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迷子の子猫①

***  俺の隣に座ってじぃ……っと見て、いや。睨みつけてくる悟に俺は口に飯を運ぶ手を止めた。  畳の上で顔に似合わずきっちりと正座して、かつ背筋も正しい悟の俺を見下ろす角度は中々鋭い。  なんだか最近俺が伏せっていて、その隣で誰かが俺を見下ろしている。そんな展開が多い気がする。 「あのさ、俺になんか付いてる?」 尋ねてもだんまりな悟に溜息を吐いて、俺は食べ終わった器を盆の上に戻した。  悟の視線が言いたいことはなんとなく分かる。俺だって駅にいて、悟に会ったかどうか定かでないのに目が覚めたら二人揃って家にいた、なんて正直訳がわからない。  分からないけど、思い出せもしない。 「お前さ、本当にどこも悪くないんだよな?」 「何それ。俺と何年一緒にいるんだよ。俺風邪すらあんま引かねーこと知ってるだろ?」 「確かにお前馬鹿だもんな」 「ば、馬鹿じゃねーよ!!!」 そりゃ三治みたいに偏差値70の高校に行ける頭はないが、良くも悪くも真ん中ぐらいの成績だ。若干文系より理数系の方が強いのは詩子ちゃんが勉強を見てくれていたからだ。 「駅で何があったんだ?」  漸く足を崩して悟はそのまま胡座をかいた。 でも改めて問われた内容に今度は俺が答えに詰まってしまう。だって先ほど緒方さんにも全く同じ質問をされたからだ。 「それがさ、覚えてないんだよな」 「……やっぱり頭がおかしくなったのか?」 「言い方!あとその深刻そうな顔して言うのやめろよな!」 「お前にかまいに行ってた三人組の事も覚えてねーの?」 「いや、それは覚えてる」 「じゃあ俺が居たことは?」 「そこが微妙な所で……まぁいいんじゃね。その内思い出せるって」 「だから!なんで……っ!!!」 俺が笑って済まそうとすると、悟が離れた部屋にいる匠にまで聞こえるんじゃないかってくらい大きな声で叫んだ。 「声!声がでかいって!!なんだよ突然!」 「お前な!お前の事なんだぞ!倒れたんだからな!!なのに覚えてないって……、そんな事ある訳ないだろ!ちゃんと考えろよ馬鹿!!」  言われなくても、緒方さんに聞かれた時に一度は考えた。けれど思い出せないんだから仕方ない。それにこの記憶の抜け方は初めてじゃない、なんて言ったら悟は余計に心配するだろう。 「だから馬鹿馬鹿言うなって言ってんだろ……。大丈夫だよ。きっと必要だったらまた思い出せる」 「じゃあなんだ。必要じゃないから忘れたっていうのか?そんな事、ある訳ないだろ……何されたんだよ。あいつらに」 「あいつら?」 「あのくっそ派手な頭の野郎」  あぁ、そうか。そこから食い違っているのか。  そりゃそうだ。悟には匠達との事件一歩手前の件を話していない。順当に考えれば今詩音がこうなっている原因は駅にいた三人組という事になる。  今となっては顔もあまり思い出せない男達に申し訳ない気持ちをちょっぴりだけ覚えた。  それでも、俺の記憶の欠損が駅の男達の所為ではなく、匠達と何かあった所為だと悟にバレるぐらいなら、有難い勘違いだと思える。  俺は悟にいつものように笑い返した。 「たしかに頭、凄かったな。色が凄すぎて顔が浮かんでこねぇ」 「それなら心配すんな、俺もあいつら色でしか覚えてねーから」 「赤に、黄色に緑だっけ?クリスマスはもうおわたっつーに!」 「あぁそうそうなんか既視感あると思ったらそれだ」  俺が、黄色は勿論星だろ?と言えば悟はきったねー星だけどな!と笑い返す。くだらない事なのに一度スイッチが入るとずっと笑えてしまう。そうして暫くして笑い転げた後、悟は突然腰を上げた。 「帰んの?」 「病人いんのに長居するもんじゃねーだろ」 「だから病人じゃねーって」 「緒方さんだっけ?医者なんだろう。しっかり診てもらえよ」 「うん」 「あと天塚さんか」 「うん」 「……俺は、あいつの事まだあんまり信用できないけど。でも詩音が今怪我してないのは駅であいつが庇った結果だから、当面は見逃してやる」 「お前、見逃してやるって何様だよ」 少なくとも前俺が匠の話を出した時程の警戒心は解けたようだが、それでも悟の匠の話をするときの視線は険しい。 「あと今日のことは三治に言っとくからな」 「ちょ!それが一番酷い!!!」 「今度会ったときしっかり怒られとけ。じゃーな、二人に挨拶したらそのまま帰るわ」 「じゃあまた……、次は入学式で!」 「おう、またな」  悟が部屋を出て障子を閉める。 足音が聞こえなくなるまで悟の背中を遮った障子を眺め続けて、それから糸が切れたように布団に仰向けに転がった。   「……俺、どうしちゃったんだろう」    何も思い出せない。   緒方さんや悟に代わる代わる聞かれても、思い出せないしそもそも無い事に対する不安すらないのだ。 まるで考える事すら必要性がないと言われているようで。    今はただ、落ちてくる瞼に素直に従って目を閉じた。

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