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まだ知らない事、教えてはもらえない事。
「あ、匠」
「おう、久しぶり」
その日、家に帰ると匠がいた。
同じ家に住んでるのに、久しぶりっていうのも何だか変な感じだが実際前に会ったのはいつだっけ?と考えると一週間は顔を見ていない気がする。
ソファに足を上げ横になっていた匠は俺と目が合うと体を起こした。
「最近あんまり家にいない?」
「んー、あぁそうかも」
近寄ると匠が自分の隣を片手で叩くので、俺は吸い込まれるように隣に座った。
「背中の青痣綺麗に治った?」
「うん、なんともない」
「そうか、良かった」
片腕をソファの背に回して、反対の手で俺の髪を遊ぶ。
「なぁ、なんか疲れてる?」
「……そりゃ大人だからね」
「そっか」
仕事が大変なのか、その先を少し聞いてみたかったけれど"大人だから"と言われればはぐらかされた感じがして後を続けられなかった。
「次の休み、ちょっと友達ん所行ってくる」
「わかった。どこ行ってもいいけど、スマホだけは忘れていくなよ」
「うん」
言うことは言ったので、俺はソファから立ち上がろうと腰をあげた。けれど下からぐいっと引っ張られて再びソファへと逆戻りだ。
見下ろすと匠が俺の手を掴んでいた。
「匠?」
「いや、……うん。時間ある?」
「あるけど、どうしたんだよ?」
「もうちょっとだけ、ここに居て」
「そりゃ構わないけど……本当に体調悪いとかじゃなくて?緒方さん呼ぶ?」
俺が匠の顔を覗き込むように上体を倒すと、匠は苦笑し首を横に振った。
「いらない。ちょっとだけこうしてくれていれば」
「……変なの」
本当はもっと気遣う言葉を掛けたかったけれど、今の匠がどんな言葉を求めているのか、俺にはわからない。
一方的に求められる何かが俺が与えられるものなら、今まで俺がもらった分もまとめて全力で応えるのに。
今は匠がしたいようにさせようとそのまま時間が過ぎるのを待つ。
特に言葉を掛けられる事もなく、引っ張られた手も重ねられたまま。
ソファの背もたれに回した腕に頭を乗せて、俺とは反対側に顔を向けたまま動かない。
ただ静かな時間が流れて、その穏やかさに俺がコクリコクリと船をこぎ始めたころ匠は俺の頭をひと撫でし「ありがとう」と言って部屋から出て行った。
……疲れてるっていうより、弱ってるって感じだったな。
ずっと匠に握られていた手はまだ感覚が残っている。暖かさではなく、冷たさが。
その手は俺から離れる時まで温まることは無かった。
時間が過ぎるのはあっという間で、今日は翔太の家に行く日だ。
尋ねる前に翔太に連絡をとっておいたほうがいいか確認したが、居なければ居ないでまた出直せばいいと要が言うので、俺たちは一旦三人で校門で集まることとなった。
学校に来る時は部活があるので基本的に無造作ヘアの悟はきっちりワックスで髪を尖らせている。
要は特に弄らず短い黒髪を流していた。俺は最近無駄に人の視線を集めないためにフードというアイテムを見出したので、今日もパーカーでフードを頭から被っている。
こんな風に同年代と複数人で出かけるのは久しいので、少しだけワクワクする。
「で、どうする」
今は午前十時だ。早すぎず遅すぎずの時間を選んだ。
「俺が居るって分かったら居ても出てこないかも。面識のある王子にファーストアタックを仕掛けてもらおう」
「それはいいけど、悟と要はどこにいんの」
「少し離れたところで見守ってる。本当に本人が出てきたら俺たちが居ることバラしていいよ」
「わかった。じゃー行きますか!」
翔太が住んでいるのは三階建アパートの一番上、階段を登り切った先にある廊下の一番奥だ。
玄関の扉の前まで来ても翔太の声は聞こえない。居るのか居ないのか不安を覚えながら俺はチャイムを鳴らした。
……そう言えばこれで親が出てきたら、なんて言うんだ俺。
程なくして、小さな金属音と共に扉が開いた。
俺の遅過ぎる心配を裏切って、顔一つ分の幅まで開いたドアの向こう側に居たのは紛れもなく翔太自身だった。
「どなたですか?」
少し硬い声音に俺はおや?っとなるがそう言えばフードを被ったままである事を忘れていた。これではドアスコープを覗いていたとしても誰かはわからないだろう。
俺は慌ててフードをはずす。
「……詩音君?!」
「やっほー、久しぶり」
俺をみた翔太は予想通りびっくりしてただでも丸っこい目を殊更大きく開いた。
「な、なんで?!なんで僕の家を知ってるの?」
「それは俺がお前と約束したから。言ったろ「また今度」って」
「言ったけど、でも!」
「お前さ学校来ねーじゃん?俺ずっと待ってんのにさ。だから来ちゃった」
「来ちゃったって……」
顔一つ分しか開いてなかったドアが、音を立てて開き切る。翔太が足にスリッパを引っ掛けて出てきた。
「なぁ、少し話できる?」
「いいよ、今日は誰もいないし。中入る?」
仕方がないな、と笑う翔太の笑顔はこないだ図書館の時と何ら変わりなく見える。
「あー、えっと。もう二人程追加してもいい?」
「え?二人?」
パチパチと目を瞬かせる翔太に背を向けて俺は階段の影に潜んでいる二人――悟と要に手を振った。
二人が姿を現した瞬間、背後で"ヒュッ"と息を呑む音が聞こえて振り向いたが、そこには少しだけ表情が翳った翔太がいるだけだ。
「詩音君が僕の家を知ってた理由が分かったよ」
「うん、ごめん。要が翔太と知り合いって知ったのはつい最近なんだけど。二人も一緒にいい?」
俺が確認を取ると翔太は何か言いたそうに口を開いたが、すぐに俺の知る翔太の顔に戻った。
「いいよ、そんな所にいたら風邪ひいちゃう。お茶でも出すよ」
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