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好きな人②

 それから俺は翔太と一緒に勉強をして、日が暮れる前に翔太の家を出た。  結局何が原因で翔太が学校に行けないのかわからず仕舞いだが、連絡先も知れたので前進はした筈だ。  オレンジ色の空の下、家路を辿っていると俺の後ろからクラクションが鳴り響いた。何かと思い振り向くと少し後ろに見慣れた車が路端駐車している。  車の中から俺に向かって手を振っているのは匠だ。  駆け寄ると助手席のドアが開く。 「お疲れ様。友達の所行ってたんだっけ」 「うん」  俺が乗り込むと車は緩やかに発進した。   前を見て運転する匠の横顔はこないだのような疲れた様子は見えない。  ふと先程まで翔太と話していた事を思い出して俺は口を開いた。 「匠ってさ、好きな人とかいねーの?付き合ってる人とか」 「何突然」 「だってお前、よく言うじゃん。俺より"大人"なんだろ?だったら恋人の一人や二人くらい」 「待て待て、二人って俺二股前提の話かよ。お前の中の俺のイメージどうなってんだ??」 「なんか女泣かしてそーな感じ」  街に出れば男女構わず嫌ほど視線を奪っていくし、私生活=仕事ですか?ってぐらい境目が見えない。  匠みたいな奴と付き合うなら尽くし系の女じゃないと務まらないし長く続かないんじゃないだろうか。  あまつさえ、俺みたいなガキの世話に時間費やしているんだ、恋人構う時間なんてどこにあるんだ?ってかよく考えればそんな状態の匠に恋人なんている訳ないか。いたら俺なんかといる時間、彼女に費やしてるよな。 「勝手にイメージ作るなよ。俺はね、こんなんでもすげ一途だよ」  そう言う匠はどこか楽しそうだ。 「好きになった相手には尽くすし、すんげー大事にする。勿論浮気なんて絶対しねーよ」 「すげー自信。じゃあさ、逆は?相手が浮気したとしても大事にできんの?」  正直俺はまだ恋愛ってものをした事がない。だから学校で手紙をもらっても面と向かって告白されてもどれ一つピンとこなかった。  特定の誰かの傍に立つ自分がイメージできない。  本でもドラマでも恋愛に関する知識は溢れかえっているけれど、浮気っていうのはなんとなく恋人が恋人でなくなってしまう要素の一つとだけ認識している。    赤信号で車が一時停止する。ハンドルを抱くように両手を回した匠は俺に顔を向けた。 「俺は、好きになった相手には俺なしじゃいられないぐらい可愛がるから、そんな心配しない。浮気って不足したときにするもんだろ……?」  一言一句ハッキリと、イケメンにしか許されないキザなセリフを吐いた匠は蕩けるような微笑を浮かべた。 「溺れさせて呼吸さえままならないぐらいに愛してやるのが俺のやり方。息継ぎの仕方は俺が教えてやる。な?浮気なんてする余裕、ないと思わねぇ?」 「っ」  急に心臓がバクバクと五月蝿く鳴り響いて俺は匠から顔を逸らした。 「なーんてな。ちょっとは大人の勉強の足しになったか?ちなみに俺は今お子様の面倒にかかりきりだから彼女なんていないし、いらねーの」 「悪かったな、手間かかって。俺に構わず彼女でもなんでも作りゃーいいじゃねーか」 「いいんだよ、今はこれで」  そう言って青信号と共に車を発進させた匠はいつもの匠に戻っていた。  その後に匠と何を話したのかはあんまり覚えていない。  天塚の家に戻ると丁度緒方さんに出会したが、挨拶もそこそこに緒方さんと立ち話を始めた匠を置いて俺は自室に逃げるように駆け込んだ。  鞄を床に放り投げて、毛足の長いラグの上に頭から滑り込む。まだ顔が熱くて鼓動が早い。落ち着こうと目を閉じれば匠の顔が浮かんでは消えた。 「……なんなんだよ、ちくしょう。さっさと消えろって」  爽やかな見た目に反して、匠は思いの外かなり重い独占欲の権化だったようだ。  あんな顔で迫られて、大事にするよ、なんて囁かれたら落ちない女性なんていないんじゃないだろうか。匠に必要とされる誰かを想像すると少し胸が苦しくてチクリと理解のできない痛みが走った。 ***   「あ、おかえり二人とも」 「ただいま!緒方さん!!」  挨拶もそこそこに、まるで逃げ出す様に家の中へと駆け込む後ろ姿を見て俺は笑いを抑えきれなかった。 「何あれ。匠また詩音君に何かしたの?」  詩音の後ろ姿を見送った緒方が俺の様子に気付いて呆れた目を向けた。 「何かあったら俺の所為にするのやめろよ。確かにちょっとだけからかったけど」 まさかあいつから恋愛相談をされる日が来るとは思わなかった。詩音に言うと"勘違いすんなバカ!"と返ってきそうだが、見た目は少々幼くても今年十六歳なら興味も出る年齢だろう。 「何言ったの」 「好きな人いるのかって聞かれた」  詩音が勢いで脱ぎ捨てた靴を揃えて並べる。  自分の靴を隣に並べると、その大きさの違いにまた口元が緩んだ。 「なんて答えたのさ。どうせ碌な返し方してないんだろ。君、今まで何人女泣かしてきたと思ってんの」  別に泣かしたくて泣かせたのではないし、勝手に泣いたのはカウント外だろう。何人というほど居ないはずだが大事にしてきたのは確かだから詩音に嘘はついていない。  ……大事にするとは言いつつ、今恋人がいない現状が矛盾を孕んでいることにあいつは気付かなかったようだけれど。  そんな事改めて教えることでもない。 「どんだけ引かれても断られても無下にされたって追いかけ続けて相手が弱った所につけ込んだお前よりかは数倍マシだ」 「褒めても何も出ないよ」 「褒めてねーよこのド変態」 「変態じゃなくて盲目。僕ほど一途に純愛を突き通してきた人間はいないと豪語できる。恋愛の質問したいなら匠なんかより僕にしてくれないかな。恋愛のいろはなら僕のほうがよっぽど参考になるって」 「やめてくれ、アレがお前みたいになったら高校卒業する前にどっかでガキとか作りそう」 「それ僕に対しての偏見強すぎじゃない?!」  容姿は抜群だが、口の悪さに多少難がある詩音。  それでも距離が縮まれば詩音がどれほど優しくて誠実なのかよくわかる。何より詩音は自己より他者を優先する癖がある。それは本人も気づいていない美点であり悪癖だろう。そんな彼がストーカーもびっくりな執着力で誰か一人に愛情を向ける事を覚えてしまったら、落ちない女なんてきっといない。   「うーん……想像できない」 「何が?」 「いや、こっちの話」  これから詩音が選ぶであろう見ず知らずの女の顔を想像できないのは当たり前だが、女に対して笑う詩音の顔も想像できない。よく考えたら、あいつが色恋事でそれらしい一面を見せたのは今日が初めてだからそんなもんか、と自分を納得させた。 「匠、なんかスマホ着信来てるよ。僕今日は家に帰るからまたね〜」 「ん、あぁ」  緒方の方を見もせず手を振って、俺はズボンのポケットからだしたスマートフォンに指先を滑らせた。  玄関に座って、ついでに煙草に火をつける。  最近煙草を吸う回数が少し減った気がするのは家にいる時に喫煙するタイミングが減ったからだろう。  詩音は煙草に対して嫌悪感を見せはしないがさすがに未成年の前で吸うのは憚られた、その結果だ。  SNSの相手は詩音が駅前で倒れた時に知り合った大貫悟だった。  俺に連絡先の交換を迫った大貫悟という少年は詩音と同じ年齢の子供で、小学校から詩音と付き合いのある幼馴染らしい。    連絡先を交換してからというもの、時々詩音の学校での様子を教えてくれる。  最近では詩音が面倒な事に首を突っ込み始めたという事で、SNSの会話が多めだ。  こんな風に俺と大貫が連絡を取り合う仲になっている事に詩音が気付いたらどんな顔をするだろうか。 一人だけハミられたと頬を膨らませて不貞腐れるだろうか。さっき車の中で揶揄った時も顔を真っ赤にさせて。あんな反応今時の男子高校生がするような顔じゃ無い。 「……可愛い奴」  黄昏時が深い宵に飲まれるまで、煙草を楽しみながら俺は大貫からの連絡に返事をしつつ時間を潰した。

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