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子猫は知らない、大人の会話
すやすやと俺の耳元で寝息を立てる詩音の頭から手を放して、俺はより深くソファに座りなおした。
ローテーブルから拾い直したタブレットを詩音を抱く腕とは反対の方で固定して眺めるが、さすがに作業の進みは遅くなる。
タブレットをソファに放り出し、暫くすると洋間の扉がココッと音を鳴らした。
詩音は丁寧にノックするから、見当付くのは緒方しかいない。
そして緒方は、俺が返事をするより早く部屋に入ってきた。
「たーすーくーちょっと聞きた……おっと」
俺と詩音の様子を目にして緒方が口を噤んだ。
「うわー、珍しい物見ちゃった。どうしてこうなったの」
「疲れてたんだろ」
決して俺が拾い上げて膝の上に乗せた、だなんて余計な事は言わない。
そうでなくてもポケットから取り出したスマートフォンで緒方は写真を撮りだした。
「おい、やめろバカ」
「いいじゃない、減るもんじゃないし。どういう風の吹き回し?」
「だから、昼間お前らがあれこれ詮索するから疲れたんだろ」
「いや、しー君じゃなくて匠の事を言ってるんだよ僕は」
ソファの反対側に座って緒方が眼鏡を取った。
疲れているのか目を指でほぐしながらソファの背に体を預けて俺を見る。
探るような視線も、眼鏡を外した緒方がすると童顔が相まって茶目っ気を感じるから気持ちが悪い。
これでも二十六歳の年上の男なのだから。
「はっ……まさか子供が欲しい年ごろ?!」
「百遍死ね」
「冗談に決まってるだろ、君のその顔でマジメに言われたら傷ついて本当に死ぬ奴が出てくるかもしれないから言葉には気を付けろよな」
「そんな事で死ぬ奴が俺の身の周りにいたら有難い話だがな」
話す手間が省ける、と付け足す。
緒方は背筋を伸ばした後一度ソファから立ち上がると洋間の隅にある棚へと向かう。
勝手知ったるなんとやら、とはこいつの為のあるような言葉でソファに帰ってきた緒方の手には琥珀色の液体が揺れるロックグラスを二つ持っていた。
その一つを俺に渡して再び同じソファに腰を下ろす。
「可愛いのは分かるけど、あんま入れ込むのもよくないよ。僕は匠のしたいようにすればいいと思うけど、……君は嘘を突き通して生きる奴だから」
近付けば近付く程、俺と詩音の見ている真実の差は異なっていく。
子供に嘘をつくのは、物事を知っている大人より数段楽だ。
騙すのではなく、然もそうであるかのように真実を混ぜて少しだけ歪めてやればいい。
結果、身近な関係がどんどん遠くなって、最後破綻した時、取り返しがつかなくなっていようとも。
「この子は司さんとは違うから、きっと君の口から出る現実が嘘だって知った時傷つくよ。例えこの子の為に重ねる嘘だったとしても」
グラスを傾けた緒方が、唇についたアルコールを舌で舐めとって話を続ける。
普段は踏み込んでこない話までしてくるのはきっと疲れている所にアルコール濃度の高い酒を流し込んだ所為だろう。
耳にしたくない名前を出されて俺は剣呑な視線を緒方に刺した。
俺の威嚇も気にせず、緒方は話し続ける。
「……普通の人は、嘘つかれる事に慣れてるもんじゃないんだよ。勿論君みたいに故意に崖っぷちに自ら立ちにいく人間だって普通じゃない。なんていうの自傷癖でもあんの??って感じ……見ててやんなるよね」
最後は鼻で笑って、緒方は俺を真っすぐに見返した。
「そろそろ周囲の人間も気にしたらどう?満君も君の事でいつもいっぱいだ」
「……なんだよ、結局お前は満の為じゃねーか」
「違うよ。そりゃ僕は満君が大切で大事で大好きだけど、それと同じぐらい君の事も思ってる。だからこそ、君が我が身顧みず嘘であの子の道を整えてあげようとするのは承服しかねるって話さ。……本音を言うと、いや。わかってると思うけど僕は詩音君より君の方が何倍も大事だから。君が後々傷つくかもしれない道を選んでも詩音君を守るっていうなら、僕は彼を切り捨てて君が今まで通り生きられる選択をするよ」
