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近くで見ないと気づけない事①

*** 「うん、問題ないね!元気元気!」  そう言って緒方さんは俺の背中をポンポンと叩いた。 「じゃあもう診てもらわなくても?」 「それは駄目」 「治ったんじゃ……」 「僕が診たいから診るの」 「はぁ」  言ってる事がよく分からない。問題ないって事は健診の必要性もないって事ではないのだろうか。  特に断る理由もないし、最近は採血もされないからそれ程億劫ではない。時間の拘束が長いわけでもないし、緒方さんの気が済むまで付き合うしかないか、と諦める。 「今日は匠とデートするんだろ?」 「デート?!」 「あれ、違うの。買い物行くから家を留守にするって昨日言ってなかったっけ」 「言ってましたけど、デートじゃないです!デートは男と女がするものだと思います」 「あぁうんそう。そうなんだけど……馬鹿真面目か」 「はい?」  最後は声が小さくて聞き取れなかった。 「いや、何でもない。気をつけて行っておいで〜」  緒方さんに背中を押されて家から出る。  家の前には匠がエンジンを切った車に寄りかかり煙草を吹かしていた。 「ん、準備できた?」 「うん」 「じゃあ行くか〜」      匠に連れられて来たのはこの街で一番大きいとされるショッピングモールだ。総店舗数五百を超えるらしい。  真面目に店を回ったら一日がかりだ。  俺の家から持ってくる物と、そうでないもの、これから必要になる物。取捨選択をしてリストアップした手元の紙と総合案内掲示板とを睨み合う。  さっぱりわからない。現在地と書かれている筈の場所がどこにあるかもわからない。なんなら車から降りる前に「忘れんなよ」と釘を刺された駐車場の場所さえわからない。 いや、止めた場所の番号は覚えている。  俺の方向に対する感覚は改めて壊滅的で、取り敢えずこっちかなと左に足を向ければ右手を取られて反対に引っ張られる。 「お前どこ行くんだよ」  意味がわからない、と眉を寄せる匠に俺は威張って言い返す。 「机買いに行くんだろ?」 「そっちはペットトリミングとかアクアリウムとか……まさか毛刈りされたいのか?いくら猫っぽくても行くなら人間の美容室にしときな?お店の人が困るから」 真面目な顔に、とても心配そうな声音を乗せられて一瞬理解できなかったが遅れて羞恥が襲ってくる。 「って、てめっ」  言いたい事が渋滞しすぎて言葉にならない。  俺がどこから罵ればいいんだと口をハクハクさせていると匠はニヤリと笑って追い討ちを仕掛けて来た。 「やめてくれよ、こんな所で迷子の呼び出しなんて俺にさせるな」 「やめろ!手を引っ張るな!」 「じゃあお姫様抱っこか?いくらお前が小さくて可愛くても一日中は疲れるな……」 「うるさいうるさいうるさい!」  握られた手をなんとか外そうと振り回すが、これがまた全然外れない。俺の手をすっぽりと覆うほど匠の手は大きい。 「あのな、お前もうちょっと周り見てみろ。完全に浮いてっからな」  そう呆れたように匠に言われて辺りを見渡すと大人は勿論俺よりもっと年下のガキまで俺を指差してなんか言っている。 「っ全部お前のせいだろ馬鹿!!!!」  何で匠はこうなのか。  いざという時凄く頼りになるのに、偶にすっごく意地悪だ。  人のこと散々揶揄って、俺がショートしそうになると見計らったかのように美味しいものをくれる。  季節限定!と書かれた旗の下、リンゴとイチゴのWソース仕上げホワイトチョコムースラテに俺が目を止めたら匠は直ぐに買ってくれた。  こういう事されると、トゲトゲしていた気持ちもすぐにぐにゃりと柔らかくなってしまって匠を許してしまう。  ベンチに座る俺の隣で同じようにホットコーヒーを飲む匠。いつもはワックスで少し流し気味にセットしている髪が今日は風にさらさらと揺れている。  ――何しててもかっこいいのは反則だよな。 俺もなれるなら格好良くなりたい。匠に揶揄われないぐらい大きくなって、見返してやりたい。  でも匠って確か百八十六センチもあるって言ってたような……。  ブツブツと口に出して考え込む俺は俺に覆い被さってくる影に気づくのが遅れた。 「何一人でブツブツ言ってんの」 「っうわぁ」 「人の顔見て驚くって失礼だな。さっきから呼んでるだろ」 「ごめん。……匠?お前、目」 「あ?」  偶然とはいえ鼻先がつきそうなほど匠の顔を近くでまじまじと見るのは初めてで。  訝しげに細まる匠の片方の目が黒くない事に気づく。 「怪我……か、病気?片方目の色が違う」 「あぁ。……いや、違う。生まれた時からこうだったの」 「そんな事あるんだ。…………綺麗だな」  匠の右目は真っ黒なのに対して、左目は若干薄い。灰色のようで光の加減で緑にも見える。こういう色味の事をなんというのか俺には言葉に表す事ができ無かったから、ただ思った事を口にした。  わずかに色の薄い方を眇める匠の表情の意味に俺は気づかないまま、俺の視線はそのまま匠の左耳に移って、形の良い薄い耳に見慣れぬ穴を見つけた。 「これピアスホール?」 「あー、うんそう。今は滅多につけてないけど穴は出来上がってるからまだ入るんじゃねーかな」 「2……3?うわっ、5個?!5個も穴空いてる!」  今はつけていないという事は、前はついていたという事だ。どれほど前のことか知らないが、こんだけ派手な見た目をしておいて、さらに派手要素が追加されていたとか。  何それ怖い。  俺がジーっと匠の耳を見ていると、はぁ、と匠がため息を溢した。 「なんだよ、見たって減るもんじゃないだろ」 「そうじゃなくて。……お前は時々見た目に反して男前になるな」 「はぁ?!時々ってなんだ!俺は正真正銘の男だ!」 「そういう事言ってんじゃねーよ」  俺に引き込まれるまま上体を屈めていた匠は体を起こして、飲み切ったコーヒーの紙コップをぐしゃりと片手で潰した。そういう事じゃなきゃどういう事か俺にはさっぱり分からなくて首を傾げる。 「さて次は何だ?」 「ん、次は……」  机は配送をお願いした。店舗を見回りながら春服を見て、少しだけ俺専用の食器も買い足した。  もう特になさそう……、と考えた矢先新学期に合わせてノートが必要な事を思い出した。 「ここって文房具とかも売ってるかな」 「そりゃこんだけ広けりゃあるんじゃねーの。どっかに案内板あるだろ、それ探そうぜ」

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