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A storm is brewing.②

 まるで凍り付いたかのような、大きく丸い瞳は焦点が合わず噛み締めた唇は今にも血が滲みそうだ。尋常ではない詩音の様子に俺は反応が遅れた。  何があったのかと問い詰めようと後ろを振り返れば詩音を囲っていた奴らは逃げ出した後だった。 「っ嘘だろ!?おい、おい詩音!」  人が行き交う雑音が大きくて俺の声はまるでコンクリートに吸われていく様だ。 詩音の肩を両手で掴んで強く揺さぶると、 やっと詩音の青い目が俺をゆるりと捉えるが、本当に俺を見てくれているのかはわからない。 「……」 「お前何があったの?!」  詩音の下唇は強く噛み締めたせいでやはり少し血が滲んでいる。口を開いても出てくるのは掠れた呼吸だけで意味をなさない。  これはもう一旦どこかで休ませた方がいいかと俺が詩音の手を掴もうとすると、詩音が俺の手を叩き落とした。  バチンッ、と小気味いい音がして痛みより、驚きより、拒絶された後反射的に湧き上がった感情に俺は戦慄いた。    ――詩音に拒絶された。   ――あの、人懐っこくて優しい詩音に、反射的に拒絶してしまうぐらいの何かがあった。 「っ――おい!」  俺の手を叩き落とした詩音はそのまま後ろに傾いて倒れていくが、俺の手はまだ詩音に届かない。 間に合わない――! そう思った瞬間、倒れる詩音を横から腕を伸ばし支える手があった。 その腕を辿ると、いつの間にか俺と詩音の隣にはえらく背の高いツーピーススーツを纏った男が立っていた。  髪と同じ色の黒い瞳は切れ長の目をしていて、横に流した前髪が掛かっている。 こんな所にいなきゃ、テレビの向こう側にいても違和感のない"綺麗な大人"だ。  その見た事もない大人が倒れる詩音を片腕で抱き止めて詩音の顔を覗き込んでいる。  「え?」  笑えば女性なら誰もが虜になりそうな顔に深い困惑を浮かべて詩音の頬を叩いても反応がないと知ると男は漸く俺を見た。 「何があった?」 「わ、わからない。俺が顔を見た時にはもうそんな感じで」 俺の返答を耳にして男は舌打ちした。 「おい、……おい。詩音聞こえるか」  なんでこの男は突然出てきて、詩音の事を知っているんだ? 「詩音、怪我してんのか?」 「いや、外傷はないように見えるが……緒方!」  男が突然俺の方向を向いて声を上げたので、俺は後ろを振り返った。そこには眼鏡を掛けた男が一人こちらに向かって走ってくるところだった。 「匠!お前車放ったらかしていくとか!警察にパクられても知らないからな!!!……っと、え?!もしかしてしー君?!」 「俺がここにきた時にはもうこんな感じだ。これ以上人が集まるのも面倒だから一度車に戻ろう」 「オーケー。こっちの子は?」  詩音の事を"しー君"だなんて聞き慣れない呼び名で呼んだ男が俺を見た。  だがそれよりも俺は眼鏡の男が口にした名前を聞いて、改めて詩音を抱き止める男を凝視した。 ――匠。 ――――天塚匠だ。  きっとこの男は、詩音が言っていたあの男に違いない。 「俺は大貫悟です。今日詩音と会う約束してて……」 「オオヌキサトル……あぁ!大貫君か!詩音の、あの偽名の被害者」  なんだよ、偽名の被害者って……。 「緒方、今はそれはいいから。悟君だっけ、君も一旦俺の家まで一緒に来てもらっていいかな」  天塚匠が詩音の膝下に腕を入れて持ち上げる。普段の詩音ならこんな抱き上げ方されたら顔を真っ赤にして怒るに違いないが今はぐったりとしていて、そもそも意識があるのかさえ怪しい。  車があっちに停めてあるから、と天塚匠に言われ俺は地面に降ろしていた荷物に手を伸ばした。  その手を見て、目を細めた。  詩音に叩かれた箇所が少し赤い。痛みはないのに、酷く不安がこみ上げる。  ――――あんな詩音、初めて見た。    

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