緒方は”やる”と言った事は本当にやる男だ。
けれどそこに”天塚匠の意思を尊重せず”とならないのは、もう一人の天塚姓を持つ人間に心を持っていかれてしまった弊害だろう。
俺が緩く頭 を振ると、緒方の俺を見るめは猶更鋭くなる。
「ならせめて、自分を追い込む嘘だけはつくのをやめろ。あの子を思ってつく嘘が、本当にあの子の為になるなんて保証はない……そんなの、嘘つくだけ不毛だろ……」
「俺だって、別にお前たちに心配掛けさせたいわけじゃない」
まだ一口も口を付けていないロックグラスの中、琥珀色の液体の中で丸い氷がゆらりと回る。
「素直でまっすぐな子が、懐いてくれるのはうれしいよね。まるで自分が同じ生き物になったような気分になれる……」
カラン、とグラスの氷が音を立てる。
緒方の言う通りだと思う。
裏表のないこの子供が、俺を見て屈託なく笑う。それがただ心地いい。
口悪く罵る態度さえ、太々しい表情さえ可愛く思える。
まるでじわじわと毒が侵蝕するように、詩音という存在が俺の中に知ろうとしなかった毒を染み込ませていく。
その侵食を食い止める術を、俺は持たない。
困っているなら、手助けを。
不安になるなら、支えを。
そうしてまた何も知らない子供は俺を見て、無邪気に笑う。
先ほどのように夜遅くに俺の部屋まできて、足元に座り、不安を露に俺に無防備にすり寄ってくる。
心を、寄せてくる。
こんな下らない大人に、信頼を寄せて身も心も委ねようとする詩音に絶望する。
――司さんも、俺に対してこんな気持ちを抱いていたのだろうか。
「あ、もしかして弟ってこんな感じか?」
「え?」
つい口に出して言ってしまったのだろう。緒方が間抜けな声を出した。
「ちょっとまって、今君僕の事間抜けとか思ったでしょ。違うからね、間抜けなのは君だから。あ~いや、何でもない。……兄弟じゃなくてどっちかっていうとペットじゃないの。与えた分だけ返ってくる、みたいな」
「ペットか。それもいいな」
気ままで自分勝手で、すり寄ってくるとついつい撫でたくなる。
緒方が言うような性質は犬じゃないかと思うけれど。
「やっぱり訂正、君が言うと本当に洒落になんない」
「冗談だろ。でもまぁ……悪くもないな」
思った侭を口にすると緒方は嫌な顔をして「預かりものだってことは忘れるなよ」と言い残し部屋から出て行ってしまった。
その手にはちゃっかり、”おかわり”する為のウイスキーが握られている。
そこそこいいお値段のする酒だった気がするが、顔に似合わず酒豪なあいつの事だ。きっともう手元に返ってくることはないだろう。
生活が不規則な俺と行動時間を合わせている割には、あいつは基本的に夜行性だ。
ショートスリーパーを自称するあいつの部屋はきっと今日も明け方まで電気が点いている。俺はソファの上に放り出したタブレットを引き寄せて片手でSNSを操作する。
寂しい夜を過ごす緒方の為に、仕方がないのでひと声ぐらいは掛けておいてやろうと思ったからだ。
それで満が家に帰ってくるかどうかはあいつ次第だが。
俺が動いた事で若干体がズレてバランスを崩した詩音の体を抱え直すと、規則正しい寝息がまた俺の耳元に届く。
小さく暖かいこの体が、冷えて風邪を引かないようにソファの上にあったブランケットを体の上にかけてやった。
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初めまして、志鷹です。
誤字脱字文章間違え色々あったかもしれませんが、ここまで読んでくださってありがとうございます。
引き続いての高校一年生編の目標は脱R18詐欺(タグ)。
エッチどころかチューもしてないんだなぁこの二人いいい゚(゚`ω´ ゚)゚
って感じです。
日々リアクションくださる方、次どうやって書こうかな、続けようかなというモチベーションが続くのでとても嬉しく思います。
どうぞ、高校に入った後の匠×詩音や取り巻く関係の話を楽しみにしていただければと思います。
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