時は――……、と考えて俺はそれ以上考えるのをやめた。  詩音や、同世代の奴らと比べられるようなご大層な経歴を俺は持っていない。   「……あそこじゃ、高校も選べない程少なかったから。詩子ちゃんが勧めてくれた所選んだんだ。少し遠くなったけど、それでも通えない距離じゃないし。まぁいいかって。ここに住む事、俺が知らない間に決められた事はショックだけど、詩子ちゃんが"良い"って考えてしてくれたことなら、俺は匠のお世話になる」 「なぁ、ショックなだけ?」 「どう言うこと?」  俯きがちな視線がまた俺を見る。 「お前自身は、なんか無いの?」  詩音自身の希望はないのかと問いただしたつもりだが、詩音は少し考えた素振りを見せた後"わからない"、とだけ言い残してトイレへと向かっていった。 「……物分かりが良すぎるのも問題って事か」  もっとはっきりと自己主張してもいい年頃の筈だ。 『たくさんの事を知って、たくさん幸せになって欲しい。それから、詩音には私一人だけじゃないんだよって自分で気づいてほしいから』 詩子さんの言葉を思い出しながら俺はズボンのポケットに手を伸ばした。  あるはずの煙草がなくて、先ほど緒方に投げつけた事を思い出す。  来るのも去るのも拒まない。 「俺はどっちでもいいんだよ、お前がどうしたいかだ」 お前と違って俺は大人だから、支えてやる事ぐらいはできるけど、気づくのも選ぶのも本人にしかできない成長だ。  案外詩子さんに頼まれた事は俺が思っている以上に重かったのかもしれないな、と今更ながら気づいてしまった。

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