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その日
***
卒業式を経て、高校入学準備期間の春休み。
俺は春休みに入った三日目から天塚の家にお世話になり始めた。
以前匠と一緒に買い物に行って注文した勉強机もとい、ローテーブルは和室の部屋に俺より先に馴染んでいた。実家じゃベッドだったけど、そこに拘りは無かったので敷布団。
そうして少しずつ天塚家の一部屋を俺専用に作り変えていたある日。
卒業式の日に悟が予定を無理矢理ねじ込んできた"家庭訪問"の日が遂にやってきた。
匠には友人が来る事は伝えてあった。
ただ、その日に匠が家にいるかどうかは別の話で、俺が天塚の家にお世話になり始めて気付いた事だが匠はあまり家にいない。
そりゃ俺と違って大人だし、詩子ちゃんが毎日家にいたのも、家で仕事をしているからだって知っている。
匠と面を向かって何をしているのか、と尋ねた事はないがもしかしたらあの始めて匠と出会った、裏路地の突き当たりにある様なバーで働いているのかもしれない。
匠は家にいる時間も不規則だ。
朝起きたばかりの時間に廊下ですれ違って「おはよう」と挨拶をする時もあれば、深夜トイレに行きたくなって暗い廊下を進んでいる時、匠の部屋に灯りがついているのを幾度か見た事がある。
そして緒方さんも俺の健診という目的がある時以外は基本いない。そもそも緒方さんは自分の家があるから当たり前なのだが。
天塚の家には毎日ハウスキーパーさんが来てくれるけど、それ以外に天塚には来客自体も滅多にない。
つまり、未だ端から端まで行き来した事のないだだっぴろい天塚邸に俺は昼夜問わず一人で過ごす日が多いという事になる。
知り合ってまだ一ヶ月もない俺を、家主不在が多い家によく招く気になったなと心配に思うぐらいには、本当に一人の時が多いのだ。
結果、本日大貫悟が天塚邸襲来の予定が立っても肝心の家主は不在だ。
匠に友達を招いてもいいのかと尋ねたら、俺の部屋周辺なら勝手にしてもいいらしい。
その日はハウスキーパーさんに少し長く居てもらって、友達を招く手伝いまでしてくれるそうだ。悟相手にそこまでしなくてもいいのに、とは思うけれど天塚のキッチン事情はまだよくわかっていないので有り難かった。
天塚の家から駅までは高校に通う距離と差異はない
なんなら高校も同じ方向だ。
十時には最寄りの駅に着くという悟を迎えに俺が家を出たのは九時十五分過ぎ。
基本的に剣道の練習で週末は出稽古に行く悟や、塾や習い事の多い三治と比べると出不精な傾向にある俺はあまり外を出歩かない。
高校への道のりを徒歩で何度か確認しているが、駅まで歩くのはかなり久しぶりだった。
店が開くにはまだ早い、でも人通りはそこそこの道のりを俺は駅まで歩いて行った。
この道を真っ直ぐ行くと、もう駅に着く。
連なるビルに、目移りするガラスウィンドウ。
大きな液晶ディスプレイにはトレンドファッションを身につけて笑うモデルがコロコロ入れ替わる。
俺はその画像を見て少しだけ足を止めた。
ここに映る人たちは本当に綺麗で、格好いい。
でももし匠がメンズモデルとして中にいても違和感がない。なんせ百八十六センチもあるしタッパは問題ないだろう。
BGMと共に変わっていく画像の中に黒髪で、スレンダーなモデルの順番が回ってくる。
切れ長の美しい目と筋の通った高い鼻。ゆるりと上げた口端が魅惑的だ。
黒髪という点では匠と一緒で、顔立ちが近いことからもし匠がモデルならこんな感じか?と想像して俺は笑いを堪えた。
だってそのフルスクリーンに映し出される黒髪のモデルはどうみても女性だからだ。
「はははっ、あの身長じゃ女装なんて無理だけど!いや、体格が既に無理なんだけど!!まぁ……顔だけメイク女物にしたらこーなれるか??」
本人のいない所で一頻り笑って俺は駅前通りを通過した。
俺が駅に着いたのは九時五十分。十時に待ち合わせをしている悟がもう駅にいるか、いないかぐらいの時間帯だった。
さすがにこの時間ともなると駅は混雑してきて、行き交う人はスーツを着た大人より、カジュアルな服に身を包んだ若い男女が目立ってくる。
俺と同じ春休みの人も多いのだろう。
人が多いとその分俺は厄介ごとに当たる確率が高くなる。
以前三治と悟の三人でとある像の下で待ち合わせをした時、俺たちに限らず地元の住民はその像を集合場所の目印にしている人が多かったらしく、多数の他人の視線に晒された結果俺たちは酷い目にあった。
それから俺たちが集まる時は建物の端。人の目が一番届かない場所と決めている。
駅舎の出口あたり、コンクリートの壁を背にして一人でボケーっと悟を待っていた時だ。
ばっちりと、三人組の男と目が合って俺は顔を顰めた。
こういう時の俺の嫌な予感は大体あたる。というか、予感じゃなくて経験に基づく予測と言っていい。
何かリアクションがある前にと凭れていた壁から背を離すが、男の一人が親指で俺を指すのは同時だった。
杞憂であって欲しいと思う気持ちは無駄に終わり髪を黄色や緑に染めてる派手な奴らがこっちに向かってくる。
――いっくら春だからって、沸かした頭他人にぶち撒けんなよな
思っても口に出さない代わりに、俺はその場から離れつつ努めて気付いてないふりをするが、やはり一度目があった事実は覆せないらしい。
「ねぇ、今暇?」
これまたどこかで何十回と聞いた台詞だ。
こういう奴らは決まって同じ台詞しか言ってこない。
年齢的には俺と同じかそれ以上……多分高校生だろう。
三人の中で一番頭の色がマシそうな男が俺に声をかけてきた。マシと言っても、後ろの部分だけ赤く染まったドレッドヘアがそう言ってもいいものか微妙な所だが。
「暇じゃない。友達待ってる」
あれ、こいつ男?と後ろにいる二人のうちの片方が声に出すのが聞こえた。
――そうだよ、男だよ、目どこに着いてんだよさっさと俺の前から消えろ。
そう思いながらあらん限りの拒絶を込めて俺に話しかけてきた男を睨みつける。
「男かぁ……どうする?」
男が後ろの二人を振り返り声をかける。
どーするもこーするも、何をどう言う意味で聞いてんだ。そもそも俺は暇じゃねぇつってんのに。
後ろの二人の内のもう一人はさっきからずっと鞄の中を探っていて、俺の方を見ていない。
「ってかお前さっきから何やってんの」
「いや、ちょっと探し物してて。タオルとかって持ってる?」
「はぁ?んなもん持ってねぇよ」
どうやら三人で相談モードに入ったらしく、俺は馬鹿馬鹿しくなってその場から逃げようと少しずつ距離をとろうとした。
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