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高校生活のはじまり②

 タイミングが合えば声を掛ける瞬間を見つけて。  そこから適当にクラスに馴染める関係を作ればいい。  などと日和ってる間に、一日目が終わってしまった。    冗談ではなく。    前の席の生徒は、さらにその前に座っている奴と顔見知りだったらしく声を掛けるタイミングがなかった。  後ろの席の生徒は、なんと入学式初日から休みだったらしい。    ――ボッチオン。    朝一で悟に言われたセンスゼロの言葉が頭をよぎる。  よし、頭を切り替えよう。  これはこれで気が楽かもしれない。街に出れば嫌でも目立つのだから学校にいる時ぐらい教室の隅で大人しくしていてもバチは当たらないだろう。  前向きなのか後ろ向きなのか分からない考えに浸かりながら階段を降りる。一年生は校舎の一番上に教室があって、三年生は一番下となる。  和気藹々と一年生の塊が階段を降りていく下校の流れに俺も倣おうとした時、視界の端で誰のか分からない鞄が俺の目の前を歩いていた女の子の体を横から押した。 「ひゃっ……っ」 「危ないっ!」  そのまま女生徒が階段から落ちればドミノ倒しのように下にいる生徒まで巻き込んでいたかもしれない。  咄嗟に俺が伸ばして掴んだ腕は細くて、力加減は出来なかった。 「痛っ」  階段の上にいる自分の方へと女生徒を引っ張り込む。あんまり口には出したく無いが、俺は同世代と比べるとそれほど体格がよくない。まだ成長期はこれからだって自分には言い聞かせているけれど現実は同世代の女子の平均身長と同じか、それ以下だ。  女生徒の腕を引っ張ったのはいいけれど、体で受け止めることは出来なくて二人もつれるように俺は背中から倒れ込んだ。 「いってー」 「うわ。ごめ、ごめん!」  俺は背中を強かに打ちつけたが、女の子は俺の体の上に倒れてきたからどこも打ってないようだ。それなら問題はない。 「俺は大丈夫。ちょっと背中打っただけ。大丈夫?怪我してない?」 「大丈夫。ありがとう……あ、す、すぐ退くから!!」  周囲の視線が集まってきたので慌てて身を起こし、俺から離れた女の子は一度頭を下げた。俺も起きあがろうとした時、女の子は階下にいた姿の見えない友達らしき人物から名前を呼ばれていて、階段の先と俺とを見比べている。 「俺の事は気にしなくていいから。行っていいよ」  女の子が再度俺に頭を下げて身を翻す。若干慌てているように見えるのは下で友達を待たせているからだろう。  やれやれ、と俺も立ちあがろうとすると頭の上に影が落ちてきて、何かと思えば悟が目の前に立っていた。 「どうした?」  悟が去った女の子の背中を視線で追いながら俺に手を伸ばす。 「転けかけてたから助けただけ」 「お前ってさ、シラフでそれができるのはスゲーって思うわ」  伸ばされた手を掴むと、悟が俺をぐいっと引っ張り起こした。 「でももう少し配慮しろよ。俺、女の輪を潜ってまでお前を引っ張り出す趣味はねーかんな」 「どういう意味だよ」 「……そのまんまの意味だけど。あ、今日は俺部活の説明会出ていくけどお前どうする?」 「ん、えー……、あー。どれぐらいかかる?」 「今から一時間ぐらい。終わったらソッコー帰る」 「んじゃ待ってる」  悟と別れ行く宛もなく、人気の少なくなった校舎を彷徨う。  さすがに入学したてで上級生と事を構えたくないので二階、一階には行かず、そうなると俺が落ち着ける場所は三階の俺の新しい席だった。  外からは運動部の声が聞こえるが、この階はまるで誰もいないような静けさだ。説明会が終われば悟は電話をくれるらしいから多少気を抜いていても問題はないだろう。  中学で学ランだった俺の高校の制服は紺色のブレザーに紺色のネクタイだ。ネクタイの結び方を教えてくれた匠はこの色が俺によく似合うと褒めてくれた。  そのネクタイを人差し指と親指で目の前で弄りながら、机に突っ伏した。   「はぁ……」 悟を迎えに行った駅での一悶着があってから、俺は自分の自覚できない障害とも向き合う事になった。  障害というと物々しいが、流行病でも世に出たばかりの薬を使うと記憶が飛んだり、異常行動をしたりというのは意外とある例らしい。  俺も匠に助けられた土曜日、熱が高かったので緊急で呑ませた薬と相性が悪かったのではないか、というのが緒方さんの言い分だ。  俺は成程と相槌を打って緒方さんから受けた指導を復唱した。 移動する時は出来るだけ複数で動く。  一人にはならない。  気分が悪くなったら即匠に連絡を入れる。  の三か条だ。ちなみにスマホはワンタッチで匠に繋がるよう設定されて俺の手の中に返ってきた。    ただの居候なのに、俺の親身になって話してくれる緒方さんや匠の事を俺は少しも疑っていない。    疑うなら――俺自身の体だ。    周囲の大人がどれ程上手く取り繕おうが、自分の体や頭の事は自分が一番よく分かっている。  俺はまた、俺を守る為につく嘘に包まれてるんだとなんとなく気づいていた。  それは、小さいころに詩子ちゃんが両親がいない事に対して不安になる俺についてくれた嘘に似ていた。    暫くして悟から連絡があり、俺と悟は無事帰路に着いた。

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